1話「宿屋の娘」
「ちょっと待ってよ、ヴァレンティーノ様!」
「ははっ、遅いと置いて行くぞ」
燦々と輝く太陽の光を木々が優しく遮り、木洩れ陽が降り注ぐ森の中を3人の男達が馬を走らせていた。前を行く1人は、漆黒といっても過言ではない艶やかな黒毛の馬に跨り、陽の光を浴びて煌めく銀の髪をたなびかせながら、これ以上の嬉しい事は無いとばかりの笑顔で後ろを振り返った。
「ヴァレンティーノ様嬉しそうだね、兄さん」
「そうだな。それだけ勇者に会えるのが嬉しいんだろう」
後ろを走る兄弟も釣られて笑みが溢れる。兄の方は赤毛の髪に今は羽織っているローブに隠れている鍛えられた肉体と背負う大振りの剣は屈強な戦士であると物語る出で立ちをしているが、その顔からはまだ少年のあどけなさが抜けきっていない。
「勇者に会えるのが嬉しい魔王……普通の人からしたら目を疑う光景だよね……」
そう呟いた弟は、兄と同じく赤毛の髪にローブで身体を覆っているが兄のような勇ましさはなく、おっとりとした印象を受けるように、顔はまだまだ少年らしさが残っている。
何を隠そう目の前を走る青年は、大昔に国を滅ぼし多くの人を殺した魔王その人である。一般的には魔王とは悪の存在であり、倒すべき者であるが、この兄弟にとってはそうではない。勇者ジルベルトを祖先に持つ2人は幼い頃から間近で魔王を見て育っているし、両親からも昔何があったのか、何故魔王と勇者という存在がいるのか聞いている。もちろん、最期の事もー。それで魔王を恐れろというのは不可能な話だ。どんな噂話より、目の前の魔王の方が信じられる。
「まぁ……今は魔王とか勇者の存在自体がお伽話のように真実味が無くなって来ているしな」
ここ数十年は穏やかな日々が訪れているが、それまでは人間同士が国を滅ぼしあっていた。民間人を巻き込むことを厭わず使用された大規模魔法の爪跡は今もなお各地に色濃く残っている。木々は焼かれ地面は抉られ不毛の地となった戦場は数多あり、その壮絶さを物語っている。果たして、魔王と人間どちらが恐ろしいだろうか。
森には魔物もいるが、本能で分かるのか、魔王がいれば襲ってくる事は無い。むしろ、盗賊など人間を警戒しないといけないが、盗賊如きに遅れを取るような3人ではない。
終始和やかな雰囲気の3人は森を抜け、開けた道に出る。すでに日は傾きつつあるが、魔物避けの柵が施された畑が点在しているので、村が近いのだろう。ちょうど畑仕事を終えて帰り仕度をしている村人を見つけた。
「すまないが、この辺りで宿を取れる場所は無いか?宿が無くても夕食にありつける場所があるとありがたい」
「ん?兄ちゃんら旅の人かい?宿屋だったら、もうちょい進んだ先の右手にあるぞ。飯も美味いし女将もべっぴんさ」
「そうか、それは楽しみだな。ありがとう」
村人に別れを告げ、教えられた場所に向かう。規模は大きくないが、比較的に裕福な村なのだろう。痩せ衰えて道端に転がっているような村人は見受けられない。川が近く、森にも恵まれているからだろう。
「ヴァレンティーノ様が楽しみなのは、美味い飯かべっぴんの女将さんか……」
「兄さん、聞こえるよ」
ニヤニヤと面白がる兄のリカルドを弟のウーゴが小声で嗜める。
「我が楽しみなのは、今代の勇者に会えることだな。この村にいるんだろう?」
「ですよねぇ……情報だと、恐らくこの村の事でしょう」
ばっちり聞こえていたらしい。そして、勇者以外には興味が薄い魔王はいつも通りであった。
「森を抜けた先にある村に金の瞳を持つ子供がいる」そんな情報を聞き付け、我先にと飛び出そうとした魔王を「急いでも勇者は逃げませんから」と全力で押し留めた両親が、リカルドとウーゴに共に付いて行くように頼んで今に至る。なんでも、勇者に会う為に暴走しかねないから抑える人が必要だという、ちょっとアレな理由だったが、ちゃんと食事も休憩も取る辺り杞憂だったようだ。
「ここか」
3人は馬から降り、近くの厩舎にそれぞれの愛馬を繋いだ。
木製の扉に手をかけようすると、押してもいないドアが勝手に開いた。誰かが出て来るのかと思いきや、開いた扉の横からちょこんと顔を出す可愛らしい女の子がいた。その瞳は金色。探していた本人を目の前にして固まる3人。まさか、勇者が女に生まれていたとは誰も予想していなかったのである。しかも、まだ3歳程の子供。どうしろというのだ。
「おかくしゃん?」
固まっている3人に女の子が首を傾げて問いかけてくる。大きな瞳でジッと見つめられ、そんな仕草をされれば、どんな人間も正気ではいられないであろう。「あ、あぁ」と返事を返しただけ良くやった。
女の子は「おかくしゃんー!」と、走り去って行った。しばらくすると女の子を連れた女性が現れた。母親だろう。女の子と同じ淡い榛色の髪を後ろで一纏めにした、こんな村ではまずお目にかかれないような綺麗な女性である。
「ようこそお越し下さいました。1人1泊2食付きで300ヤールですが、泊まって行かれますか?」
丁寧な物言いといい、どこか良い所の出なのだろう。なるほど、確かにべっぴんの女将さんだ。女将さん目当てに泊まりに来る客があっても不思議ではない。
「泊まりで頼む。……それで、その子は?」
「かしこまりました。この子は私の娘です。夜は静かに寝てくれますので、ご迷惑になる事はないかと思いますが、もし子供が苦手でしたら奥に連れて行きますので」
どうやら勘違いさせてしまったらしい。そのままで構わないと伝え、部屋に案内してもらう。その間、女の子はずっとヴァレンティーノを見ていた。部屋の前に着き、ヴァレンティーノは床に膝を付いて女の子と目線を合わせて問いかける。
「我の名前はヴァレンティーノだ。そなたの名前を教えてもらっても良いか?」
「ばれん?ヴァレン!なまえはぁ、ルチア!」
「ルチア……優雅な光か。良い名前だな」
そう言って、ヴァレンティーノはルチアの頭を撫でてやる。ルチアはくすぐったそうにした後、ヴァレンティーノの顔に手をやった。
「ヴァレンの目きれい!」
「ルチアの目もまるで陽の光のように綺麗だ」
勇者が金の瞳を持つように、魔王もまた他では持ち得ない銀の瞳を持っている。今でこそ瞳の色の意味を知る者はほとんど居なくなったが、昔は銀の瞳は恐怖の対象だった。銀色の悪魔と恐れられ、出歩くことさえ出来なかったが、今では恐れる者はいない。
ルチアが母親に連れられて出て行った後、3人は旅装束を脱ぎ、軽装になった。
「しかし、ヴァレンティーノ様が勇者を攫って出て行くんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
と、リカルドは冗談交じりに茶化す。
「攫うと後が大変だからな。前にやったが、大泣きされて散々な目にあった」
「「やったのか……」」
思わず2人の声が重なってしまった。目的の為なら手段を選ばない辺り、色んな意味で危ないかもしれない。哀れ勇者を子に持った親。やはり、誰かが魔王の暴走を抑える必要があるようだ。
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