破邪の巫子①
「さぁ、テイガ。時が来るまで、お話をしてあげようね。」
そう言えば、時間を持て余して、そわそわとしていた幼いテイガが僕の座るソファーによじ登り、僕の顔を見上げてきた。
その様子か可愛らしく、その小さな頭を撫でてやった。
荒れ狂い、多くの海の魔獣が生息している東の海を越えた所に、小さな島国がある。象徴として、榊という木を掲げるその国には名前が無い。海を渡った先にある唯一の国であること、永らく他国との交流を閉ざしていたことから、国の名前が必要無かったのだ。
そんな国が他国と交流を始めたのは、およそは百年程前のこと。
大陸で魔獣が爆発的に増え、それを操る人間によって大陸中が脅威に晒されるという大事件が起こった。脅威に立ち向かう為大陸中から勇気ある若者たちが立ち上がり、悪しき力や心を消し去ってしまう力を持つという『破邪の巫子』の協力を求めた。彼等が海を渡ってきた事をきっかけに、東の海の果ての国は他国との交流を始めたのだった。
国名を未だに持たない国だったが、大陸では『東の果ての国』『榊の国』『巫子の国』と呼ばれ、独特の技や動植物、鉱物を求めて多くの商人たちが海を渡って訪れてくる。
そんな国は、一人の王と三人の巫子によって治められている。
『先見の巫子』『使獣の巫子』そして、『破邪の巫子』。
先を見る力、魔獣を従える力、悪しきものを消し去る力を持つ彼女たちにより、国中から選ばれた王が国を平和に、豊かに導いていく。
巫子たちも、王と同じように国中から強き力を持つ者が探し出されてくる。ただ、『破邪の巫子』だけは代々一つの血筋が担ってきた。
破邪の力は、その血筋だけにみられるもののようで、その国の永い歴史の中一族以外の者が就いたという記録は無い。
そんな『破邪の巫子』には、最凶最悪と言われ、今でも名前を呼ぶことさえも恐れられている巫子がいた。
歴代の巫子を凌ぐ破邪の力を持ち、だというのに自身は邪悪な心を持った、そして歴代で初となる男であった。
その巫子は、双子として生まれた。
女系の血筋に記録の無い男として生を受け、不吉とされる双子の片割れとして生まれた彼は、生まれてすぐに野に捨てられる事となった。
母の腹の内にいた時から外に放出していたのは、歴代の通りに女児であった双子の片割れと判じられたのだった。
野に捨てられた彼を育てたのは、『使獣の巫子』だった。
彼の母に頼まれた彼女が人知れず彼を拾い上げ、彼が一人でも生き抜けるようにと育て上げた。立場と役目のある『使獣の巫子』は、彼を育て上げる過程のほとんどを、彼女が使役する妖と呼ばれる魔獣の一種に任せていた。
人のように知性と理性を持った妖たちは、主に任された使命に心を踊らせ、ついつい張り切ったしまった。
狐の妖は人を化かす方法を、
狼の妖は獲物を追い込む方法を、
妖たちは、自分が他には絶対に負けないというものを、彼に教えていった。
彼は、それを砂漠に降る雨のように己の物にしていったのだった。
そんな彼が成長し、18年の年月が過ぎた頃、彼の下に迎えが訪れた。
それは、彼を捨てた『破邪の巫子』の宮からだった。
次代の巫子として育てられた双子の片割れに、破邪の力が無いことが名実の下となった為の事だった。
慌てる王や国の中枢にいる者たちに『先見の巫子』が彼がいる場所を知らせたことで、彼が生きていた事、彼こそが力を持っている事を知ったのだ。
余りにも身勝手な変わり身に怒りを露にした『破邪』『使獣』の巫子たちだったが、国を護るために彼が必要だと頭の中では分かっていた。そして、張本人の彼自身が慈悲深い微笑みを浮かべて迎えを受け入れ、謝罪の言葉を繰り返す王たちに赦しを与えたとあっては、何も言えなくなっていた。
『破邪の巫子』となった彼は、洗練な物腰と美貌で人々の心を捕らえた。そして、歴代の巫子達が封じ続けることしか出来なかった怨霊や大妖たちを指先一つで消し去っていき、強大な力を見せ付けていった。
人々は、その姿に今まで以上の国の安寧を核心したのだった。
けれど、それは間違いだったのだと、何年もかけて国の中枢にいる者たちから、人々は知っていく事となる。
人ではなく、どちらかと言えば悪に部類される事の多い妖に育てられた彼には人の心が育ってはいなかった。
己の欲望のままに、秩序よりも無秩序を好み、慈善よりも策謀を愛し、平穏よりも騒動に安堵を覚えた。
初めは誰も気づけなかった。
彼の事を野良育ちと影で笑った男の家族が不幸にあい、一家が離散した事。
彼の女性のような容貌に嫌な笑みを浮かべた好色な男が、世を儚んで俗世を捨て、女性が近づくだけで気絶するようになった事。
これ以外にも人々の笑い話となるような事が多く聞かれるようになった。
ただ何となく増えたなと感じるだけで、それらに一人の人物が共通して関わっている事には、初めは誰も気づくことが無かった。
出先の移動時間って意外に書けないものですね( ;´・ω・`)