IF 本当はあったかも知れない日常①
マリアと神様がいなかったら…
「どうして、そんな事ばかり言うの!?」
休み時間を色とりどりの花が咲き乱れる庭園の奥にあるベンチで過ごそうと、マリアは花々の間を歩いていた。その腕の中には登校前に自分で作ったサンドイッチを詰めた箱を持っている。
普段は、学園に入ってから色々と世話を焼いてくれ、侯爵家と子爵家という身分差を取り払い友人となったユリアも一緒に昼食を取るのだが、今日ユリアは家の事情で学園を休んでいる。未婚で子供のいない母方の叔父に急に呼び出されたと困り顔になっていたユリアだったが、我が子のように可愛がってくれる叔父の事が大好きだと言っていた事もあったから会える事自体は嬉しいのだろうなとマリアは思った。
マリアが足早に歩いていると、マリアの背を同じくらいの赤い花が咲く垣根の向こうから、聞き覚えのある女生徒の震えが混じった声が聞こえてきた。
垣根の前でジャンプをして、垣根の向こう側、声がした場所を垣間見る。
ジャンプして、一瞬だけ見えたのは、やはりマリアがよく知っている人だった。
「イザークなんて、大嫌い!!」
もう一度ジャンプしようかと、マリアが足に力を入れた時、垣根の向こう側にいた彼女の、泣き声混じりの叫び声が聞こえ、パタパタと走っていく音が聞こえた。
そうか、イザーク君が相手だったのか。
少しだけホッと息をついたマリア。
声の持ち主である、エリザ・デュ・サルドは学園内で知らぬ者がいない程有名な女生徒だ。
東方にある島国ではありふれた色だと書物などで知られているが、このシャール王国では滅多に見かけない真っ直ぐに伸びた艶のある黒髪に水晶のように澄んだ黒目という容姿は人々の目を引く。そして、成績優秀、騎士候家という特別かつ異色の一族の直系という生まれ、並みの騎士候補生たちならば薙ぎ払ってしまう強さ、どれをとっても学園の生徒達から尊敬や思慕を集め、女生徒や一部男子からは崇拝に近い想いを寄せられている。
いつも凛として微笑んでいるエリザがあんな声を出してしまった相手と、こんな人気のない場所で…マリアの頭の中では「イジメ現場!?」と幾つかの判断を飛び越えた答えが膨れ上がった。心配して様子を探ろうと覗き見たのだが、エリザの声でマリアからは見えない位置にいる相手がエリザの弟であるイザークだと分かり安心した。
事情があり、学園への入学を一年延期せざる得なかったマリアは、稀代の魔法使いであるが為に同年の中で浮き交流を持とうとしなかったイザーク・デュ・サルドと、偶然から話をするようになり、一応友人のような関係になった。
でも、相手がイザークと知りマリアは、いつかはやると思ったと苦笑し、まずはエリザを追いかけようとエリザが走っていったであろう、庭園の奥へ足を早めた。
きっと、イザークが庭園の出口に向かう方向を塞いでいたから、奥にむかったんだろうと推理したマリアだったが、多分その予想は正解だとマリアは確信している。
友人の日頃の発言から、マリアはイザークがツンデレシスコンだと理解していた。本人はそんなことないと否定し怒るだろうが、どう見ても、きっと交流のあまりない生徒にイザークの言動を聞かせて問い質してもマリアと同じ意見に辿り着くだろう。
エリザは僕よりも弱いんだから家で座学でも修めるだけでいんじゃない。なんて、怪我して欲しくないから大人しく家に居て欲しいって事じゃないかとマリアは呆れて聞いていたのだが、そんなことが何度合ったことか…。
きっと、今回はそんな事をエリザ本人に言ってしまったんだろうとマリアは確信に近い予想を立て、今頃ムスッと不機嫌そうな顔で落ち込んでいるイザークの姿を思い浮かべ吹き出した。
「エリザさん。」
マリアの予想通り、エリザは庭園の最奥にある、マリアがお昼を食べようと思っていたベンチに座り、落ち込んでいるように体を縮こまらせていた。
女生徒たちの憧れの対象として、そこら辺の男子生徒よりも人気のあるエリザは、年上年下関係になく様付けが普通の事となっている。家が軍部関係の生徒はまた別の理由らしいのだが、親しい者以外全てから様付けで呼ばれていることに変わりない。
マリアは、イザークと一緒にいる時に何度か会い、同い年なのだし様付けは止めて呼び捨てで構わないとエリザ自身に言われた事がある。けれどそれをすると他の生徒たちから嫉妬の視線が痛いほど注がれる為、さん付けで勘弁して欲しいとエリザに頼んだ事があった。
「マリア。どうして?」
「さっき、偶然近くにいて聞いてしまったの。ごめんなさい。」
涙を滲ませている顔を上げたエリザは首を傾げた。そして、僅かだが目を細めて眉間に皺を寄せた。
エリザも、滅多に人が来ない場所だからと人目を気にすることなく泣いていたのだろう。そんな所にマリアが現れた。イザークが寄越したとでも思ったのかも知れない。
「…………あなたが嘘をつくなんて事はないわね。ごめんなさい、みっともない所を見せてしまって。」
しばらくの間、ジッとマリアの顔を見つめていたエリザだったが、マリアの性格を思いだしようで、困り顔に笑みを作りエリザは頭を下げた。
「マリアには、変な所ばかり見せてしまうわね。」
「そんなこと無いです!!」
マリアがエリザと親しく話すようになったのは最近の事だった。イザークと友人といえいる関係になった頃は、廊下などですれ違う時に、弟がお世話になって、とお礼を言われるくらいの交流と言ってもいいのか、をするくらいの関係だった。
つい一月前にあった学園全体が被害にあった、幽霊騒動。生徒たちの実家を巻き込む大事件になったその騒動で、一部過激な生徒たちから犯人だと決めつけられ、嫌がらせをされるようになったエリザをマリアが助け、入学してから親しくなった学年の違う友人たちと幽霊を見つけ出し退治することに成功した。「エリザさんが、そんな事するわけ無いじゃない!」と全校生徒の前で啖呵を切ったマリアに感謝の気持ちを示したエリザは、それから顔を合わせる度に会話をしたり、勉強に困って唸るマリアを見つけたら助け船を出してくれるようになっていた。
「それよりも、またイザークが変な事言ったんですか?」
直球なマリアの言葉に、エリザはクスクスと笑い出した。家の関係で幼い頃から、他の貴族よりも多い教育をされ、高位貴族との交流も盛んに参加してきたエリザには、マリアの貴族らしくない言動には少しだけ心を安らける感じがしていた。
イザーク、シメときます?
笑い始めたらエリザの姿にホッとしたマリアは、平民が使うような言葉を使い、エリザの気を反らしてしまおうも考えた。
「いいのよ。今日は私が我慢出来なくて爆発してしまったのだけど、イザークはいつも通り。貴女が言ってくれたとしても、変わることなんて無いわ。」
イザークは私が嫌いなの。
そう、ため息をつくエリザに、マリアは目を丸め、顎が外れるんじゃないかというくらいに口を広げた。
イザークがエリザに抱いている想いなんて、学園中が知っている事だ。それだけ分かりやすい。指摘しないのは、イザークの仕返しが怖いからなだけで、一部女生徒の間ではそんなイザークの人気が鰻登りに上がっている。
まさか、とうの本人エリザが気付いていなかった、とは…。
まぁ、確かにやられている側からしたら、ただの嫌みな弟にしか見えないよね。と自分も弟がいるマリアは、イザークの今までの言動を頭の中で実家に残してきた弟に言わせてみて、殴りたい気持ちに襲われていた。
「い、イザークがエリザさんの事嫌いなんてこと、ありません‼でも…なんて言われたのか聞いてもいいですか?」
一応、エリザの言葉は否定しておいて、エリザに聞いた内容によっては、イザークに一発入れてやろうとマリアは拳を握った。
「後宮騎士に成りたいと言った私の言葉を何処からか聞いたみたいで、エリザになんか無理に決まってる。周囲の迷惑を考えろ、と言われたの。昔から、そう。他の兄姉たちは兄上、姉上って言うのに私はずっと呼び捨て。弱いんだから訓練に参加しても無駄だと言うし、マークとの婚約も止めた方が身の為だって。」
言われた事を思い出し、再びエリザはポロポロと涙を溢れだした。
「た、確かに私は母や姉のように戦闘技術もそんなに無いし、魔力も多く無いわ。でも、昔から私に出来ることを、と得意なものを中心に伸ばすよう訓練してきたし、苦手も人並みには出来るようにと頑張ってきたの。イザークからしたら、些細な成長かも知れないけど頑張ってきたのに…」
マリアは、涙を流すエリザの姿に胸を痛め、イザークへの怒りを溜め込みながら、頭の隅に引っかかるものを感じて首を傾げた。
ほんの少ししか付き合いの無い関係ではあるが、エリザはこんなにも感情を露にして泣くような人だっただろうか、と。
もしかして、何かがあったからイザークの日頃と同じ言動にも耐えられなかったのではと推測した。
「エリザさん、何かあったんですか?」
「……」
マリアが聞いてみても、エリザは涙を流したまま口を噤んでしまった。それはそうだろう。心を弱らせているとはいえ、素直に弱音を吐くようなことはエリザの性分ではない。
「いえ、いいんです。エリザさん、きっと色々あって鬱憤が溜まってたんですよ。私も見に覚えがあります。そういう時って、普段と変わらないことでもイライラして暴れたくなるんです。」
「暴れる?」
「えぇ。昔、親と喧嘩をして、友達とも喧嘩して、勉強が出来なくてイライラしていた時、幼馴染に普段通りに"バカマリア"って言われたんです。それだけで、プッツーンってきちゃって、習いたての魔術は使うわ、物は投げるわ、幼馴染は男の子だったんですけど殴りかかるわで、周囲の大人たちが驚いて止めるのを忘れるくらいの大暴れをしたんです。
今のエリザさんは、その時の私と同じです。
なんだったら、イザークに一発お見舞いすればスッキリしたかも。」
フッ、フフフフフ
マリアが顔の前で両手の拳を固め、目の前にいる何かを殴る仕草をして身振り手振りに説明する。その姿に、普通の貴族の令嬢からは聞く事がない言葉と行動の数々に呆気に取られていたエリザが口元を押さえて笑い出した。
「下の兄が、時々上の兄に殴りかかっている事があったのだけど、マリアと同じ理由なのかも知れないわね。今思えば、とてもイライラとしている時だった気がするもの。」
こんな事で驚くなんて、学園に通っていて普通の令嬢というものを意識し過ぎていたのかしら、とエリザが笑い続ける。
「そうね。少しイラついていたのね。イザークの言う事なんて、よく考えれば昔から変わらないもの。いつもの、事だわ。」
「そうです。いつも通り、嫌味で、人の話を鼻で笑って聞き流すような奴で変わり様がありません。むしろ、あのイザークが素直になったり、謝罪なんてした日には空から広域殲滅魔法が降り注いで世界が終わりますよ。」
「フフッ。そうね"ゴメン"だけ言っただけでも、危険ね。」