存在価値の証明
久々の投稿なのにフラストレーション溜めるような内容で申し訳ございません。
「さて、前転生官が虐殺事件に関与していたかはさておき、彼女が様々な規則を破り、フォルト様の転生後の適切なケアを怠っていたという事実は紛れもございません」
予想を答えて程なくして、フタバさんはカウンセラーさんの怠慢についてそう結論付けた。カウンセラーさんが虐殺に関与していたかに関してはこれ以上深追いするつもりは無いようで、彼女の処遇に関しては最早決定したも同然というフタバさんの判断が見て取れた。
なんとかカウンセラーさんの無実を証明したかったが、俺が持っている情報など恐らく全てデータベースに載っている内容以上のことなど無いだろう。納得は出来ないが黙々とその決定に頷く。
「フォルト様が受けた記憶の継承の方法については、こちらのデータベースにて前転生官が規定通りの手順で行っていたのが分かりましたので、今回の継承も同じ基本手順にて行います。しかし前転生官が記録した内容に不備がある可能性が生じているため、記憶の継承が不完全な状態で行われる場合もございます」
「(いくらカウンセラーさんが規約違反してたからって何でも適当にやってるわけではないと思うんだが……)不完全な状態というのはどんな感じになるんですか?」
「行われた継承方法との差異の程度によって異なりますが、最悪前世の意識と来世の意識が上手く混ざり合わず、1つの身体に複数の人格が存在する状態が永続的に残ります。他にも覚醒前の記憶を思い出そうとしても前世の記憶しか思い出せなくなったり、両方の人格が消えて植物状態に陥ったりするケースも過去にはあったそうです」
「ええ……そんなリスクがあるんですか」
「もっとも、そこまで酷い状態になるのは非常に稀なケースです。大抵は多重人格状態がごく僅かな期間発生するのみで、その程度であればその後の人生には何も問題はございません。以上の点を踏まえたうえで、記憶の継承をご希望なされますか?」
「(転生した直後に人格が2つあるのって普通じゃないのか……)お願いします」
覚醒してから数日後、勇者が襲来する日に“フォルト”の人格は俺の人格と統合された。しかし本来は覚醒と同じタイミングで統合されているはずであり、統合までにタイムラグがあったのは継承方法の違いによるものだったらしい。
“フォルト”との出会いがただのバグによるものだったという事実には複雑な思いがあるが、カウンセラーさんが植物人間になりかねない様な記憶の継承を行っていないことが分かり安心した。
「かしこまりました。では本題に戻り、フォルト様の適性を見るために幾つか質問をさせていただきます」
「はい」
「転生予定の世界は人間の住む人間界とモンスターが住む魔界に分かれており、フォルト様は前回と同じく魔界側への再転生を望まれていますが、それは何故ですか?」
「な、何故? 何故と言われても……強いて言うなら前回も魔界側だったからとしか言いようが無いですね」
「なるほど。では前回の転生時、何故魔界側への転生を望まれたのですか?」
「えっ、ええ……?」
想定していなかった問いに困惑する。今回の転生はともかく何故前回その転生先を選んだのかなんて、まず聞かれるとさえ考えていなかった。
そもそも、俺は前回の転生時に人間になるかモンスターになるかはしっかりと決めていない。カウンセラーさんから転生先をファンタジー世界の人間に志望する人が多く偏りが生じていると聞かされ、別にモンスター側に転生しても構わないと答えたのは覚えている。
だが、あれは妥協であって希望ではないのだ。
「うーん……別にモンスター側に転生しても良いかなと思ってたから……?」
「何故そう思っていたのですか?」
「えーっと……来世も人間として生きたいとそこまで強く願っていなかったから……ですかね? 正直そこまで深く考えてなかったです」
「分かりました。転生先の情勢を見るに、今回の転生後、フォルト様は人間との争いに巻き込まれる可能性が極めて高いと推測されます。それについてはどう思っていますか?」
荒れた情勢の中モンスターとして生きるということは、確実に前回よりも過酷な人生になるけど大丈夫かとフタバさんは聞きたいのだろう。
それなら答えは最初から決まっている。さっきよりも答えやすい問題に、俺は本心をそのまま答えた。
「人界と魔界で争うことは、前の人生で覚悟はしていました。その時が早く来てしまったことは想定してなかったのですが、覚悟は今も変わらないです」
「人類との殺し合いも厭わないと?」
「……出来るなら人界とは平和な関係を築きたいですよ。でもそれはもう叶わないと思うんです。次期魔王フォルトが人界に囚われ、拷問の末に死んだ。そんなことを聞かされたら……大半のモンスターは人類を許すことなんて出来なくなる。平和的な解決なんて夢のまた夢です」
たとえ世界の滅亡までは免れていたとしても、次期魔王が死んでいる以上人界と魔界の関係は当然悪化しているはずだ。長年行ってなかった人界への侵攻も再開しているかもしれない。
穏便に済ませたいと思っている者もいるはずだが、先の勇者侵攻で家族を奪われたモンスター達がニクスをはじめ大勢いることも考えると、全体での比率は大きく減らしているだろう。
まるで2つの世界が争うことを、見えない何かが求めているかの様に。
「正直、生前の僕は魔界の情勢についてそこまで考えてなかったんです。数十年に一度勇者が侵攻してくるくらいで、それさえ凌げば基本的には平和に生きていけると思っていました」
「今はそう思ってないのですか?」
「はい。今までの数十年、人界は準備をしていたに過ぎなかった……人類は想像以上に侵攻に積極的だったということに、自分の身に危険が振りかかって初めて分かりました」
「なるほど。人界が本気で侵攻にかかる以上、それを受けるフォルト様も真剣に防衛に取り組むということですね? そのためには犠牲が出ることも厭わないと」
「……そうですね。ただ1つ言っておきたいのは、僕は魔界と人界が争い続ける未来なんて全く望んでないんです。和平の好機があるのなら、僕は喜んで武器を捨てます」
フタバさんの言い方に少し眉をひそめつつも、俺は本心をしっかりと伝え切った。
この戦争をどちらか一方を殲滅するまで続けたくはないのはずっと思っていたことであり、今後の生き方にも関わる重要な事柄だった。はっきりと言うことで戦争中の世界への適性評価に悪い影響があるかもしれなかったが、戦いに身を投じても忘れないために敢えて加えて答えたのだ。
「分かりました。……質問はまだございますが、これからフォルト様には試練を受けてもらい今表明した意志が揺るぎないものであることを証明していただきます」
「証明……僕の意志に何も偽りは無いつもりなんですが」
「言葉だけなら幾らでも気高く出来ますので。早速ですがフォルト様、お立ちください」
釈然としないまま椅子から立ち、フタバさんの手が指示する方へ移動する。
意志表明の質問をここまで追及されるだけでも意外だったのに、まさか更にそれの証明まで求められるとは考えてもいなかった。そこまで固い意志があると認められないと、殺伐とした今の魔界では生きていけないのか?
「それでは準備を始めさせていただきます」
移動を確認したフタバさんがそう言うと、机から2、3メートル程離れた所に光の柱が現れ、部屋と同じく真珠めいた白い台座が出現する。そこには柄から刃までこれまた真っ白な剣が1本刺さっていた。
現れた台座に近付き剣を抜いてみると、まるで中空になっているかの様に妙に軽い。しかし光を反射して妖しくきらめく刀身が、それが紛れもなく真剣であることを物語っていた。
(試練……証明って……)
突然出現した奇妙な白い剣、それが存在する意味を理解し始め次第に血の気が引いていく。一旦剣を台座に収めようとしたが、再び現れた光の柱の眩しさに阻まれる。フタバさんの後方の壁際に幾つも出現したそれらは全てが先程の光柱よりも大きく、その中に無数の影があるのが見えた。
「……は?」
光が徐々に弱まり、そこに出現した何かの実像が鮮明になっていく。その正体が何か分かった途端、間抜けな声が出た。
まず、中央に委員長がいた。両足を揃えて整った正座をし、無表情で俺を見つめていた。
その右横ではジョーが睨んでいた。上段に構えたロングソードは、いつでも相手を切り伏せられる様にとこちらに向けられていた。
ジョーとは反対側ではニクスが伏し目がちにこちらに視線を向けていた。同じく得物である弓を手に持っていたが、ジョーとは違いその腕は力無く垂れ下がっていた。
ジョーとニクスの横には、それぞれカルマとエマさん、デイジーさんとメリルさんが両手を後ろ手に縛られて立っていた。全員が目隠しと猿轡を着けられているため表情が見れず、差し迫った“その時”をただ静かに待っている様だった。
「では、始めてください」
「始めるって、何を……?」
「ただ今用意致しましたのは、人間と同じ構成比率、同じ構造で再現した打ち込み人形です。その人形7体を明確な殺意を持った状態で全て殺すことが出来た時、フォルト様の意志が揺るぎないものであると証明されます」
「冗談だろ……?」
告げられた指示に絶句した。フタバさんは学級長達を模した人形を、殺さなければならない仇敵と見た上で破壊する様に命じているのだ。
(いくらなんでもこれは……)
そもそもあの意志を証明するために人形を破壊すること自体が不謹慎だというのに、破壊対象が特定の人物に似せてあるなんて趣味が悪すぎる。未来の魔界以外にも戦乱の世界に転生する例はあるだろうがその度に人形を切らせているとは思いたくない。
正気の沙汰とは思えない課題に頭が痛くなり、フラフラと導かれる様に学級長達に近付く。フタバさんが言った通りそこにあるのは確かに人形で、剣を手にした殺戮者が目の前に来ても彼女達に動揺はなかった。
(やるしかないとはいえ……本当に人形なんだよな……?)
物言わぬ学級長を前にして、俺の懐疑心は最高潮に達していた。それが人形であると、本心を説得させることが出来ないのだ。
不気味の谷、という現象がある。人形やロボットがヒトに似れば似るほど、人間はその見た目や動きを好感的に感じるが、その類似性が上がっていくとどこかで気味悪く感じてしまう心理現象だ。更に類似していくとまた好感的に感じ、結果類似度と好意度のグラフは深い谷を描くためそう呼ばれている。
小学生の頃行ったロボット展の展示説明を思い出しながら、7体の人形を眺める。髪や眼、歯などどこにも違和感を覚える部分が見られない。違和感が無いということは、目の前の委員長達が人形であるという証拠が見つからないのだ。魂を抜かれた同級生の抜け殻が並んでいると言われた方がまだ信じられる。
ふと、俺は剣を握っていない左手を学級長の人形の頬へ近付けてみた。彼女の輪郭に触れた指は柔らかく瑞々しい感触と共に少し沈み、弾力のある頬肉とその奥の頬骨が押し返そうと微細な抵抗を行う。それは正しく、人肌の感触そのものだった。
気味が悪くなり頬から指を放し、今度は膝の上に揃う彼女の腕を掴む。継ぎ目の無い中指に慎重に力を入れると、細長い指は3つの関節でゆっくり曲がる。人形の指を曲げた時の様な軋む感覚は無く、出現した人形が内部まで精巧に人間を模していることが分かる。
(肌も骨もまるで人間だ……)
「どうされましたか?」
「あっいや……ちょっと待ってください! 呼吸を整えますので……」
人形に近寄ったにもかかわらず何もしない俺を見て、フタバさんから声が掛かる。慌てて催促に応じつつ、この状況を打開する強行手段に出る為に2歩下がって間合いを取る。
外見で見分けが付かない以上、最早人形だと自分に信じ込ませなければまともに攻撃出来る気がしない。両手で剣を構え、目をつぶって自己暗示をかける。
(魔界じゃもう20年……いやもっと先の未来に進んでいるはずだ。みんな成長しているから、ここにいるのは本物ではない……!)
一度大きく深呼吸をし、この空間の特殊な時間の流れを根拠に目の前にあるのが人形であると必死に思考へ練り込ませる。後必要なのは殺意だけだ。
両手に力を込め、こちらを見上げる打ち込み人形を睨み付ける。
(人形を壊せば魔界に戻ることが出来る……そもそもこいつらがいなければ今頃転生出来てたはずだろ? 邪魔しやがって……)
無理矢理人形に因縁を付け、殺意を必死に搾り出す。転生の手続きが滞っていることにはいい加減うんざりしていたので、その怒りを材料にするのは丁度良かった。
(あの魔界にもう一度転生するために壊す……壊す壊す壊す壊す殺す殺す殺す──)
「殺すっ!!」
最早人形達の姿なんて気にならなかった。人形の胴体に向かって、力任せに剣を振り下ろす。
「──れです」
人形の肩に白い刃が食い込む直前、音も無く人形達が瞬間的に膨らみ、そして爆ぜた。
「ぶふっ!?」
高速で飛来した何かが顔に激突し、剣を放り投げて尻餅を付いてしまう。
「な、なんだ何が……えっ…………?」
一体何が起きたのか分からないまま起き上がり、周囲を確認する。人形が置いてあった一帯は赤黒い液体──鉄の様な臭いは無く、どうやら血液ではないらしい──で染まり、7体の人形がバラバラになって転がっていた。
自己暗示が作用しているのか、凄惨な光景が広がっているのにもかかわらずそこまで驚かずにそれを眺めることができ、転がっている人形の頭部が6個しか無いことに気付く。ふと、先程俺の顔にぶつかった物が何なのかと気になり、視線を自分の周囲に移す。
赤黒い液体がべったりと付いた右腿に寄り添う様に、皮膚の一部が焼け爛れ、両目が共にあらぬ方向を向いた学級長の生首が転がっていた。
「うわあぁっ!? なっなんで人形が急に爆発したんだ……?」
「打ち込み人形はこちらで破壊させていただきました。残念ですがフォルト様、時間切れです」
流石に声を上げた俺に、起きた現象についてフタバさんが説明を入れた。コツ、コツ、という音に振り向くと、彼女は大袈裟なヒールの音を自然な動きで立て、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきていた。
「えっ……時間切れって、そんなルールあったんですか……?」
「この試練は制限時間が設けられていることを、転生者に秘匿した状態で行われる様に規則で決められております。意志は口だけで殺戮の際に躊躇する者、猶予があると油断する者を振り落とすためです」
腰を上げた俺の3歩前、立ち止まったフタバさんが静かに俺を見つめる。
ずっと椅子に座っていたため分からなかったが、ヒールを履いていることを加味しても彼女は非常に背が高く、見下されることで生じる威圧感は“拷問官”と対峙した時を思い出させた。
「フォルト様。貴方の心構えは素晴らしく……そして間違っております。貴方の回答をお聞きした段階で、私は貴方がこの試練を突破することは十中八九ないと確信しておりました」
「間違いって……」
「数多の敵を殺しておきながら、平和の好機には武器を捨てる……そんな風見鶏そのものな考えを生まれつき持っていては、甘さを捨てられず戦乱の世で長生きすることは出来ないでしょう。価値観を主張するために付け加えたのだと思われますが、残念ながら適性評価を下げざるを得なくなりました」
言葉選びにおける俺の考えは見事に読まれており、そして完全に悪手だった。見繕ってはない本心がそもそも間違いだと伝えられ、背筋に冷たいものが走る。
「実際に試練に臨む際も、人形の破壊にすら躊躇い、必死に殺意を絞る様は先程の意志とは真逆の有り方で、とても見ていられるものではありませんでした。──試練は終了です、席にお戻りください」
「あっ……くぅ」
フタバさんが席に戻りながら再度の着席を促した途端、人形の残骸が音も無く消え失せ、液体で赤黒く染まっていた身体と床が綺麗に戻る。
どうにか試練の再挑戦をさせてもらえないものか懇願しようとしたが、転がっていた剣が塵と化したのを見て、最早その手段も断たれたのだと分かり言葉を失った。
(だいぶ評価を落としてしまったぞ……挽回のチャンスはこの先あるのか……?)
重い腰を上げて席に向かいながら、この後のことについて考える。元の世界への転生が許可されない可能性が高くなった現状は、「最悪」の二文字だけでは言い表せない程に酷いものに感じた。
この後の質問は受け答えの一つ一つがより大切になる。緊張感に包まれた俺が椅子に座るや否や、フタバさんは両手を組んで残酷に宣告した。
「結論から申し上げますと、フォルト様と元の世界との適性は非常に低いと考えられます」
「えっ? でもさっき質問はまだあるって……」
「確かにございますが、フォルト様がこの後の質問にどの様な回答をされたとしても、適性評価が大きく変わることはありません」
「ああ……そうですか」
思わず落胆の声が上がる。先程の試練は適性評価において思っていたよりも重要で、それに失敗した以上挽回の余地など与えられてすらいなかったという事実を瞬時には受け止め切れなかった。
「適性が低いってことは、どうやっても元の世界に戻れないってことですか……?」
「転生自体は出来ますが、フォルト様の性格や思考をそのまま引き継いで転生した場合、人格の統合から数ヶ月以内に死亡する可能性が非常に高いです。短期間での転生と死亡を繰り返すと、今後の転生局利用の際に希望の世界を選べなくなるため、今の状態のまま転生するのはあまり推奨出来ません」
「……今の状態のまま?」
最後の言葉に含みを感じ反復すると、フタバさんは絡めていた指を解き、右手の外側3本の指を立ててこちらへ見せた。
「現在、フォルト様が採れる転生の選択肢は3つございます。まず1つ目は元の世界への転生を放棄し、別の世界に転生する。こちらに関しましてはあくまで妥協案としてお考えください」
中指が折られる。この膠着状態を無視して手っ取り早く転生出来るが、こちらの要望──といっても他に候補の世界なんて無いのだが──は一切聞いてもらえないらしい。この選択肢を採ることはないだろう。
「2つ目は、一度フォルト様の魂を転生局にて預かり、希望された世界がフォルト様が生活するのに適した環境になるまで待機してからの転生です」
「魂を預ける……転生を待っている間は僕の意識ってどうなってるんですか?」
「こちらの方法を選んだ場合、シボウ者の意識は直前のものを保存します。そして転生する際にその意識をもとに記憶の継承を行うため、数千年が経過したとしてもまるで数時間寝ている間に済んだかの様に転生を行うことが可能です」
薬指が折られる。転生の要領自体は普通に転生するのと変わらないが、どれくらいの期間眠ることになるのかは運次第の様だ。
フタバさんが数千年という単位を例に挙げたということは、それくらいの期間待たされる可能性もあるのだろう。あまりにもギャンブル性の高い選択肢に、最早最後の選択肢を聞く以外考えられなかった。
「最後に3つ目ですが、私としましてはこれを選ぶことをおすすめします。時間を空けることもなく元の世界に転生出来るのは、3つの中でこの方法のみですので」
(つまりフタバさんはそれを選べって言いたいのか……?)
「この方法で転生する場合、フォルト様には今までの記憶を全て忘れていただきます。フォルト・ハイグローヴとして得た知識も育んだ人格も捨てて、完全に新たな人物として元の世界へ転生するのです。この方法は”心起幽座”と呼びます」
小指が折られたが、そんなことは最早どうでも良かった。フタバさんが勧めたことに耳を疑った。
転生するために記憶を全て消去する。それはつまり、フォルト・ハイグローヴという人格が完全に消滅する──今の俺としては完全に死ぬことを指していた。
「それが……記憶を消すのがおすすめだって言うんですか? 僕に死ねと言っているんですか?」
「はい。そうするのが今フォルト様が採れる最善最良の選択です。転生される世界の現状からして、フォルト様の記憶や人格に必要性がありませんから」
「必要無いって……適性が無くても、今の人格が完全に不用とは言い切れないじゃないですか!」
「では高林秋人様、貴方が人間として生きた16年間の記憶は、フォルト・ハイグローヴとして転生した後の人生で活かすことは出来ましたか?」
「えっ……例えば──」
「答えなくて結構です。今のは質問ではなく、確認です」
秋人の人生が、俺の人生に与えた意味はあったか。質問かと思った俺は記憶を遡り反論しようとしたが、追撃めいたフタバさんの指摘に遮られる。
「そもそも、今お聞きしたことが質問だとしても正解は無いのです。フォルト・ハイグローヴの一生の中で秋人様の経験、知識が役に立ったことは無いので」
「はあ!? そんな訳……」
「学業の際、問題を解くのに使ったのを言いたいのですか? そんなものは事前学習と何も変わりません。それしか例が挙がらなかった段階で、前世の知識を活用出来なかったことを自白している様なものですが」
「うっ……」
フタバさんが例に挙げた通り、この短時間の中で瞬時に思い出せたのはメーティス学園での座学の時間、それも魔界の専門的な知識が不要な数学や基礎科学の授業のみだった。武術を習ったこともなく、魔法なんてフィクションの中のものでしかなかった高林秋人の人生での経験則は、ファンタジーの世界ではほとんど役に立つことは無かったのだ。
「この様に、全く異なる世界において前世の記憶というものは不必要なのです。元の時代よりも更に時が進み、混乱した情勢の中に転生するのであれば秋人様の人格は更に時代錯誤なものとなり、最早邪魔なものともなるでしょう」
「邪魔って……」
「では秋人様、逆のパターンを考えてみて下さい。戦乱に明け暮れる世界に生きる戦士が戦いの最中に亡くなり、21世紀の日本の学生として転生したとしたら? その戦士の人格が、覚醒して間もなく殺戮を始める様な危険なものだとしたら?」
そう聞かれると、長机を下からすり抜ける様に半透明な画面が出現する。そこにはどこにでもある様な学校の教室が映っていたが、授業が行われている様子も、放課後や休み時間に談笑している様子も描かれていなかった。
まず、黒板の真ん中に亀裂が入っており、その下で教師と思わしき中年男性が背を壁に付けてうなだれていた。教卓の天板がひしゃげ、生徒の机と椅子が雑にその周囲で散乱しているという異様な光景を目にして、遠ざけたはずのマグカップから漂う香りが強めに鼻を掠める。
邪魔な机が端に追いやられ、広々とした空間となった教室の床には何人もの生徒が倒れている。その数はひとクラスの生徒数よりも明らかに多く、教室の隅には死体を積み上げて作られた山が出来ていた。
(悪趣味な……)
一体この地獄絵図を作り出したのは何者なのか。未だ正体の掴めない人物に釘付けになっていると、画面外の引き戸が動いた音が響く。そして重い物を引きずる音が聞こえ、頭から血を流した女子生徒の襟を掴んで運んできた男子高校生の姿が画面に映り込む。
死体の山の方へ女子生徒を投げ捨て、少年はこちらの視線に気付いたのかゆっくりと振り向く。返り血を指で拭りながら画面を見る少年の顔は、当時では全く見せることの無かった満面の笑みをした──
「俺……?」
「貴方がその人格を持って高林秋人としての十数年とフォルト・ハイグローヴとしての数ヶ月を生きてこれたのは、たまたま生まれ育った環境が良かったからだけなのですよ。次の世界において、貴方という存在はこれ程までに場違いなのです」
「ちょ、ちょっと待ってください、ここまで? ここまで世界が違うって言うんですか?」
「ようやく分かりましたか? 最早地獄と化した世界で、貴方の様な甘ったれた者が生きてゆくことなど不可能です。だからこそ、高林秋人でも、フォルト・ハイグローヴでもない、新しい人格に生まれ変わることが必須なのです」
フタバさんが見せた映像が俺と全く逆の転生というのならば、この”戦士”の様な残虐性を持った住人しかいない世界に俺は転生することになる。魔法と剣術のスキルが多少あるとはいえ、あの修羅達に囲まれて快く生きていける自信は湧いてこなかった。
この数分間で何度も突き付けられた、俺の人格の不適合。20年の経過で情勢が、人々の考え方がここまで変わってしまっている以上、元の価値観のまま転生するメリットなんて何一つ無いのだろう。
(でも……だからって死ぬのは……)
「ご決断されるのは難しいでしょう。心起幽座は本来、生前の記憶を後世に一切受け継がないことを希望された方へ提案する手法です。前世への未練が残り、今の人格への執着が続いている秋人様に非情な選択を迫っていることは、私自身十分承知しております」
(それって前世の記憶を引き継ぎたい人に勧める方法じゃないんじゃ……)
「元々あまり乗り気ではなかった転生です。ごゆっくりお考えください。心を落ち着かせて考えるために、何か飲み物でもお淹れいたしましょうか?」
(……飲み物?)
記憶の消去を俯き考えていたが、フタバさんの提案につい顔が上がる。動揺しながら彼女を見る視界の端に、先程から微かに鼻腔をくすぐり続けるマグカップが見切れる。
このマグカップは椅子に座ってすぐに出現したが、これはフタバさんが用意した物ではなかったのか?
「じゃ、じゃあ紅茶を……ストレートで」
「かしこまりました」
恐る恐るフタバさんに注文すると机の上に小さな光の柱が立ち、ガラス製のティーカップが湯気を立てて出現する。注がれていた淡い橙色の液体からは、確かに紅茶の香りが立ち込めていた。
「おかわりはいつでもご所望ください。転生を希望されるまで何度でもお出ししますので」
「は、はあ」
そう伝えると、フタバさんの前に大量の書類が出現し、彼女はそれを読んだり何やら書き込んだりし始める。どうやらフタバさんは俺が決断するまで相当の長期戦になると考えている様だった。
決断まで一人での長考を強いられることになった俺は、二つのマグカップを交互に見やった。先に置かれていたマグカップは、特に動いたり消えたりせずただそこに鎮座していた。
(これってフタバさんに見えてないのか? さっきずらした時も何も反応してなかったし……)
このマグカップのことを彼女へ伝えるべきなのか。そう考えながらティーカップに手を伸ばした途端、それを反対する様にマグカップの液体から発する臭いが強くなる。
肉を腐らせた様な臭いが何故コーヒーからするんだよと顔をしかめマグカップを睨む。視線の中央に入ったことに気付いたマグカップは臭いを弱め、大量に湯気を出して何かを描いた。
『声を出すな』
『飲むな』
(日本語……? 飲むなって……どっちを?)
『両方飲むな』
頭の中で浮かんだ疑問に答える様に、マグカップが湯気で俺に命令する。急にこの様な状況に陥っていることに理解が追い付かない。
(人格を消されないと転生出来ないショックで幻覚でも見てるのか……?)
『これは幻覚ではない』
(幻覚じゃないならなんだってんだよ……フタバさんが気付いてないのに……)
『このマグカップが発するものはあなたにしか感じ取れない』
『あなたの周囲に一時的に妨害障壁を設けた』
『あの者にはあなたの動きが見えないが、声は聞こえてしまう』
『だから声を出すな』
必死に自らが幻覚ではないと伝えてくるマグカップ。どうやらこいつにはどうしてもフタバさんに知られずに伝えたいことがあるらしい。
視線を前に戻すが、フタバさんは事務作業を続けている。こちらの動作を感じ取っていないのは本当の様で、マグカップが嘘を言っていない(書いていない)ことが分かった。
(とはいえまだ信用できないけどな……まさかマグカップ自体に意思があるとは思えないし、誰かがこれを通してメッセージを送っているんだろうか)
『それで合っている』
『私はその空間へ向かうことができないため、生成した物体を介しあなたと通信している』
(なるほど……で、わざわざマグカップを介してまで伝えたいメッセージって何なんです? どこの誰だか知らないけど)
『私のことは伝えられない』
『だが、あなたをそこから脱出させる方法を知っている』
(脱出? でも俺はもう死んでいて、転生する以外の選択肢なんて与えられてなんか……)
『あなたは間違った情報を伝えられている』
『その空間は転生局ではない』
『そしてあなたは死んでいない』
「んんっ!?」
あんなに釘を刺されていたのに、マグカップから表示されたメッセージに思わず声を上げてしまう。一瞬フタバさんがこちらを見るが、紅茶でむせたと勘違いしたのかすぐに顔を書類に戻してくれた。
(死んでいない!? じゃあここは”人界”だって言うのか!?)
『その通り』
『さらに言えば、あなたのいる位置はあなたが気を失う前と然程変化していない』
(それって……じゃあここは……この空間は……!)
『ここは”拷問官”の体内だ』
『あなたが受けていたのは転生のための手続きではない』
『拷問だ』
俯いた視線の片隅のフタバさんに焦点が絞られる。急激に喉が渇き、二つのカップに手を伸ばさないように生唾を飲む。
湯気を透過して揺らめく彼女の姿が、一瞬得体の知れないものに見えた。




