表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/75

魔王の訪問 前編

 火に掛けていたケトルがピィーッ、と甲高い音を鳴らし、それまで静かだったキッチンに小さな喧騒がもたらされる。私はポットの中のお湯を捨ててから深紅に染まった茶葉をティースプーンで2杯入れ、沸騰したお湯をポットに注ぐ。

 ポットに蓋をして紅茶を蒸らし、私は肩の荷が降りたかの様に一息吐いた。いつもと同じ淹れ方を正しく出来ていることに、途轍もない達成感を覚えていたのだ。

 私は食器棚の扉を開き、1つは客人用の、もう1つは父のティーカップを用意する。その両方に紅茶を淹れて、人数分用意した角砂糖と共に応接間へと運んだ。

「失礼致しますお父様。紅茶を淹れて来ました」

「ああエリス、君も座りなさい。これからする話は魔界全域に、僕達の家庭に関係する事だからね」

「いや、その必要は無い。というか話したい事があると言った私に、アリシア家の応接間なら誰にも邪魔されないと答えたのはお前だろうが、アルベルト」

 ノックをして応接間に入ると、足を組んでリラックスした姿勢で私に声を掛けた父と、両手を組んで腰を曲げ、静かに父を嗜める魔王様の姿があった。魔王様は普段お召しになられるものとは違う、装飾の無い暗い緑色のローブを身に着けており、自身のオーラを隠してこの屋敷に来られたのが分かった。

 フォルト君があの人間に攫われてから3日が経つが、魔界は依然として混乱の渦中にあった。武闘祭は後に控えていた剣術の試合を中止にしてその日の内に閉幕し、武闘祭の翌週から再開するはずだった学校も暫く休校となった。

 二つの世界を人質に取ったことで、魔王様には魔界中から批判が集まった。数多くの出版社からの取材交渉を避けながら我が家へ赴く為の格好がこのローブなのだろう。

「あれ、そうだっけ? 僕の家で話すならエリスを交ぜた方が良いかなと思ったんだ。君の奥さんも加えてさ」

「一対一で話すために提案したのだ馬鹿者。元参謀がそんなことも理解出来ないのはどうなんだ」

「まあそれはお互い様だね。ヴィンセントがちゃんと詳しく伝えてくれれば勘違いせずに迎えられたはずなんだから」

「ふん……悪かったな。まあそういう訳だエリス君、申し訳無いが君は自分の部屋にでも待機していてくれ。話が終わったらアルベルトが君を迎えに行く」

 魔王様がそう言う以上、私が応接間に留まる必要は無いのだろう。お盆を小脇に抱え込みながら、私は失礼しましたと会釈する。顔を上げた時に父と目があった。

 なんで僕が行かなきゃならないのさと文句を言う父だったが、その視線は私に向けられており、しかもウィンクをしていた。予想通りの展開になっていることに喜んでいる様だったので、私はふざけないで下さい、と釘を刺す様に眉を軽く歪ませてから応接間を出た。

 キッチンへ戻りお盆を置いて、私はスカートのポケットから金属製の小さな箱を取り出した。箱の表面には無数の穴と5つの突起が存在し、側面の2つの穴には先端が丸くなった2本の金属製の紐が繋がっている。その紐の先端を自らの耳の穴に片方ずつ入れて箱の中央の突起を捻ると、土砂降りを思わせる雑音の後に、父と魔王様の声が鼓膜に直接響き始めた。

『──しかし、まさかヴィンセントが僕に相談を持ちかけてくるとは思わなかったよ。僕に禁錮刑を言い渡してからの十数年間、君は使いの者をよこすばかりで、直接話す事はほとんど無かったからね』

『そうだな……この会談を取り付けるにも議会の承認が必要だった』

『なるほど。でも護衛を連れて来なくて本当に良かったのかい? 君が単身でこの家に入って、生きて帰られる保証は無いかもしれないんだよ?』

 別にそんなつもりも無く、ただからかう為だけの発言だった。しかし魔王様は父のその言葉を真に受けてしまったのか、通信から声が途絶える。一瞬この機械が故障したのかと勘違いする程に、それは短くて長い静寂だった。

 数秒後にその静寂を破ったのは、魔王様がゆっくりと吐いた溜め息だった。

『確かに、ここには何が仕掛けられているかは分からないな。この屋敷は言わばお前の城……さしずめ俺は単身で乗り込んだ憐れな王といったところか』

『まあそうだね。今更気付くなんて君らしくないな』

『だが断言しよう、お前は俺を殺しはしない。無論この紅茶にも毒は盛られていないはずだ』

 そう告げた後、カチャリと陶器のぶつかる音が鳴った。音の発生位置が父の手元──盗聴装置から離れていたことから、毒が入っていないことを裏付ける様に魔王様が紅茶をお飲みになられたのだと推測する。

 再び陶器の音が鳴り、魔王様の口が再び開いた。

『この十数年間、魔王軍はお前がさらなる謀反を企てていないか監視してきた。囚人の身であっても国の役に立ちたいと調合してくれた薬も、最初はただの毒と断定して処分していた』

『そうだね。最初の薬が審査されるまで相当時間がかかったのは良く覚えているよ。まっ、当然の報いなんだけどね』

『評議会はお前がまた別の計画を立てていると信じてやまず、俺が長期の観察を提案しなければすぐにでも処刑しようと考えていた。だが投獄から3年が経過した頃、流れが変わった』

 箱から流れる魔王様の声が更に低くなる。私は物音を立てないようにしながらその声を真剣に聞いた。

『エリスの体調が悪化して意識不明に陥ったと聞いて、すぐにお前は俺に交渉を持ち掛けて来た。娘の治療を行うことを許可してくれとな』

『エリスが血液嫌いになったのは、あの惨劇を目の当たりにしてしまったからね。自分の手でそれを解決しなければならないと思ったから相談したんだ。まさかすぐに了承してくれるとは思ってもいなかったけどさ』

重罪人おまえの子供といえどエリスは魔界の民であり、そして大切な息子の許嫁だ。何も動かずに国民を失うことだけは、王として俺は許せなかったのだ。お前の協力があれば停滞していたドラキニウムの研究にも発展が望めたしな』

(そんな事が……)

 貧血で倒れた幼い私を助けるために父が尽力したのは知っていたが、まさか魔王様もすぐに協力していたとは初めて聞いた。十年も前の忘れられた事実が、親友同士の会話で再び掘り起こされていた。

『強引に了承したお陰で、ヴィンセントの評判はまた下がってしまったけどね。君はエリスを助けることだけを考えていたんだなと今でも思うよ』

『それはお前も一緒だろう、アルベルト? エリスを失うことは、お前にとって絶対に考えられないことだったはずだ』

『確かにそうだね……彼女は僕にとって最初の、そして恐らく()子供だ。彼女を失うくらいなら僕は死んだ方がマシだ』

「最後……? お父様は何を言っているのでしょうか……?」

 母と死別してから数年経つが、結局今日まで父は再婚を考えたことが無かった。その立場上女性との出会いが全く無く、本人もその気が皆無だったから当然と言える。

 しかし今の父の声には今更再婚をする気は無いという思いの他に、まるで死が近いとでも告白しているかの様な、そういったニュアンスが含まれている様に感じた。

『昔話はここまでにしよう……今度はフォルト君を助ける番だ』

『……そうだな』

 父の発言について特に追及されることはなく、二人の会話はいよいよ本題に入った。私は先程の思わせぶりな発言の続きを聞きたくなっていたことに気付き、今はフォルト君のことだけを考えようと気持ちを切り替えた。

『フォルト君の誘拐から早3日……あの人間はちゃんと約束を守っているのかい?』

『一応だがな。人間連中も世界そのものを滅ぼしたくはないということだ』

『写真はどうやって送られてくるんだい? 本人は2週間後までこちらに来ないんだろ?』

『だいたい23時になると、俺の手元に写真が送られる。書斎に寝室、風呂場で同様の現象が起きていることから、奴は俺のいる場所に直接送る様にしているらしい』

『なるほど……その写真は持っているの? 良かったら見せてくれると嬉しいんだけど』

『残念だが、それは出来ない』

 好奇心に駆られた父は魔王様にフォルト君の写真を要求する。しかし魔王様は即座にそれを断った。

『写真は城の地下シェルターで厳重に保管している。それに内容が内容だ、フォルトのプライバシーに関わる代物を外部に見せる訳にはいかない』

『プライバシー、ねえ……だったらすぐに捨てた方が良いんじゃないのかい?』

『そうしたいのは山々だが、写真に“上級火炎魔法バーニング”に似た未知の魔法が付加されていることが昨日判明してな。恐らく写真が破壊されると魔法が発動する仕組みなのだろう』

『なるほどね……身の潔白を証明する絵を送ると同時に、相手に被害を与えられるということか。これは写真には何も付加せずに送れとか、釘を刺すような条件を提示しておいた方が良かったんじゃないかな?』

『忠告したところで奴らが写真に罠を仕掛けることに変わりは無いだろう。むしろ巧妙に魔法を隠すことで被害を広げることすら考えられる。“ランダールからの貢物”は有名だろう?』

 魔界と人界が“境界クロス”で隔てられておよそ300年が経ち、人界からの使節団が魔界を訪れた。彼らは魔界が交流を唯一許していた“境界”近郊の国“ランダール”の使いだと言って謁見したが、その貢物には当時の魔界では開発されていなかった爆発魔法が付加されており、その爆発に巻き込まれた当時魔王は下半身不随の大怪我を負ってしまった。

 当時の資料によれば使者達の正体は“帝国”で売られていたランダール出身の奴隷や殺人などの罪で投獄されていた囚人などであり、解放や恩赦を交換条件に魔界への攻撃に協力したと証言を残している。これを期に魔界は人界との交流を完全に絶つことを決めたため、ランダールからの貢物という言葉は2つの勢力が完全に隔てられた最大の要因として知られているのだ。

『いくら時代が変わろうとも、人間の狡賢さは変わらない。魔界と人界の争いが起こる度に狡猾さが増しているとさえ言えるほどだ』

『確かにそうだね……大昔に僕が見た戦いは、魔界を訪れた勇者達がそれまでに無かった技術で暴れ、魔王軍がそれに対応出来るか否かで勝敗が決まるものが多かったよ。あれも人類が魔界に技術を漏らさない様にする為の作戦だね』

『送るように命じた写真にしてもそうだ。フォルトの姿に異変は無かったが、あの“外交官”が素直に従うとは思えん』

『フォルト君の身体をバラバラにして、色々調べてから元に戻して撮影とかしてそうだよね。体内に爆弾でも仕込んでおいたりしてさ』

『ランダールからの貢物の再現か……フォルトの身を取り返す際に魔法が付加されていないか調べる必要があるな』

 写真に攻撃魔法が付加されているということは、何らかの形で交渉が成立して返されたフォルト君の身に攻撃魔法が付加されていてもおかしくはない。共倒れを狙う“外交官”への対策が検討された所で、魔王様が話題を変えた。 

『そういえば、あの人間が使っていた札の様な物は何だ?』

『ああ、あの薄い板のことかい? ちょっと待っててくれよ……』

 父がそう言うと、箱からガサゴソと擦れた音が発生した。どうやら父がこの箱に音を送る機械の近くで何かを弄っているらしい。

『聞け、魔界の民共よ! 貴様らの主君は我が手中に落ちた!』

 擦れた音が止み、続いて何かが空を切るような音がした。そしてその後箱から流れてきたのは、先日の武闘祭で競技場に響いたルシアさんの声だった。

『この機械はなんだ? スクリーンの様に映像を映しているが……』

『僕が開発した映像再生装置だよ。撮影装置から受け取った映像を保存しておいたんだ』

『……飛行撮影装置が用意していた数よりも多いと運営が騒いでいたが、お前の仕業だったのか』

 高速で音声が流れ(装置に映像を速くする機能があるのだろう)、それに魔王様のぼやきが重なった。

『まあまあこれくらい良いじゃないか。僕だっていい加減、武闘祭の観戦がしたかったんだよ』

『観客席に装置を墜としていたら犯した罪が増えていたようなことをこれくらいで済ませるな馬鹿者。運営に報告しておくからな』

『罰金くらいなら幾らでも払うさ……おっ、そろそろ問題のシーンだよ』

 父が反省の言葉を述べたところで音声の速度が元に戻り、再び外交官の声が反響する。その音声は彼女がフィールドに“境界クロス”を生み出し、フォルト君と共に“人界”へ戻ろうとしていた場面のものだった。

『この板のことでしょ?』

『そうだ。見たところ“魔出符”に似た魔法具に見えるが、その割には内包する魔力を妙に多く感じてな。一時的に“境界クロス”を競技場に出現させる程の魔力があの板一枚一枚に収められているようだが、その様な魔法具の開発がされているという報告は無かった』

『なるほど……確かにあんなことやってのけるとしたら、考えられるのは板が余程魔力の備蓄に長けた素材で作られているとしか考えられないね。もしくはあの人間が大賢者の転生体みたいに大量の魔力を持っていたとか』

『だが転生体はこの前侵入した勇者一味の魔術師がそうであり、あの魔術師を始末した以上大賢者が再び転生するまでに時間がかかるはずだ。それに匹敵する程の魔力を持つ者が生まれることもあるだろうが、そんな人物を政治の役職に就かせる様な事を“帝国”がするとは思えん。奴の魔力の源はこの魔法具にあるのだろう』

 今日までの争いの歴史と自身の経験則から、“外交官”の魔力について魔王様が推測する。その言葉の奥底には絶対的な確信が込められていた。

『“密偵隊”に奴の素性について調査を頼んでおいたが、報告がいつになるかは不明だ。何か正体の手掛かりとなる様な情報があれば良いのだが……』

『手掛かりねえ……その候補となりえるのもまたこの薄板くらいかな』

『……ん? どういうことだ?』

 父がそう呟くと魔王様はすぐに言葉を返さず、数拍置いてから聞き返した。

『ああ。“外交官”が使ったこの板、よく見ると青い模様が浮かんでいるだろ? どこかで見たことがあると思っていたら、ついこの間まで持っていた物にそっくりだったんだ』

(あの板がそんな効果を……?)

 会場で見た際は遠かったためによく分からなかったが、父が言うには“外交官”が使っていた薄板は私達がルシアさんに調べてもらうために集めていたあの板と同じ物らしい。どこかに保管していると思っていたが、手元に隠していたのだろうか。

『持っていた……つまり別の者に渡したのか』

『そう……エリスにね』

『なるほど……』

『どうもクラスメイト達の家に落ちていることが多いらしく、まとめて魔王軍に調べて貰おうと集めていたんだとさ』

『それで、その後薄板はどこへ行ったんだ?』

『渡した後どんなルートを辿ったかは知らないけど、恐らくフォルト君に渡ったんじゃないかな。それでその後ルシアとかいう従者の手に渡ったんだと思うよ』

 父がそう答えた途端、機械を通して伝わる応接間の空気が更に冷たくなった様に感じた。音しか判断材料は無かったが、魔王様の沈黙がそう物語っていた。

『あれ? もしかして言っちゃ駄目だったのこれ?』

『…………詳しく聞かせて貰おうかエリス君。この板を集めた経緯と、その後誰に渡したのか。そして何故そのことを教えてくれなかったのか。これはフォルト奪還に繋がる大事なことだ……』

『しかも盗聴バレてるし……おーいエリスー、早めに来ないと魔王様機嫌わるグベエッ』

 こちらへ呼び掛ける父の声が鈍い音で遮られ、その後バタリと床に倒れる音が流れる。続いて魔王様が何やら父に向けて怒号を発したが、音声を取り込む装置に不具合が生じたらしく、魔王様の声は雑音にまみれて良く聞こえなかった。

 聞くに耐えない騒音を治めるために機械を止めた私は、騒音を近くで聞いて脳を揺らされたためか、はたまた唐突な招集を命じられたためか痛む頭を抑えた。

「魔王様に何も報告してなかったなんて聞いてないですよフォルト君……私だってあの板について知りたいことは沢山あるのに……」

 両耳から外した紐を機械に巻き付けてテーブルに置いて、今現在囚われの身となっている彼の顔を思い浮かべ溜め息をついた。そして大事な事を全く話していない彼に悪態を発しながら、私は魔王様に伝える内容を必死に考える。

(あの板が見つかった場所と、それを集めることになった経緯と……)

 例え微々たる量の情報でも、自分が知っていることを全て教えれば何か“外交官”の手掛かりに繋がるかもしれない。そう信じ記憶の中からあの板に関連する情報を探していく。元々知っている情報が少なかったので、1分も経たないうちに全ての情報を思い返し終えた。

(これで良し……お父様が再起不能になる前に行きましょう)

 説明の大まかなプロットを脳内で構成し、私は椅子から立ち上がった。そして魔王様に事実を伝えるために応接間へと向かうのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ