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十日目:突然の閉幕、混沌の開幕

ご無沙汰しております。おおよそ半年ぶりの更新となります。

 フォルト君とジョー君の試合が終わってから、会場は困惑に支配されていた。試合終了後にフィールドを包む様に発生した黒いバリアの中に、フォルト君とジョー君、更にガアク先生達審判が閉じ込められてしまったからだ。

 原因を調査中のため席から離れないで下さいと放送が流れ、フィールドの最大外郭を囲む様に私達が見知っている方のバリアが3重に張られる。見ただけで非常事態と分かる光景に、私達は座席に待機したまま不安だけを募らせていた。

「運営や魔王軍の人も困惑されているということは、どうやらパフォーマンスではないみたいですね」

「まあそうだよね。こんな大会のテンポを乱す様なパフォーマンス、企画段階でフ……君が断るだろうし」

「しっかし、何なんだろうなあのバリア? ああも真っ黒だとアイツらの状態が全く見えないぜ」

「そうですね……あれっ、ジョー君が出てきましたよ!?」

 エマさんが驚いて指を差した方向を見ると、ジョー君がバリアに波紋を浮かばせながらバリアから脱出する姿が見えた。すかさず警備員がジョー君の元に近付き、彼の身柄を確保した。

「なんだ、出られるのか。これなら他の奴らも大丈夫だな」

「いや、それだったらジョー君と一緒に出て来るはずだよ。あるいは全員出られないはずだ」

「バリアを出現させた者の目的はだけなのでしょう。動機がいくらでも考えられます」

 次期魔王であるフォルト君を人質とすれば、それが受理されるかはともかく政治への干渉や身代金の要求などの脅迫材料になるはずだ。

 それにこの競技場のVIP席には魔王様がいる。息子に突然危機が迫った時の彼の対処を公に見せることで、その時の対応の良し悪しから魔王様の支持率に影響を与えることも出来る。今現在この競技場は、今後の魔界の行く先を変える起点となっていた。

「でもそれじゃ、ジョーを出した理由が無いんじゃないか? アイツだって親の地位が高いんだから脅迫材料になるだろ」

「そうだよね。目標が一人だけなら、ジョー君と一緒にガアク先生達もすぐに追い出せば良いのにしていないしね」

 誰によってバリアが張られ、どうしてジョー君は外に出られたのか。そんなことを4人で考えていると、それまでどんなに警備員に質問されても反応を示さなかったジョー君の口が突然開かれた。

『…………ル』

解けよ(セレール)……?」

 ジョー君の声は普段の彼からは想像がつかない程小さく、観客席からは全く聞こえなかった。しかしスクリーンにはジョー君の口元の動きがくっきりと映っており、それを眺めながらニクス君が呟いた。

 その瞬間、黒いバリアの表面の数ヶ所に白いひびが入り、それぞれ放射状に拡がり始める。

「ええっ!? ジョーが解除したのかよあれを!?」

「どうやらその様ですね。でもあの方法で解除されるのは自身が唱えた魔法だけのはず……」

「じゃあジョー君があのバリアを出したってことになるの? 一体何の為に?」

「でもこれで皆さん外に出られますね。この後の試合は明日に延期になりそうですけど……」

 毛細血管を思わせるほどに細かくひびが入ったバリアが遂に限界を迎え、音を立てて割れ始める。

「フ、フォルト君!?」

 粉々に砕けた黒いバリアの破片が落下しながら消えていく光景の中心を見て、私は思わず立ち上がった。

 フィールドには地面に倒れているガアク先生達と、それまで近くにいなかったはずなのに何故かいるルシアさん、そして虚空から伸びている黒い鎖によって四肢を繋がれて空中に捕縛されたフォルト君の姿があったのだ。



「な、なんだあのフォルト様の姿は!?」

「一体どうなってるの!? 変な鎖に繋がれているわよ!?」

 黒い半球形のバリアが消滅し、競技場の至る所から叫ぶ声が上がる。フィールドの中心で突然起こった現象は、それまで武闘祭の熱狂に盛り上がっていた観客達に一瞬にして底知れぬ恐怖を抱かせた。

「ね、ねえカルマ君、フォルト君の横にいるのは誰か分かりますか……?」

「あれはルシアさんだ……フォルト君のお目付け役だよ」

「そのルシアさんが何故アイツの横に立ってるのかが分かんねえな……いつバリアの中に入ったんだ?」

「それも分かりませんね……でも、何だか嫌な予感がします。フォルト君の身に何か起こりそうな気がして……」

 カルマ達はフィールドの異様な光景に不審感を抱きながら、目の前のバリアに阻まれて何も出来ないことを惜しんでいた。特にエリスは左手でバリアを割ろうと強く押し付け、フォルトに近付けないことに怒りを露わにしていた。

「おい、運営側は何をやっているんだ! バリアを解除するよう命令したんじゃないのか!?」

「そ……それがレオン隊長、運営側はバリアの解除を試みたのですが何故か解除出来なかったそうです。魔術師部隊の調査によれば、どうやら第三者の手によってバリアの上に魔法生成物硬化の付加魔法をかけられてしまった様で、解除には今しばらく時間がかかるそうです……」

「よりによってこんな時に……誰だそんな魔法を唱えた馬鹿者は! 悪戯にしては質が悪過ぎる!」

 緊急事態にいち早く動き始めた魔王軍親衛隊長レオンは、突撃を阻むバリアが解除されないことに苛立ちを覚えていた。

 あらゆる感情の籠もった視線を周囲全方位から向けられたフィールドでは、四肢を空中に繋ぐ鎖を外そうともがくフォルトの姿があった。そんな主の姿を、ルシアは何の感情も持たない目で眺めていた。

(ちょっ、ルシアさん!? 何なんですかこれは!?)

(それはこの世界最硬度を誇る金属、クレバライトを加工した特製の鎖でございます。バリアの解除を行う際に動かれては危険でしたので、空間を曲げて魔王城の地下廊に繋がれている物を繋げさせてもらいました)

(それなら早く外してくださいよ! バリアはもう解除されたんだから鎖はもう必要ありませんよね!?)

(残念ながら、それを外す訳にはいきません)

(なっ、なんでですか!? こんなに大勢の人に見られているというのに解除を渋る意味が分かりませんよ!?)

(…………)

 この状況を打開しようとフォルトは必死にテレパシーを送るが、斜め3メートル下にいるルシアはそれに応えようとせず、最終的にはフォルトへ返事をしなくなった。そして困惑したフォルトの前に立ち、両手を腰に当てて高らかに発声した。

『聞け、魔界の民共よ! 貴様らの主君は我が手中に落ちた!』

「なっ……ルシアさん……!?」

 ルシアの声は放送機材を使用していないのにも関わらず競技場全体に反響し、全ての聴衆の動きをルシアに視線を向けることに統一させた。突然の言葉に硬直した観客達は、フォルトの身に起きている危機に遅れて気付くと一斉に騒ぎ始めた。

「お、おいテメェ! フォルト様に何をしているんだ!」

「訳の分からないことを言ってないで、フォルト様を解放しろ! お前がやっていることは、テロ以外のなにものでもないのだぞ!」

 血気盛んな一部の観客や警備隊員がルシアに罵声を浴びせる。その気迫は凄まじく、バリアが無ければ彼らはルシアに詰め寄っていただろう。

 しかし……

『黙れ』

 ルシアがそう口に出した途端、怒りのままに叫んでいた者達の声が一斉に止んだ。それ以外の声が一瞬にして騒然へと切り替わる。

 叫んでいた観客達は自らの口が自分の意思に反して閉じないことに気付き、何とか元に戻そうともがく。他の観客達は各所から突然発生した呻き声に、今度は一体何が起きているのかと困惑したのだ。

『静かにしろ下等生物共。必要以上に騒ぎ立てることは自らを危険に晒すことだと知れ』

 観客達はルシアがそう告げたことと実際に起きた制裁という二つの情報によって、彼女の力で一部の観客が苦しめられていることに気付いた。それと同時に次に騒いだ者は更に苦痛を伴う仕打ちを受けると悟ったので、反対側の観客席まで届く様な大声を出す者はいなくなった。

『私は“人界”の大国デストラーン……貴様らが呼ぶところの“帝国”の外交官を務めている者だ。皇帝陛下より託された命を果たす為、辺境の土地であるこの“魔界”に来た』

 “人界”と“帝国”──宿敵を表す2つの単語が発生したことに人々の困惑は更に大きくなった。いつの間にヒトが魔界に侵入していたという事実に、観客席の誰もが言葉を失った。

『私の目的は、皇帝陛下の伝聞を魔王ヴィンセントに伝えることである。魔王がこの場に出てくるのであればこいつを解放しよう』

『ル、ルシアさん、何を言っているんですか!? ふざけるなんてあなたらしくないですよ!』

 これまで驚きの表情を向けたまま何も発せないでいたフォルトの素の声が、ルシアの声同様に何らかの方法で拡散する。困惑の入り混じったその声が、観客達の不安を一層際立たせた。

(何とか言ってくださいよカウンセラーさん! クビにされてしまいますよ!?)

 謎の言動の真意を聞こうとフォルトは身体の内外でルシアに向かって吠える。そんなフォルトの思いが通じたのか、振り向いたルシアはにこりと笑みを見せて彼に近付いた。

 声が届いた、とフォルトが安堵したその途端、フォルトの鳩尾にルシアの拳が1つ叩き込まれる。

『がはっ……!』

『静かにしろと言ったのが分からないのか? 魔王の息子と言えど所詮は下等生物か……』

『ル、ルシアさ……』

『今この身体は私が支配している。ルシアと呼んだ女の意識は、私の意識に淘汰されていくだろう』

 ルシア──正確には彼女の身体を操る”外交官”なる人物──がそう言い終えるとほぼ同時に、フォルトは困惑した意識を手放した。従者から主君に向けての暴行の目撃者となった数万の観客達の中から、再び怒号が発生する。

「フォルト様に何をするか貴様ーっ!」

 フェードアウトする音と共にバリアが解除され、一部の観客が一斉にフィールドへ雪崩れ込んだ。その全員が、フォルトに暴力を振るった”外交官”の拘束を目論んでいた。

『──“隆起せよ(フィルプート)"』

 向かってくる軍勢を一瞥し、“外交官”は高速詠唱を行った。一秒も経たずしてフィールドの地面が突然盛り上がり、いち早く”外交官”に近付いていた者達が地盤から飛び出した高さ10メートルもの巨大な岩や土塊に吹き飛ばされる。

 これまで保たれていた均衡がバリアの消滅と共に崩れ去り、競技場全体を混乱が埋め尽くした。観客達は”外交官”の圧倒的な魔力に気圧されて競技場から出て行こうとする者と尚も対抗意識を燃やしフィールドに入ろうとする者に分かれ、観客席では彼らの衝突やすれ違いによって生まれた喧嘩が至る所で発生していた。

「放してください、フォルト君を助けるチャンスなんです……!」

「いや学級長落ち着けって! 今のルシアさんはどう見ても様子がおかしい、近寄るべきじゃねーよ!」

 フィールドに入らない様にと緊急放送が流れ、警備隊が陸と空から観客の喧嘩の仲裁や避難の誘導を行う。しかしそれでも対処しきれない人数の観客がフィールドへ突入し、“外交官”とフォルトを囲む岩をよじ登る。

 “外交官”は“地盤隆起魔法”を唱えてから何も喋らず、目を閉じて魔王の気配を探索している。傍から見れば環状に隆起した岩の中心で瞑想している様だが、その意識は近付いた者を一瞬で殺せる様に鋭く尖っていた。

 観客達の中には状況を飲み込み切れていないがためにフィールドに入ることも避難もせず、ただ“外交官”を怯え眺め続ける者もいた。その者達だけが、“外交官”に近付いた者がどうなるのか勘付いており、彼らを止めたいと思っていた。しかし異界からの訪問者が恐ろしく、どうも二の足を踏めない。

 不甲斐ない自らを悔やみ、降りろ、それ以上登るなと悲痛な叫びを上げながら、彼らは岩山を最も高く登る観客を見つめた。無数の声を無視してその観客は遂に岩山の稜線へと手を掛け、斜面を滑っていく──


『──“引き返せ(ククァバルトゥン)”』

 その言葉が響いた途端、フィールド内にいた全員の動きが一瞬止まり、それまで行ってきた動作を動画が巻き戻される様に逆順に行い始め、そのまま観客席へと戻っていく。

 それと同時に、“外交官”が隆起させた大岩も地殻変動が起きたかの様に地面に沈んでいく。“外交官”は前触れも無く視界が元に戻ったことに眉をひそめた。

(これは……)

『観客諸君よ……ここは私に任せ、速やかに避難したまえ。避難経路は各通路横、またはパンフレットの裏表紙裏に書かれているぞ。近くにいる警備に誘導してもらうのを推奨するがな』

 突然反響した音に“外交官”が振り返ると、彼女から50メートル程離れた前方の空中で魔王ヴィンセントが空中に浮かんでいた。

 頭に装着したヘッドセットマイクを使い民衆へ避難を促すと、腰に携えた剣を左手で抜き、それまで作っていた薄ら笑いの表情を徐々に強張らせて“外交官”を睨んだ。

『人質を取って交渉に出るとは無礼甚だしいな、人界の外交官よ……これが人界における最上の礼儀なのかね?』

『これはこれはヴィンセント殿……遅い登場とは随分と英雄を気取っておられて……』

『何とでも言うが良い。して、貴公ら“帝国"の目的は何だ?』

 息子を人質に取っておきながら無表情で飄々と皮肉を言う“外交官”に、魔王は敵意を剥き出しにして返した。

『この度我らが皇帝陛下は60歳を迎えられ、帝国軍はその記念パレードを催し兵を人界中に行軍させることを決定した。そのパレードでこの魔界にも行軍したいと外交大臣閣下が提案されるので、その交渉をする為に私はこの地を訪れたのだ』

 “外交官”が告げた内容に、避難の最中であった観客達は驚愕した。先の勇者の侵攻で軍力が弱まっている魔界に夥しい数の兵がやって来るということに恐怖を感じたのだ。

 短時間の沈黙を挟み、人界からの訪問者の言葉の意味を理解した魔王は呆れた様に口を開く。

『つまり、デストラーン帝国による魔界への宣戦布告ということか』

『言っておくが、陛下に戦争をするつもりは無い。兵士に武器は護身用の剣しか持たせず、魔法も緊急防御用の類いのみ使用すると決定している』

『ふん、魔界以外にも貴公らデストラーン帝国を憎む国はあるだろうに、非武装のパレードを催すとは稚拙な嘘を吐くものだな。くだらない催事はくだらない世界のみで行うべきだと伝えておけ』

 ヴィンセントがそう告げて右手を横に出すと魔王親衛隊の一部がフィールドを囲む様に動き、全員が腰の剣を抜き“外交官”に刃を向けて構える。再び魔王から命令が下った瞬間、“外交官”へ一斉に攻撃する様だ。

『用が済んだのなら、フォルトを解放し魔界から去れ。神聖な競技場を穢れた血で汚したくはないのでな』

『集団で剣を向けて帰れと脅すとは、魔界の礼儀も考えものだな。私が賜った使命はもう一つ……この小僧はその交換条件だ』

『交換条件? 敵国にまで金を無心するつもりか?』

『金など要らぬ。我らデストラーン帝国が求めているのは剣……“ヴァリアンツフラッシャー”だ』

『──ッ!」

 “外交官”が一本の剣の名を告げた途端、ヴィンセントは言葉を失い右手を真一文字に振った。その合図と共に親衛隊員達が突撃するが、“外交官”は彼らを軽々といなしてゆく。

『フォルトと引き換えに“聖剣”を譲れだと……!? 姑息な真似をするものだな、人間よ……!』

『驚いたな……皇帝陛下に聞きし高潔なる貴公ならば、一言で剣を譲り息子に未来を託すと見ていたのだが……』

『ふざけるな! あの剣は我が国の繁栄に必須である宝剣だ! それを譲るという、一国の王が民を蔑ろにする様な行為を出来るはずがなかろう!』

『では、息子の首を帝国に献上すると言うのか? 無駄に子煩悩な貴公にはそれも出来まい』

『ぐっ…………』

 これまで毅然とした態度を保っていたヴィンセントだったが、“外交官”に第二の交渉を持ち掛けられてからは明らかに冷静さを失っていた。慇懃無礼なだけで言葉の重みも感じられない“外交官”の言葉に、一対一の対話におけるイニシアチブを握られてしまっていた。

 競技場内外から様子を見ていた国民達は、不吉な宝剣が人の手に渡った時起こるであろうことに恐れ慄いていた。魔王が現在と未来──自らとフォルトのどちらを選んでも、魔界に重大な損失を与えることには変わりないからだ。

『…………』

『──やれやれ』

 黙り込んで選択を考えるヴィンセントに、ひとしきり親衛隊を抑えていた“外交官”は挑発する様に首を振った。

『貴公がそれほど悩むのならば、我々は人類は魔界に決断の猶予を与えよう。いやこの場合、与えるが正しいのかもしれんが』

『猶予だと?』

『我々としては一秒でも早く貴公の返答を聞きたいところだが、急いては事を仕損じる……私が帝国を代表して、その為の時間をやろうと言うのだ』

「貴様ーっ! 人間の分際で魔王様に助言するつもりか!」

「やめろヴァイン、止まれ!」

「うおおおおおおお!!」

 その物言いに激昂した親衛隊員ヴァインが、仲間の静止も“外交官”へ接近する。飛び上がってからの怒りに任せた一振りは“外交官”の脳天へ狂い無く向かうが、その剣は空中で先端から塵になっていき、ヴァインは“外交官”の蹴りを喰らい他の隊員を巻き込みながら吹き飛んで行った。

 “外交官”は何も無かったかの様に交渉を続ける。

『期限は14日後……再び私がこの地を訪れるまで。それまでに答えが出なかった場合は、小僧の首を斬らせてもらう』

「その間フォルト様をどうするつもりだ!? 貴様らの“帝国”にでも連れて行くのか!?」

『デストラーン帝国ではないが、“人界”のある場所に幽閉するつもりだ。安心しろ、捕虜を傷付けるつもりは無い』

「くっ……!」

『二週間は簡単な二択問題を解くには十分過ぎる期間だ……どうだろうか、貴公らにも悪い話ではあるまい』

『…………』

 魔界の未来を左右する交渉にヴィンセントは、首を傾けて応答を促す“外交官”を見て、それから目を瞑り熟考を始める。彼が再び目を開き答えたのは、それから3分が経過してからだった。

『人間共に情けを受けるとは屈辱だな……だが最良の選択をする為には、受け入れるしかない……貴様の交渉を受けよう』

『決まりだな。ならばこれ以上この世界に用は──』

『ただし、貴様にもこちらからの要望に応えてもらう』

『何……?』

 “人界”へ帰還することの宣言を妨げられ、“外交官”は首を傾げる。それを見たヴィンセントは左手の剣を“外交官”へ向け、ゆっくりと要望を述べる。

『私からの要望はただ一つ、貴様が再び“魔界”を訪れるまでの14日間、フォルトの安否が分かる姿を撮った写真を送ってほしい。紙の種類は何でも良いが、とにかく一日一枚を二週間だ。それが一日でも送られない、またはフォルトが傷付けられたと分かった場合、貴様が交渉条件を破ったと判断し、“聖剣”を“奈落の雲海”から魔界の外へ廃棄する』

「きっ、禁断の地に“聖剣”を!? それはあまりにも危険な要望ですが、本当になさるつもりですか魔王様!」

『ああ勿論本当だ。もっとも、これは禁断の一手だから使いたくは無いがな』

 焦りを見せた親衛隊員を窘めて、ヴィンセントは続けた。

『2つの世界のどちらでも無い空間に繋がる“奈落の雲海”……そこに“ヴァリアンツフラッシャー”へ捨てると脅すとはな……だが、我がデストラーン帝国がそれだけの脅迫に屈すると考えているのか? 残念ながらその答えは否だ』

『確かに、悪名高い“帝国”ならば異空間に落ちた剣など幾らでも探せそうだな。だが、貴様らがそれを探すことなど不可能だ』

『何だと?』

『現在我が城にて眠る“聖剣”には、ありとあらゆる魔法が掛けられた箱に封印されている。その魔法の中には禁術と呼ばれる様な危険な代物もあり、そのため箱の中は膨大な魔力のエネルギーが溜まっている』

『それがどうした?』

『“奈落の雲海”に物体が落ちると、その物体に内包されたエネルギーが爆発するという実験結果がある科学者によって発表されている。そこで問題だ、その空間にエネルギーの塊──“聖剣”を入れた箱を落としたら、どういった現象が起こると思う?』

『……落とした瞬間、“人界”と“魔界”、その双方を崩壊させるほどの爆発が起きる』

『正解だ。拾う前に全て消えるのだから、探すことは出来ないということだな』

 ヴィンセントがそう言い切り、観客達は自分達にも訳の分からない危機が迫っていることが分かり呆然とする。

 そんな中、自爆覚悟の要望を突き付けられた“外交官”は数刻黙り、表情に貧しいルシアを顔を酷く歪ませてニヤリと笑った。

『なるほどな……全く、魔界の住民はつくづく性格が悪いな……良いだろう。その要望に答えよう』

『ありがたいな。“人界”からのフォトメッセージが途切れないことを祈る』

『忠告感謝する。だが、人質はこれから14日間、我らの下にあることをゆめゆめ忘れるな』

 “外交官”がそう言うと、ルシアの衣服の中へ右手を突っ込み、一纏めにされた板、パペットボードの束を取り出して空中にばら撒く。

 22枚のパペットボードは自由落下した後に“外交官”の胸元で静止し、それぞれ一文字ずつ、魔界の住民には読めないアルファベットが浮かぶ。全ての文字を繋げると、パペットボードはヴィンセント側から見て“Open the dimensional door”という英文を作っていた。

薄板はくばんよ、その力を開放せよ!』

 “外交官”がそう叫ぶとパペットボードの文字が輝き、“外交官”とフォルトの足下に、“境界クロス”のものを縮小した魔法陣が浮かび上がる。それをヴィンセントが認知した瞬間、魔法陣から一本の光の柱が飛び出した。

 その至近距離の眩しさに魔法陣を囲む魔王と親衛隊は目を隠し、“外交官”とフォルトから視線を反らす。彼らが再び中央を見た時、そこに二人と魔法陣の姿は無かった。

 突然出現しては失踪した“外交官”を巡り、親衛隊員達は捜査を始める。その傍でヴィンセントはフォルトとジョーの試合が終わってから変化の無いフィールドを眺め、咄嗟にこの世界を揺るがす交渉をしてしまったことに今更ながら後悔していた。

(これは、アイツの助言も必要なのかもしれんな……)

 ふと視界の片隅に見えた息子の許嫁から、ヴィンセントはかつて自らの命を奪おうとした参謀に思いを馳せていた。“人界”から現れた混沌は、武闘祭と“魔界”を混乱へ陥れて消え去って行った。

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