閉じられた“境界”と竜騎士の帰宅
三ヶ月待たせて申し訳ありませんでした。
翌日の三限が始まる前、俺はD組を訪ねた。休日の合間を縫って得た知識を携えて、デイジーさんと“バンデージ・ウィップ”談義をするためである。
相手の都合も聞かずに誘ったのはちょっと独りよがりな所があったなと思ったが、幸いなことにデイジーさんは快諾してくれた。やはりこの前何巻まで読んだか聞いてきた段階で話したかったらしい。
「フォルトさんが読んでいる七巻まででの私のお気に入りのシーンは十七話ですね。今まで倒されてきたのが地方の下っ端だったとはいえ、次々と邪魔をしてきた戦士エイドの元へついに闇領帝国軍が最初の刺客を送り込んで来る回の冒頭です」
「草原に着いたエイドの頭上にいきなり無数の槍が飛んで来るところだっけ? 本当に攻撃が唐突過ぎてこっちが驚いたよ」
「あのシーンは一点透視図法を活用することで遠近法を強調しているんです。更に右側のページにそれを描き、開けた土地に訪れてすぐに強襲を受けたエイドと読者の心理を同調させているんですよ」
「へ、へえ~……」
デイジーさんは自分の趣味となると途端に饒舌になるらしく、ご覧の様に己の知る全てを使うかの様な勢いで話す。興奮気味で、語間の三点リーダも無くなっていた。
彼女がハキハキと喋る姿は新鮮なものだが、周囲が特に騒がない辺りD組では日常の一コマなんだろう。漫画については少なくともメリルさんという話し相手が同じクラスにいるんだし。
「ところで、フォルトさんはどの登場人物が好きですか?」
「えーっと僕はエイドが好きだけど、デイジーさんは?」
「私もエイドは好きですが、一番好きなのはクロノレイン王です。一国の主でありながら民衆と共に第一線で戦う彼の姿には魅力が溢れています」
主人公エイドの生まれ育った国の王で、エイドに闇領帝国軍の調査と計画の阻止を命じたその本人か。女性受けしそうなキャラだけど、ちょっと俺は苦手だな。というのも──
「クロノレインと僕ってそんなに似てるかな?」
「どうしてそう思うのですか……?」
「だってほら、あのポスターの僕って彼と酷似してる(ていうかそのまんまだ)からさ。あのイラストってバンデージ・ウィップの作者さんが描いたんでしょ?」
「……ええ、武闘祭の実行委員で美術部でもある私が母に依頼をしました」
「えっ、そうだったの?」
デイジーさんの母親が作者だったとは、魔界ってかなり狭いんだな。まあ俺も魔王の息子だし、魔王親衛隊長の息子や元魔王軍参謀の娘もこの学校にはいるんだから普通なのだろうか。
そういえばこの前デイジーさんの家に行った時も親御さんの姿は見えなかった。あのマンションの部屋は奥にも部屋があったけど、あそこが仕事場だったのか。
「じゃあデイジーさんがああいう風に描いてって頼んだんだ?」
「えっ……その、母はフォルトさんの顔を知らなくて、どういったタイプの顔なのかと私に聞いてきました。しかし私もその時はフォルトさんとの直接的な面識は無かったので……えっと、ほとんどお任せで描いてもらったところ、あのポスターのイラストが出来たのです」
「そうだったんだ……」
「私は良いと思うし、周りの人からは概ね好評なのですが、フォルトさん本人は実際に見てどうでしょうか……今の私ならフォルトさんの姿形もよく分かりますし、もし気に入らないのでしたら、描き直すよう母に頼みますけど……」
「ええっ!!? いやっ、そんなこと頼めないよ!?」
デイジーさんにそう聞かれた俺は慌てて否定した。
「べ、別に良いんじゃないかなそのままで! 充分似ていると僕は思うよ?」
「しかしフォルトさん……先程ポスターを見た時にあなたが一瞬見せた表情は、褒めた顔にはとても見えませんでしたが……」
「きっ、気のせいだよそれは!」
「それに幾つお褒めの言葉を頂いたとしても、クロノレイン王とフォルトさんとでは違うことに気付いた私としてはやはり手直ししたいのです……幸いまだ校内にしか貼り出していないので、一日あればすぐに貼り直せますから……」
母親に依頼しているだけあって、デイジーさんは中途半端なポスターにはしたくないらしい。作家の娘としてこだわりがあるのだろう。
しかし時間があるからと言って、デイジーさんを独断で行動させる訳にはいかない。武闘祭一ヶ月前という、個人がそれぞれピリピリと緊張し始めた時期に私情で仕事を増やせば混乱も起きるかもしれないし、デイジーさんの対人関係に傷を付ける事もあり得るだろう。
「……大丈夫だって。あそこまで格好良く描かれているんだったら変える必要があるのはデイジーさん達じゃないさ」
杞憂が現実に変貌する前に、彼女を説得する必要がありそうだ。俺は先程のデイジーさんに対抗する様に口を開く。
「デイジーさんはポスターをお母さんに頼んでから、僕の面と向かって会話するまで――先週まではあのイラストでOKだと考えていたんだよね? じゃあ、変更しようと考えた理由って何?」
「それは……直接フォルトさんと話す様になって、クロノレイン王とはまた違う印象を持つようになったからです。フォルトさんは彼よりも柔和な感じで、クロノレイン王の様なあのイラストとは全然違っていたので……」
「それってつまり、デイジーさんは僕と実際に話したから僕のイメージが変わったってことでしょ? だったら他のほとんどの人は僕とは直接話さないんだから、イメージなんて変わらないよ。それに僕がその本人であるということを知らない人が次期魔王を思い浮かべる時、“バンデージ・ウィップ”を読んでいる人なら一度は必ずクロノレインを想像すると思うんだ。作者の娘であるデイジーさんがそうだったんだから」
「確かにそうですが、それでは読んだことの無い方は……?」
「一緒さ。クロノレインという明確な例が無いだけで、みんな格好良い魔王を望んでいるんだよ。デイジーさんがポスターを描き直しても、予想が外れてがっかりする人は絶対に出るはずさ」
「そんな……」
「デイジーさんが何か感じる必要は無いよ。みんなの期待に応えられない僕が悪いのさ。だからデイジーさんは落ち込まないで」
ここまで説き伏せておけばデイジーさんも無理に描き直したりはしないだろう。安心したのかふと時計を見ると休憩時間は残り半分となっていた。
「そろそろ戻らないと次の授業に遅れちゃうから、今回はこれまでにしよっか」
「フォルトさんはそう思いますか? 私は話したいことがまだ山の様にあるのですが……」
「それはまた今度にしようよ。僕とデイジーさんの仲は始まったばかりじゃないか」
「フォルトさんとの仲……確かにそうですよね」
「でしょ? 次話す時までにはある程度読み進めておくから楽しみにしててよ」
新しく友達が出来た勢いで話したいことを一気に消費してしまうと後々話題に困ることがある。漫画以外でデイジーさんと話せるネタを捜索中の今は小出しにした方が得策だろう。
俺はデイジーさんに軽く別れを告げて、D組の教室を去った。
デイジーさんと別れてからはいつもと変わらない授業と休憩のローテーションを行うだけで、特に語ることも無いまま今日の学校は終了した。
校舎を出る前に少し駄弁ろうかと考えていたが、ジョーもニクスも今日は終礼と同時に帰ってしまった。“超越生”にとって武闘祭までのこの期間は他のことにかまけてられない程に重要なのだろう。
それなら普通の面子ならどうかと言えば、カルマは終礼と同時にエマさんの所に向かって行ったし、学級長も早くに下校している。彼女の侮蔑すら欲しくなるくらい誰も乗ってこなかった。
俺ももう帰るかと思い、今ちょうど生徒を放出している校門を眺めながら麻袋を背負う。そして偶然空を見たとき、俺は全ての行動を止めた。
「何だあれ?」
二十体程で編隊を成して飛行するそれは針鳩(体長約十五センチメートルの、名前の通り身体に針を持つ鳩の魔物)にしては大きく、人体を持つ魔物だとしてもシルエットはそれとかけ離れている。辺境の地を生息地とする鳥系の魔物がここにいるわけがないし、じゃああれは何なのだろうか。
(……ルシアさん、聞こえます?)
(どうしましたかフォルト様)
(城の方へ飛んで行く群れがあるんですけど、そこから見えます?)
(見えますね。あれは魔王直属の魔術師達が鳥に変化した姿です。“境界”の修復が完了し、報告の為に魔王城に帰還するところなのでしょう)
(ああそうなんですか。一ヶ月ぐらいかかりましたね)
(“境界”を構成するのは光の魔法でありますので、闇の魔法が主体である我々魔物が修復するのに時間がかかるのは至極当然のことでしょう。かと言って修復しなければ新たな勇者が雨垂れの様に次々と現れるので、たとえ一年かかってでも修復せざるを得ないのです)
良い塩梅で魔界側だけに労力を費やさせてくるな“境界”は。これも創造した古の大賢者の策なのだろうか。
(ところでフォルト様、ご学友方は既にお帰りになられているのにもかかわらず校内に残っておられるのは、何か特別な理由でもあるのでしょうか)
(えっ、いや特に無いですけど)
(それでは早急に馬車にお乗りになることを提案致します。今日は早くからマリッサ様がお見えになられそうなので)
(随分と曖昧ですね!? ああでも本当だったらヤバいから急がないと……!)
不確定事項ではあるが突然の忠告に肝を潰され、俺は慌てて教室を出た。
メーティス学園から南西の外れ、似た形式の家屋が放射状に建ち並ぶ中心街最大の住宅地。魔王軍の親衛隊の長と二十九人目の剣術の“超越生”が共に住まう家は、サラマンドラ家の一人息子の友人達とは違い、有り触れたこの住宅群にある。
普段より早くジョーが帰宅すると、家中は静寂に包まれていた。奥にあるリビングの明かりが点いてはいるが、生活感のある音は一切聞こえない。
特に異常だと思うこともなく、ジョーはリビングに入る。火の消えたレンガ造りの暖炉の前では赤い鱗の龍が、背後にあるロッキングチェアを使わず床に丸まり眠っている。
「……ただいま」
ぐふ、と鼻に抜けた声が返る。勿論それはただの寝息だったが、熟睡中の母が起きるまで呼び続ける訳にもいくまいと思ったジョーはそれを返事と見なして荷物を片付け始めた。
それから二時間、ジョーは木刀を手に庭で稽古を続けていた。
縦横無尽に繰り出す剣撃が空中に無数の残像を見せる。高速で動く身体の反動で、深紅の尻尾から玉の様な汗が飛び散る。
「しゃああああ!!!」
締めの大振りを絶叫を伴って炸裂させ、ジョーの動きが遂に止まった。ジョーは呼吸を整えながら木刀を腰に収める。
空も夕闇が黒に染まり始める中、砂利を踏み鳴らす音が彼に近付く。
「お疲れさん。久し振りに見たが、やはりお前は俺の息子だな」
「親父!?」
今まで真剣に稽古に励んでいた息子が、突然現れた父に声を上げて驚くという事象に、魔王軍親衛隊隊長レオンは苦笑した。
「やけに帰宅が早いけど何かあったのか?」
「親衛隊の訓練が終わって、フォルト様の修練まで時間が開いているから一旦戻って来たんだ。家の明かりがあまり点いてない様だが、母さんはどうした?」
「まだ寝てるんじゃないのか? 人化が解ける程熟睡していたし、当分は起きてこないだろ」
「そうか……せっかくだから早めの夕食でも取ろうと思ってたんだが、母さんが寝ているんじゃ諦めるしかないな」
やれやれ、と言わんばかりの溜め息で配偶者に呆れるレオンだったが、息子に向き直ると砕けていた顔が親衛隊長のものへと変貌した。
「調子はどうだ、ジョー? 稽古の内容を変えて五日経つが」
「まあまあだな。むしろ前のメニューと余り変わってない気がするぞ」
「それはつまり、質の良い稽古をしているという実感があるということだな? まあそれは当然なんだがな」
革靴を足で整えながら、勝ち誇った様にレオンは頷く。自分の納得がいくまで一日中稽古をしていたジョーを心配し、あまり時間をかけなくても十分な効果を得られる極秘のメニューを教えた甲斐があったという喜びの表れである。
「それよりも親父、この前言った約束はちゃんと覚えているよな?」
「約束? ああ、剣術部門で優勝したら俺と一騎討ちで戦うって言ってたアレか。一年生で優勝なんてほとんど無いんだから、もう少し目標を落としても良いって言ったんだがなあ」
「誰がどんな戦術を使ってくるかは三学年全て把握している。いつも通りやるだけだ」
「隠し玉を持っている可能性もあるじゃないか。行き過ぎた自信は慢心になるぞ」
「分かってるよ。油断せず、普段通りやるだけだ」
「上手くいけば良いんだがな。まっ、下手に気張らなければお前なら何とかなるだろう」
じゃあ城に戻るぞと告げ、レオンは両翼を羽ばたかせて飛び去ってゆく。
そんな父の通勤姿を遠目に眺めながら、ジョーは優勝をより一層強く決意するのだった。
次回から本格的に武闘祭の話に入ります。投稿出来るのは来年以降になるのでご了承下さい。




