弓士は野望に彷徨う
木々のさざめきが揺れるリリパットの森に、今日は朝から矢が的に刺さる音が響く。他所では騒音とされる刺突音も、ここでは環境音の一つとして成り立っていた。
音源であるニクスは隠れた努力家である。これまで彼は弓士の名家、ブレイブアロー一族の名に恥じぬ様に弓の鍛練を積み重ねていた。
お陰で学年の“超越生”にまで上り詰めたが、それでもニクスはまだ学生――リリパットの戦士としては半人前であった。両親が儚く散った件の騒動でも、ニクスは同級生と同様、避難所のスクリーンから仲間の戦いを見守ることしか出来なかった。
己の未熟さを痛感した時には、ニクスの精神の深淵は、いつも能天気な彼が表に出さない漆黒の殺意に侵されていたのだろう。野望に囚われた少年は両親の敵を取るために、力の限界を目指していた。
背に担ぐ矢立が空になったことに気付き、ニクスは的に生えた矢を抜き始める。基本は使い捨ての矢だがここは自分達の住み処、整理整頓すると同時に再利用出来る物は回収しておきたいのだ。
全ての矢を抜き取り、ニクスは再び定位置に立つ。矢の回収とともに場所をずらした七つの的を見つめるとやおら弓を引き始める。
全神経を集中させ、軌道を中心に向かわせる。弓弦が極限まで張り詰め、自身の呼吸の波が心拍と重なった瞬間、ニクスは矢を発射した。
無風で動かない分厚い大気の壁を矢が一直線に貫いて行き、的の中心、赤い三重丸の中央に突き刺さる。今日ニクスが射た八十六発の内、数えて七十九回目の大当たりである。
結果を簡単に確認し、ニクスは続けて次の矢を準備する。しかし突然背後に気配を感じたことで、弦を引く力が弱まってしまう。集中が途切れ、ニクスは構えていた弓を下ろすと後ろを向いた。
「……なんだよ姉貴」
「そろそろ休憩したらどうですか? 休むのも練習の内ですよ」
「別に良いよ。まだ全然疲れてねーから」
「その割に途中ふらついて七発外してるじゃないですか。朝から射ち続けているのに疲れないわけがありません」
「ゲッ、一体いつから見てたんだよ姉貴!? ていうか姉貴だって武闘祭の時は何時間もぶっ続けで練習してたじゃん!」
「あれは身体に負担がかかるのでお勧めは出来ないのですよ。やりすぎると本番で筋肉痛に苦しみます」
「そう言っといて、自分は本番もその後もピンピンしてんだから腹立つんだよなこの姉貴は……分かったよ、休めば良いんでしょ休めば」
こちらが折れるまで説得し続けるであろう姉に呆れ、仕方無くニクスは倒れた丸太に腰掛ける。弓と矢立を地面に置き、渡された水筒を呷った。
「良い成績を収められる自信はあるのですか?」
「ま、まあまあかな。先輩達の壁が高いから何とも言えないんだよ」
「あら。余裕綽々なのかと思っていたら、そうだったのですね」
「あのなあ……初めてなんだから余り期待しないでくれよ」
「私は一年生でも五位で入賞しましたけど……」
「俺と姉貴じゃ出来が違うっての。まあ、入賞は諦めてないけどな」
「なるほど……その熱い意気込みにしては、練習を手抜いているように見えましたが?」
「ぶはっ!?」
突然の姉の発言に驚き、一瞬嚥下の方法を忘れたニクスは茶を喉に詰まらせ咳き込んだ。
「ゲホッゲホッ、なっ、何言ってんだよ姉貴!? 俺が手抜きなんてする訳無いじゃん!」
「そうは言いますが、さっきから見ていれば適当に木に掛けた的を真っ直ぐ狙ってるだけですね」
「まだウォーミングアップだったんだよ! あの後曲射練習もするつもりだったんだって!」
「はあ、どうせ曲射も二時間やるつもりなのでしょう? もっと応用した練習もしなければならないのにそればっかりじゃないですか」
「うぐっ……」
先程の弟に対抗する様に大きく溜め息を吐き、セレネは練習の駄目出しをする。ニクスは完全なる図星を突かれ言葉を詰まらせた。
セレネの追及は続く。
「例えば、魔法で弓矢に効果を付け加える練習はどうしたのですか?」
「曲射の後にやるつもりだったんだよ……」
「今日の事は言ってません、今までの事を言っているのです。武闘祭の本戦は魔法付与が重要だと言ったのはニクス、あなた自身ですよね? だというのに一度も呪文を唱えていないのはまるで勝つ気が無い様に見えるのですが、一体どういうことなのですか?」
「それはなんつーか、森の中で魔法使ったら迷惑なんじゃないかって……」
「そんなわけないでしょう。弓の音を騒音と感じるリリパットがいるなんてあり得ませんよ。やらなかったことを言い訳してどうするのですか」
「いやもしかしたらいるかもしれないじゃん……いや俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」
「第一にニクス、あなたは自分がブレイブアロー家の一員であることを分かっているのですか? 例えこの森では新入りだとはいえ、その名を使えば危険な練習も了承してくれるでしょうに」
「あーもううっさいな! いちいち揚げ足取るのやめろよ!」
再三に渡る姉からの批判を受け、ついにニクスは立ち上がって激昂した。
「武闘祭までの時間はまだあるんだよ! 少しくらい上手く行ってなくたって気にしないでくれよ!」
「あと一ヶ月足らずでまだあると言うのは考えが甘くないですかニクス? 私はもう最終調整に取り掛かっていなければならない時期だと思って行動していましたが」
「毎回自分の体験と比べんなよ! そんなに昔の成績を自慢する鋼の心臓があるのになんでフラれたくらいで家から出られなくなってんだこの引きこもり姉貴!」
「なっ……」
何を言っても自分が悪いと返す姉に対し、ついにその単語を突き付けるニクス。これまで我慢してきたその単語は、平常心を保っていた姉の眼を見開かせることに成功する。
それと同時にニクスははっとした。怒りのままに放った禁句が持つ、セレネの機嫌を損なわせる力が大きいことに後から気付いたのだ。
「そうですよね……こんな私は姉として……リリパットの戦士として失格ですよね……」
「げっ……」
その予想通り、セレネは柳の葉の様に項垂れていた。ニクスの顔が青ざめる。
自分の言った事が原因で姉に自傷行為をされては流石に後口が悪い。さめざめと泣くセレネに慌ててニクスは弁解を始めた。
「ご、ごめん姉貴、言い過ぎた!」
「精神が弱った私と力不足のニクス……長い歴史を持つブレイブアロー家も、私達の代で終わりなのでしょう……」
「そんな簡単に終わらせてたまるかよ! 姉貴も俺も強くなれば良いじゃん!」
「しかしニクス……少なくとも魔法付加を出来なくては駄目じゃないですか」
「そんなに言うなら見せてやるよ!」
最低限の実力はあると主張するために、再びニクスは的に向かい弓を構える。矢立から矢を一本抜き取ると、引き絞りながら詠唱を行った。
「──“付け加えよ、斬撃効果”ッ!」
叫ぶと同時に放たれた矢が的に刺さると、そこを中心に一筋の亀裂が真っ直ぐ縦に走り始めた。亀裂は的を掛ける木の天辺にまで生じ、風に吹かれた小さな木はメキメキと音を立てて倒れる。
「おお……」
地響きが起こる中、弟の実力を再確認したセレネはゆっくりと拍手をした。
「ほら、これだけ出来れば文句は無いだろ?」
「なるほど……一応それぐらいは出来るようなのですね」
「ったく、魔法が苦手な俺だってここまで成長出来たんだよ。姉貴も時間を掛ければ元に戻れるはずだって」
「おや、まだ私が心を病んでいたと思っていたのですか」
「……は?」
ニクスは思いがけない告白のカウンターを受けて間抜けに口を開いた。
「まだ不完全ですが、私も少しずつ精神状態を治しているのですよ。発作を起こすこともありませんし、再来週には仕事にも復帰出来そうです」
「えっじゃ、じゃあさっきのは?」
「ニクスが練習すると言ってくれるように演技をしただけです。あなたに引きこもりと言われたショックはそこそこ大きかったですが」
「だ、騙された……」
愛用の弓を手から滑らせ、ニクスは膝から崩れ落ちる。無駄な心配をしたことへの脱力感からか、今日の練習の疲労が全て降り注いで来たように感じた。
「うう……何だか体が重い」
「何にせよ練習はしてもらいます。私も出来るだけの協力はしますので頑張って下さい」
「簡単に言ってくれるよ……手伝うったって矢を回収するぐらいしか頼めることが無いのに……」
姉が快復して嬉しい気持ちもあるが、それを上回る量の倦怠感にニクスは嗚咽を洩らす。そんなニクスにセレネは水筒を差し出しながら、打倒魔道師という目標を持った弟からその目標を忘れさせた原因は何なのかを考えていたが、結局のところ判明は出来なかった。




