五人目の新人
フォルトと劇団レギオンの共同練習が始まって十二分が経過した時のこと。カウンセラー13689号もといルシアは、花嫁修業の一環として清掃を手伝っていたエリスと共に廊下を歩いていた。
溜まった廃棄物を処理するために、丸々と太った合成樹脂の袋を城の裏に設置された焼却炉まで運ぶエリスと、その彼女の働きぶりを採点するルシアとで会話は無い。二人の間は常に無風であった。
尤も、外見では平静を保っているエリスの内心は嵐の大海原の如く荒れ狂っていた。数多の謎を持つルシアに対する興味とそれを聞くのは失礼でないかと窘める理性との整理がついておらず、それなのに秘密を暴くには最高のチャンスが突然訪れて、自分はどうすれば良いのかと軽く混乱しているのだ。
そんな少女の内心を知ってか知らでか、冷徹なるメイドは顔を動かさずにエリスに声を掛けた。
「ところでエリス様、先程から定期的に私をご覧になられておりますが、私の顔に何かご用でしょうか?」
「……ああ、ルシアさんは何度見ても綺麗だなと思っていただけです。気にならない様にすれば良かったですか?」
「いえ、その必要はございません。──しかし、エリス様も整った容姿をしておられるではありませんか」
「私はまだルシアさんの様な大人の色香を持っていません。だからルシアさんが羨ましいのです」
「お褒めいただき、ありがとうございます。エリス様がフォルト様の妃として相応しいお姿にご成長なさることを私は希求しております」
突然話し掛けられたエリスは少し動揺しつつも答える。ルシアに対する羨望は本心なだけあって、その言い訳は彼女に通じた様だった。
しかし自分の成長を応援されたとなれば、言い訳をしたという事実が逆に罪悪感を生み出す。良心を痛め気不味く思っているエリスであったが、そんな彼女の眼に映るものがあった。
それはエリス達のいる位置から約二十メートル先の壁にもたれ掛かる、見るからに魔王城の者ではない女性だった。一般公開をしていない魔王城において、その様は余りにも不似合いな姿であったため、落胆するエリスにも鮮明に見えたのである。
「ルシアさん、あの人は?」
「本日のお客様である劇団レギオンの方ですね。先程迎えた際に覚えた顔の一人と一致しています」
ルシアも気にはなっていた様で、エリスが聞くと同時に解説する。今日のフォルトの客が誰であるかをエリスが耳にするのはこれが初だったが、それを追求するほど動揺するエリスの心に余裕は無かった。
「ですがそれならば顔見せが始まる今、彼女はフォルト様と同じ部屋にいなければならないはずです」
「お手洗いを借りに来たのでは……いや、その線は無いですね。あそこで佇んでいるのですから」
「彼女と対峙した際には数え切れない“もしも”の事態があると考えられます。下手に刺激しない様に、女性の前を通る時はなるべく目を合わせないようにしてください」
そのルシアの進言は、目先の女性が危険な存在である可能性が僅かながらもあるということを意味していた。エリスはその訳を詳しく聞こうとしたが、女性との距離が近くなっていたので不可能であった。
三人が一点に集まり、俯いていた女性の視線が二人のメイドに重なる。女性から見て手前側を歩いていたルシアがそれに気付き、彼女を一瞥すると同時に会釈する。
「…………」
再び下を向いた女性から離れても、エリスは歩き方から緊迫感を取れずにいた。背後からまだ見られているのではないかという確認することの出来ない不安を捨て切れなかった。
「ご安心ください、彼女はもう我々を見ていません」
結局ルシアがそう告げるまで、エリスは女性を確認することが出来なかった。意外と臆病という自らの本質を見てしまい、エリスは自分に対し苛立ちを覚えていた。
ルシアは横で切歯扼腕している主の許嫁を見ながら、自身の網膜の裏でチリチリと疼く何かを感じていた。
演劇練習が始まって、早くも三十分が経過した。
俺は表情筋を鍛えるトレーニングを終えた後、全ての動きの基本となるステップを幾つか教えてもらった。まずそれらをマスターするのを俺への課題らしい。
クリスさんは丁寧に指導してはくれているものの、かれこれ十分はソワソワしている。突然部屋を出ては目の前を歩いていたメイドに何やら頼んだりもしていた。
やはり先程新人団員に指示を出した時の何かが原因なのだろうか。休憩時間となって団員達に飲み物を渡している新人達に目を向ける。
そういやさっきクリスさんは五人の新人って言ってたけど、俺が見たときは新人は四人しかいなかったよな? じゃあ俺が見なかったもう一人の新人って……
「うう……頭が痛い……」
「あなた、今までどこに行ってたの!?」
いきなり背後の扉が開き、俺より四歳ほど年上であろう女性が頭を押さえながら入って来る。そこから五六歩の場所で彼女がへたりこむと、クリスさんが物凄い形相で詰め寄って来た。
「す、すいません団長。ちょっとトイレに行こうと外に出てたら迷っちゃって、それでいつの間にか気を失っていて……」
「気絶してたって、大丈夫? 練習に参加出来るかしら?」
「何だか気持ち悪くて……言いにくいんですが、今日は踊れそうにありません」
「そう……じゃあ仕方ないわね。今日はもう帰って病院で診てもらいなさい。ちょっと誰か、魔王城に病院への馬車を出せるか頼んで!」
そう言われ扉に近い団員が飛び出すと、ものの三分もしない内に迎えの馬車が用意出来たという報せが返ってくる。同時にやって来たメイドに支えられて新人団員は練習の場を後にする。
魔王城側の迅速な対応に俺は自分のことの様に満悦するが、突然そこに「あれっ!?」と言いかける様な違和感を感じた。
彼女がこの部屋を出てから三十分経って戻って来たということは、その間彼女は魔王城の中を彷徨っていたということである。どこにも仕事中のメイドがいるような城内で、誰にも見つからずに三十分も過ごせるだろうか。
途中で気絶もしているんだ、見つからない訳が無い。そんな自信を確信に変えるためか、俺は自然とカウンセラーさんにテレパシーを送っていた。
(ルシアさん、聞こえます?)
(どうなされましたかフォルト様? 合同練習が始まってからまだ四半刻程しか経っておりませんが)
(その今までの三十分間で、レギオンの団員を見掛けませんでした?)
(女性の団員ならばエリス様の付き添いをしていた時に廊下で佇んでいる姿をエリス様と共に見掛けました。練習開始時刻から十二分後のことでございます)
(えっ、その後どうしたんですか?)
(最初は通り過ぎ、二分後にエリス様と別れたので再度確認しに行きましたが、その時には既におられませんでした)
(声を掛けたりとかしなかったんですか?)
(私には今エリス様の評価をする仕事を優先する義務があり、そして私の見る限りでは当時の彼女には我々に頼みたいことは無さそうだったので尋ねたりはしませんでした。もし要望があるのでしたら、近付いてきた私達に自ら歩み寄るはずですから)
確かにそれは的を射た理論だとは思うが、その時話し掛けていれば彼女も半分の時間で部屋に戻れたのではないだろうか。
中身を飲み干したコップを机に返しながら、俺は質問を追加する。
(じゃあ他に遭遇した人は?)
(全従者の記憶を詮索しましたが、彼女との接触があったのは私とエリス様以外に誰一人ございませんでした。付け加えここ三十分間の城内も調べてみましたが、彼女は楽屋から出た後は私達の通った東側の廊下しか来ておらず、その後気絶から目覚め楽屋へ自力で戻るまでそこで留まっております)
(……えっ? 東側の廊下ってルシアさん達以外も使ってました?)
(はい。彼女以外に不在という時間帯は皆無でございます)
(じゃっ、じゃあ何でルシアさん達以外には見つからなかったんだ……!?)
まさか他のメイド全員が見て見ぬふりをしていた訳があるまい。廊下の片隅で気絶している民間人を無視して通過するメイドがいるほど魔王城の従者教育は杜撰じゃないんだ。むしろその辺は徹底的に教えているはず。
となると彼女は無視されていたんじゃなくて、何らかの魔法で誰からも確認出来なくなっていた? いや、それだとルシアさんはともかく学級長が見かけたことに矛盾が出てしまう。
(うーん……)
(何か手掛かりが増えないか、私も出来る限りの調査を進めます。――では私は仕事がございますのでこれにて)
(ありがとうございました、ルシアさん)
通信が切れて、俺は興奮している心をクールダウンさせるため壁にもたれる。窓からは中心街の方を向く一台の馬車が今まさに城から遠ざかっていく姿が見える。
「はいは~い! そろそろ練習再開するわよ~!」
あの新人団員の方に何があったかは分からずじまいだが、恐らく例の平森のカウンセラーが関わっているのだろう。
クリスさんの声の響く中、先程まで新人団員が座っていた場所に落ちている忌ま忌ましい薄板を見ながら俺は溜め息をついた。




