屍住まう石室は地下にありて ~後編~
十月は一度も投稿出来なくてすみませんでした。
デイジーさんに連れられて、俺は玄関から一番手前の部屋に入れられた。
先程デイジーさんが隠れていたこの部屋は彼女の自室で、白く塗られた石壁が小さなシャンデリアの光を反射している。地下にあるんだから内装もダンジョン風かと思っていた俺は少し落胆しながら花形のクッションに正座した。
「お飲み物は何にしますか……」
「えっ? あっじゃあ紅茶をお願いするよ」
「アタシにはオレンジのおかわりよろしくー」
「分かりました……そうだフォルトさん、大声を出すと反響するのであまり騒がないでくださいね……」
メニュー取りと忠告を済ませてデイジーさんが部屋を出る。
デイジーさんは初めて来る客全員に騒がないよう伝えているのだろう。騒がしいイメージが俺にあるため特別に言ったとは思えない。
出来れば思っていないことを願ってデイジーさんが戻ってくるのを待った。
「……それでフォルト」
「ん?」
「アンタが大事そうに持って来たそれは何?」
突然話し掛けてきたメリルさんが指差したのは、俺のすぐ横に置かれている包装された箱だった。
「何って、昨日言ってた菓子折ですよ。忘れたんですか?」
「忘れてなんかいないわよ。随分と高いお菓子を持って来たわねと思っただけよ」
「えっ、えええ?」
「アンタ何も見ないで買ったの? それは“マルグリット”っていうお菓子ブランドの箱よ。箱の大きさからして一番高い物であることは間違いないわね」
「これってそんなに高級なんですか?」
「四十万ゴールドするのよこれ。クッキーとマドレーヌが十個ずつ入ってるから、一個二万ゴールドね」
「へ、へえそんなに……」
「何そのリアクション? あまり高くないなって感じね」
仕方が無いだろ、魔界のお菓子なんて食べたこと無いんだから比較しようがないんだよ。この世界の通貨がゴールドだっていうのも今知ったし。
「全く……魔王家って金銭感覚も魔王なの?」
「言い回しがよく分からないんですが……ていうかそれを言ったらメリルさんもおかしそうですよね、金銭感覚」
「アタシはおかしくないわよ。ママを反面教師にして管理しているんだから」
「メリルさんのお母さんって金遣いが荒いんですか?」
「荒いってモンじゃないわ。酷い使い様なのよ……」
メリルさんは溜め息混じりに呟き、母親の悪行を漏らし始めた。
そもそもメロウリキッド社はメリルさんの祖父母が立ち上げた企業で、五十年以上に渡って香水業界の頂点に君臨する一流ブランドである。
ルイジアナ氏は生まれた時からお金に困らない生活を送っており、十代後半になると夜な夜な街に繰り出しては外れのカジノでギャンブルに洒落混むこともあったと言う。
この魔界ではある程度の資産を持つ者の子であれば十五歳から賭博場の出入り及びギャンブルが許されるとはいえ、一夜にして数百万の大損をすることもざらにあった彼女に社長夫妻は頭を悩ませていた。
社長に就任した後はギャンブル狂いも影を潜めたが、金遣いの荒らさの片鱗を見せることは未だにあるようで、セレブ特有の大量購入などが時折行われるらしい。
「このお菓子だって、昔アタシが好きと言ったらママはこれくらい買ってきたのよ? その時は値段なんて知らないで喜んでたけど、一体あれだけに幾ら使ってたんだか……」
メリルさんは中で蕎麦粉を捏ねる大きなボウルを描くように両手を動かした。なるほど、確かにそれ一杯に一枚二万のクッキーが入っていたら子供は大喜びだろうな。
「メリルさんの家は大変ですね……」
「ホントそうよ。制御役の副社長がいなかったら今頃うちの会社は潰れていたわ」
そう締めると同時にデイジーさんが部屋に戻ってくる。抱えられたお盆からオレンジジュースが透けたグラスと二つのティーカップが机に移された。
「お待たせしました……」
「デイジーちゃん、サンキュー♪」
「あ、ありがとうございます」
「何の話をしていたのですか?」
「フォルトの持ってきた箱について、ちょっとね」
「箱、ですか……?」
首を傾げるデイジーさんを見て、メリルさんは今だと目で合図する。
どう渡せば良いのか分からないまま、俺はデイジーさんの前に躍り出る。
「デイジーさん、これをどうぞ」
「これは……」
「マルグリットのお菓子です、どうぞ家族で食べてください。それと――」
お菓子の箱を手渡して、デイジーさんから一歩退く。両手はカーペットに付け、深々と頭を下げる。
「昨日の剣術の時間にて恥ずかしい思いをさせてしまったことを、改めてお詫び申し上げます」
「えっ……」
突然の謝罪にデイジーさんは戸惑った反応を見せる。
「どうやら昨日の事を引きずっている様なのよ」
「何か用があるとは思っていましたが……まさかフォルトさんはまだその事を……?」
「まったく、面倒な性格してるわ。デイジーちゃんが思っていたよりも随分小心者ね」
頭上から二人の声が降り注ぐ。面倒だとか小心者だとか華麗なディスりはともかく、なんで俺が来るのかとか言ってなかったんですかメリルさん。
アポは取っておくと言ってたが、「明日フォルトが遊びに来るから」ぐらいで済ませていたのではないだろうか。
「フォルトさん……顔を上げてください……」
子をあやす様に優しく頬を撫でられて、床に付けていた頭が上がる。デイジーさんの顔がすぐ目の前にあった。
「あれは全て偶然が引き起こした出来事です……あなたが罪悪感を覚える必要は無いのですよ……?」
「……デイジーさん」
「私が気にしていないのです……フォルトさんも気になさらないでください……」
大した事ではない話でいつまでも心苦しく思わないでくれと諭されて、俺は何か枷が外れた様な感覚に陥った。
デイジーさんが言う通り、彼女は最初から何も気にしてなかった。胸を触られてショックを受けているのではないかと俺が一人過剰反応していただけだったのだ。
それほど俺はデイジーさんが弱い女だと無意識の内に見ていたことに気付き、自分がとても情けなく感じた。そんな時にされた懇願を、断ることなんてとても出来なかった。
「わ、分かりました、金輪際気にすることを止めます」
「本当ですね……?」
「本当だよ!?」
「ありがとうございます……」
俺の決心にデイジーさんの顔が綻ぶ。無理矢理解決した(正確には解決された)感は否めないが、一応これで一件落着だろう。
「フォルトって、結構女子には弱いわよね」
「ははは……そうですかね……」
「それでこれからどうするの?」
「え、何をですか?」
「用事が終わったけどもう少しここにいるのか、それとも帰るのかってことよ」
「ああ、そういえばそうですね……」
参ったな。謝罪だけで時間を使うと踏んでいたから、早めに終わった場合の事を考えていなかった。
正直女の子の部屋に入るのは初めてのため、長時間いると気まずさで潰れかねない。話題のズレもカルマの家の時より輪を掛けて酷いことになりそうだし、淹れてもらった紅茶だけでも頂いてお暇するのがデイジーさんに迷惑が掛からなくて良いんじゃないだろうか。
「じゃあ僕はこの一杯だけ頂いてかえ――」
「あれ、確かデイジーちゃんはフォルトに頼みがあるんじゃなかったっけ?」
「ええ……武闘祭に出場するに当たっての意気込みを聞こうと思っていました……」
「あーそうだった、デイジーちゃん武闘祭の運営委員だもんね」
いやいやいやいや、俺が帰りますと言おうとしてたのに、なんでそんなカミングアウトするんですか。
「じゃあ今から聞かせてもらおうよ」
「いえ……今日フォルトさんは謝りに来てくださっただけなのに、帰る足を止めてまで聞くのはどうかと……」
「えー、何か勿体無くなーい?」
「この場を使って話したいのは山々なのですけど……学校で聞けば良いことなので……」
「ふーん……そういやフォルト、何か言おうとしてたけどどうかしたの?」
「…………」
俺の意見を遮ったと思ったら、デイジーさんの要望と諦めを聞くだけ聞いて前の話題に戻って来た。
そんなメリルさんは言うに言えなくなった言葉を待つ。しかしその顔には、用意していたものとは別の言葉を俺は必ず出すという確信に満ちた笑みが見えた。
どうやら俺は、最初からこの小悪魔の手の平の上で踊らされていたようだ。
「いや何も? それはメリルさんの思い違いじゃないのですか?」
「えー、何か言いかけてたじゃん」
「ありえませんね。それとデイジーさん」
「はい……?」
「武闘祭のインタビュー、すぐ終わるなら答えるよ」
「ほ、本当ですか……!?」
「マナーとしてなっていないとは思うけど、少しぐらいなら良いかなと思ってね」
「ありがとうございます……ではすぐにメモの準備をしますね……」
デイジーさんは立ち上がると部屋の隅に置かれた本棚を漁り始めた。
これで事は全て済むだろうと決めつけ、俺はこの言葉を言わざるを得ない状況を作り出したメリルさんに嫌味を込めた視線を送る。俺の視線に気付いた様で、デイジーさんの後ろ姿を眺めていたメリルさんはこちらを向いた。
「…………♪」
何も言わないで、ただ満足げに舌を出しながらのウインクとピースサインを見せつけるメリルさん。
悪戯が成功した子供みたいな笑い顔を見て彼女には何を言っても無駄だということが直感で分かり、俺は項垂れて溜め息を吐くことしか出来なかった。
「――それでは質問は以上です……ご協力していただき本当にありがとうございました……」
「うん、どういたしまして(本当にすぐ終わったな……)」
デイジーさんがメモ帳を取り出してからわずか五分、武闘祭を一ヶ月後に控えてのインタビューは終了した。
質問は「武闘祭への意気込み」だけとシンプルなものだったが、終わってからこれで良いのだろうかと心配してしまう。
と言うのも今回話した内容は有力選手や運営委員長などのインタビューと共に武闘祭のパンフレットに掲載されるため、言葉遣いにミスが無かったかと気になっていたからだ。
それがただの特別ゲストのインタビューだけで終わるならともかく、次期魔王が初めて公の場に放つ発言ともなれば嫌でも注目は浴びる。
多少の言葉の修正は記載前に編集してくれるだろうという安心感はあるにはあるが、やはりそこは心配性の極みというか、「もしも編集されなかったら……」といった場合のことを考えてしまうのだ。
「え、もう終わったの? なんかインタビューにしては物足りなくない?」
「パンフレットのページは少ないですから……選手の皆さんにはこれだけしか聞くことが出来ないのです」
「フォルトの話を聞いてる間にもう十ページは読めると思ってたんだけどなー」
と少し残念そうにしているメリルさんが、壁に寄り掛かりながら読んでいる本に目が行く。
捲られるページを別角度から覗いてみると、枠で区切られた幾つもの絵が見える。それは久しく見なかった懐かしい物であった。
「……何してんの?」
遠目から手元をジロジロ見られていたのが鬱陶しかった様で、メリルさんの半眼がこちらを向く。
「ああいや、何読んでいるのかと思いまして……へえ、“漫画”ですか」
「フォルトさんは漫画をご存知なんですか……?」
「まあね。七歳の頃から読んでるから」
「へぇ、王族って時代を随分先取りしてるのね。アタシだって最近興味を持ったばかりなのに、三年前に生まれた文化をそれより前から取り入れてたなんて」
「えっ……」
この世界のことだから漫画も古くからあるだろうと踏んでいたが、まだ根付いてすぐだったのか。これからブームが起こるのかどうか期待してしまうな。
いや感動している場合じゃない。変に疑われる前に誤魔化さないと。
「……いやあそうなんですよ。父上の古くからの知り合いに現代美術の評論家がいまして、新たな芸術の礎を築く可能性の品だと何冊か城に寄贈してくれたんです」
「ふーん」
「そうなんですか……」
反応が薄かったからこりゃ失敗だな。メリルさんに至ってはどうでも良さそうだし。
むしろ最初から疑ってすらいなかったんじゃないだろうか。そう考えると恥の上塗りをしただけだと分かり気まずくなってきた。
何とか気分を紛らわせようと、直感的に本棚の方へと寄って行く。先程デイジーさんが漁っていた棚の横の枠に、見慣れたサイズのコミックスが敷き詰められている。
「あ……読むのでしたら汚さないで下さいね……?」
何の前触れも無く本棚に吸い寄せられた俺にデイジーさんは漫画を読んでも良いと言ってくれた。
こう言われて読まないのは逆に失礼だろうし、ならばと早速背表紙を物色し始める。
「えーと……これかな」
結構な数が並んでいる中から選んだのは「バンデージ・ウィップ」という長編漫画の第一巻だ。
表紙のデザインはタイトルと転がった一巻きの包帯とシンプルなもので、内容は今のところ全く予測出来ない。しかし漫画初心者のメリルさんがあんなにも読み更けているのだから期待は出来そうだ。
座っていたクッションに戻りページを読み始める。ダラダラ読んで長居したくないので、一コマ一コマの内容を最低限認識出来る程度の速さでページを捲っていく。
どうやらジャンルはよくある感じの冒険活劇で、悪の親玉を倒すためにマミーが包帯風の鞭を片手に末法の世を駆け抜けて行く話の様だ。
どことなく既視感のある、折れそうな程華奢で耽美な主要人物が多くバトル物と言うより恋愛物っぽい作画だが、勢い良くしなり敵を討つ鞭などの描写は一転して力強く描かれておりそのギャップに驚かされる。展開の見せ方も上手く、ありきたりなストーリーにもメリハリがあって面白い。
転生前にも何十冊と漫画を読んでいた俺だが、この身体になってからは漫画に対しての感性がほぼリセットされていたらしく、三百ページ足らず読んだだけで「バンデージ・ウィップ」のファンになってしまったようだ。
漫画を閉じて、ゆっくりと目をつぶり余韻に浸る。
「…………」
「どうですか……?」
「そうだね……ここで全巻読むのもおかしいし、帰る時に本屋に寄るとするよ」
「フォルトも“バンウィプ”に嵌まった様ね。良かったじゃないデイジーちゃん」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
なんでデイジーさんが感謝するのかと思うが、とにかくこれで後腐れ無く帰る事が出来そうだ。
「そうと決まれば早く帰らないと」
俺はすっくと立ち上がり玄関に向かう。後ろからデイジーさんがついてきた。それに対しメリルさんはこちらに目を向けることもなく部屋の中で漫画を読んでいる。
デイジーさん相手に熱心になったかと思えば突然無関心になって、今回の一件で彼女は一体何がしたかったのだろうか。
「今日は色々とごめんね。今度来る時は何も謝ることが無いことを祈るよ」
「上までご一緒しましょうか……?」
「ありがとう。でも気持ちだけ貰っておくよ。それじゃまた」
同行を丁重に断って、俺はデイジーさんの家を後にした。
フォルトが帰った後、デイジーはすぐに自室へ戻る。彼をもてなした後片付けをするためだ。
テーブルに置かれた空のティーカップ、それとフォルトから頂いたブランド品のお菓子の箱を次々とダイニングルームに運び、テーブルの面を濡れ布巾で拭く。
彼女がそうしている間も部屋の片隅で「バンデージ・ウィップ」を読み更けていたメリルは、突然単行本を閉じると背伸びをした。
「うーん……はあ」
「どうかしましたか……?」
「話が佳境に入ってきたからちょっと休憩しようと思ってね」
「もうそこまで読んだんですか……」
「ハードカバーの堅苦しい本とは違って読みやすいのよね。ずっと手に持ってても疲れないし」
メリルは唯一テーブルに残されたコップを手にして、漫画の評価に区切りを付けると注がれていたオレンジジュースを口に運んだ。
そして平積みにされた単行本を仕舞うと、本日の客人であるフォルトの話を始めた。
「それにしても、フォルトはホント鈍いわよねー」
「そ、そうですか……? 私にはよく分かりません……」
「デイジーちゃんが美術部だって知らないにしても、“バンウィプ”の画風がポスターの絵と同じだって気付くでしょうよ」
「まだポスターを見てないのではないでしょうか……学校用は数枚しか印刷していなかったはずなので……」
「どっちにしろ分かってないことに変わりはないわ。気付いた時の反応が面白そうだったのになー」
そう消沈したメリルは溜め息を吐く。幼児めいた友人の反応にデイジーは思わず苦笑した。
今日メリルがデイジーの家を訪れたのには無数の目的があった。武道祭委員の打ち合わせは勿論、漫画の続きを読むのもその中に数えられていた。
フォルトをデイジーの部屋に招待したのにも、彼の自責の念を抑えるため、彼に武道祭のインタビューをするための意味があった。それと同時に、デイジーがポスターの作者であり、同時に「バンデージ・ウィップ」の制作に携わっていることに気付いたフォルトがどんな反応を見せるかを調べる、実験目的の側面も持っていた。
メリルはフォルトが簡単に漫画に関心を持つことは予想していたが、全く同じ画であることに気付けないとは思ってはおらず、寧ろ瞬時に察知するだろうとさえ確信していた。だからこそフォルトの鈍さをここまで愚痴っているのである。
「最初からフォルトさんに中盤あたりを読んでもらえていれば、すぐに気付いてくれたのかもしれませんね……」
「まあずっと言ってても意味は無いわ。さっさと武道祭のチラシを作りましょ」
そう張り切るメリルはグラスを空にすると立ち上がった。




