薄板は過去の激情も運ぶ
最初らへんで学校の描写が曖昧だったのが最近効いてきてます。
全員共通の授業が終わり、各々が自分の専攻した授業へと移動する本日二度目の業間休憩。
ニクスはフォルト達に言われた通り、一人職員室にいる教師マリアの元へと赴いていた。
「それでニクス君、一体何の用ですか?」
「じ、実はマリア先生にゆ、譲ってもらいたい物がありましてっ」
「譲ってもらいたい物? テストの問題は渡せませんよ?」
緊張でどもるニクスに、マリアは冗談混じりに答えて空気を和らげようとした。
「ああ、いや、べ、別にそうゆうのはいらないって言うか、俺が欲しいのは、その」
「先程から言葉が出そうで出ないといった感じですね。授業で指した時もどもっていますが、自分の話す事に自信が無いのですか?」
いやそれはアンタのせいだよ。そう叫びそうになるのをなんとか堪えるニクス。
取り繕う言葉を探そうとして視線を忙しなく動かしていると、マリアの机の隅に置かれている、例の板と同じ物を見つけた。
「あっ、それです! その板!」
「板? これの事ですか?」
「そっそうです!」
マリアはニクスが指差した板を拾い、確認するよう見せ付ける。
「これが何で誰の物か分からなかったのですが、まさかニクス君の持ち物だったとは」
「お、俺の物ではな、ないです」
「あら……ではニクス君は何故これが欲しいのですか?」
「じっ実はそれと同じ物を二枚持っていて……これです」
簡単には譲ってもらえなかった時の為にあらかじめ持たされていた二枚の板をニクスが見せる。
するとマリアは目を丸くして、板の姿を網膜に焼き付けるように凝視した。
「これは……」
「正直俺達にも、これが何かは分からないんです。カルマ達とこれが何かって話し合ってたら、エリス学級長が先生もこの板を持っているって言っていたんで……」
「それでこれを譲ってくれと頼んだのですね」
「は、はい」
「なるほど分かりました。それではこれはニクス君に渡しましょう」
「ほっ本当ですか!?」
何の躊躇も無しに板を渡す担任教師にニクスは仰天しつつも感謝した。
「ありがとうございます! でもまさかこんな簡単にくれるなんて……」
「私には不必要な物ですから。それにその板、私に不幸を運んでいる様で早く捨てたかったんです」
「そっそうなんですか?」
「ええ。その板がいつの間にか私のバッグに紛れ込んでいるのを見つけたのは、私とあなたのお姉さんが同じ男に恋していた事に気付いた二日後だったので」
「……え」
マリアの声色が変わったことにニクスが気が付く。ニクスが職員室に入ってから終始笑顔を見せていたマリアだったが、よく見るとその双眸からは先程まであった光が消え失せていた。
その表情にニクスは見覚えがあった。ニクスの家にて彼の姉と担任による舌戦が繰り広げられた際、物陰から見つめていたニクスが目にしたのは、二人が共に浮かべていた感情の無い瞳であった。
「ねえニクス君、私は魔王様にお灸を据える為に城に強襲までしました」
「は、はあ」
「そのお陰で魔王様は爛れた女性関係を猛省し、私達も後腐れ無く交際を止めることが出来たのです」
「それは良かったじゃないですか……」
「しかし最近、それで私は良かったのかと思う様になりました」
「……はあ?」
「魔王様が私に与えて下さった愛が、魔王様との破局が引き金となって無くなり、心に大きな穴が空いた様に空虚な気分が残ったままなんです」
ああ、まだ彼女は未練を捨て切れずにいるんだ。俯いて憂鬱そうに呟くマリアを見て、無意識の内にニクスはそう断定していた。
「あれからそれなりに時間は経ちましたが、未だにこの穴が塞がれる気配がありません。いい加減踏ん切りを付けないと、教師としての業務に支障が出てしまいそうで」
「いやあのーマリア先生? 先生だって大人なんだから恋なんて何度もしてるはずだし、その度に別れもあったんじゃ――」
「そんな事、一度しかありません。初めての恋だったんですから」
「つまり、魔王様が初恋の相手だったって事ですか?」
口下手なニクスは自分の発言がマリアの地雷を踏んだことなど気付きもしなかった。
一瞬動きが止まったマリアは語気を荒げる。
「そうですよ? 何か問題があると言うのですか?」
「い、いやそんなつもりは無いです!」
「そりゃ初恋にもなりますよ。教師になるために花の青春時代は全て勉強に費やしていて、浮いた話なんて何一つ無かったんですから」
「は、はあ」
「周りを見回せば同僚が次々とゴールインし、四十過ぎと年甲斐もなく羨ましく思い始めたからですかね……最近になってからですよ、恋を考える様になったのは」
「行き遅れるのは嫌ですもんね」
「…………」
「みっ、右手が!?」
地雷の爆発による炎に油を注ぐニクスに、マリアの鋭い視線が向けられる。
三枚の板を持っていた右手が指先から灰色に染まって行き、手放した板が床に弾んだ頃には右腕の肘までが石化していた。
「メデューサで四十歳は若い方です。年寄りだなんて勘違いしないでください」
「ごめんなさい……」
「まあ、行き遅れなのは自覚してますから気にしていません。年齢で誤解されるのは癪に障りますが」
「じゃあ気にしてるんじゃないですか……」
再びメデューサの鋭い眼光が飛び、ニクスの石化は右腕の付け根までとなった。
「次はありません。全身石に変えますよ」
「す、すみませんでした……」
「全く……何だかこのまま話を続けていたら、最終的にはニクス君を粉々に砕いてしまいそうですね……」
ふと呟いた言葉にヒィとニクスが怯えていると、マリアはおもむろに立ち上がった。
「せ、先生どこに行くんですか?」
「屋上で少し風に当たってきます。次の時間は担当じゃないので」
「えっ、じゃあこの板は……ていうか手は戻してくれないんですか!?」
「その板はあげます。悪いとは思うのですが手は自分で戻してください」
そんな無責任なと嘆くニクスを横目に、フラフラとした足取りでマリアは職員室を後にした。
「……あーじゃあ俺も、教室に戻るんで……」
一連の流れを同じ空間にいた職員全員に見られていた事に気付き、気まずく感じたニクスは石化していない左手で板を拾い職員室を出るのであった。




