鉄分+トンデモ物質=吸血鬼の安寧
超設定乙とでも嗤って下さい。
「んっ、ん…………イタタ……」
ガチャガチャという金属同士がぶつかり合う音で、俺は寝ぼけながらも意識を取り戻した。
何だか気だるく、身体中に軋む様な痛みが回る。制服を着たまま変な体勢で寝ていたのだろうか。
確か俺は学級長のお父さんに紅茶を飲むよう脅迫されて、言われるがままに飲んだら身体中が苦しくなって気を失ったはず。
余りの激痛にヤバい俺死ぬなと思っていたのだが、ただの睡眠薬だったのか? いやそれでも十分まずい事には変わり無いんだけれども。
それにしても、ここはどこだろうか。周囲が薄暗いのとまだ完全に目覚めてないのとで、自分の周りの環境が把握出来ない。
「取り敢えず起きるか……」
そう思い体を起こそうとするが、数センチ上げたところで動きが止まる。
首にリング状の何かが嵌められており、そこから抵抗があったので手で確認しようとすると、その手もほとんど動かせないでいる。
そのリング状の何かは両手首と両股にもあり、暗闇の中ではそれは何なのかが分からないのだが、それらによって俺が動けないでいるという事は自然と分かった。
「どうなってんだこれ……やったのは学級長のお父さんなのか……?」
俺が不審に思っていると、空間に突然明かりが点く。
いきなりの光に目を眩ませていると、どこからかガチャリと音が聞こえた。
「ああ、やっと目覚めたんだねフォルト君」
手で擦ることも出来ないまま目が光に慣れるのも待っている中、学級長のお父さんの声が正面より鳴った。
「エリスさんの……お父さん……」
ようやく視界が回復したので、俺は目線だけを動かして瞬時に周囲を確認した。
正面では黒い木のドアを開けて部屋に入った学級長のお父さんがにやけ笑いを保ちながらこちらを見ている。
その後ろ、部屋の外にはカウンセラーさんがいる。彼女もこれまたこちらを向いているのだが、俺というよりは目の前の虚空を見ているのか、瞳に生気は感じられなかった。
続いて部屋全体だが、これについて特筆するものは無い。
模様付きの薄茶色の壁に、額縁で飾られた静止画や人間界では見たことの無い花を生ける花瓶、蝋燭の火で美しく照らすシャンデリアなど、典型的な洋風のお屋敷にありそうな物ばかりで、一風変わった品は全く見当たらないのだ。
最後に俺自身だが、魔王城で使っている物よりやや広めのベッドの脚に、妙に黒ずんだ鎖で四肢と首を繋がれており、余りの異常な姿に俺は声に出さずとも驚愕し、そして同時に把握した。
屋敷の客間のベッドで括りつけられた少年。これが今の俺の状態なのだと。
「いやー余りにも起きないんで、“薬”の調合を間違えたのかと焦ったよ」
「薬……?」
「食品の成分を向上させるための薬なんだけどね。副作用で眠くなる」
うわっ、白々しいことを言ってやがる。どう考えても主作用だったじゃねえか。
「ルシアさんは気付かなかったんですか?」
「彼女は感覚がおかしいからね。多分気付かなかったんじゃないかな」
いや、本当にそうなのか? 万能の力を持つカウンセラーさんなら、紅茶に混入した薬品くらい簡単に識別出来ると思うんだ。
ていうかカウンセラーさんじゃなくても、魔王城の給仕となればそれくらいは出来る様に訓練されているはず。
その護衛術の隙を掻い潜り一服盛ってくるとは、元魔王軍参謀の知略は健在のようだ。
感心している場合じゃない。智将アルベルトは俺を拘束して、一体どうするつもりなんだ?
「フォルト君、僕が君を捕まえてどうしたいか、気になるみたいだね?」
「……僕を人質にして、また父上を嵌める気ですか」
「ハハハ。嫌だな、そんなことするはず無いじゃないか」
「そ、そうなんですか?」
「今の僕は魔界の頂点に興味無いよ」
「じゃあどうして……」
「エリスの命を助けるのを、君に協力してもらいたいんだ」
「エリスさんを、助ける?」
本当の目的をただオウム返ししていると、お父さんは部屋の隅に置いてあった椅子をベッドの横に動かして座った。
「今日うちにお見舞いに来ていることから、君がエリスの病状について少しは把握している事が分かる」
「貧血は吸血鬼の血液不足による、最初の禁断症状なんですよね?」
「正確には、最初で最後のね」
「最後……?」
フォルトの知識との齟齬で混乱している俺に、お父さんは続けた。
「吸血鬼は魔界の中でも一、二を争う長命な種族なんだけれど、それは吸血で“ドラキニウム”という血液中の成分を得て延命しているからなんだ。吸血を怠り続ければ急激に年を取り、長くて十年以内に息絶えてしまう」
「エリスさんはもう十六年も生きているじゃないですか」
「それは僕が、エリスを人工的に延命させていたからなんだよ」
お父さんは懐から何かを取り出した。
それは理科の実験で用いる試験管であり、中に紅い液体を親指の第一関節程入れてゴム栓で閉じられていた。
「エリスさんのお父さん、それは?」
「これは薬さ。僕は学生の頃から薬草などで薬を作る事に興味を持っていてね。魔王軍の軍師を務める傍ら、治癒魔法では回復出来ない傷を癒す薬を作っていたんだ。紅茶に入れてた成分活性剤も、僕の自作なんだよ?」
まだ誤魔化す気かと言いたくなったが、さすがにそれは野暮なので黙って相槌を打つ。
「僕がヴィンセントに謀反を起こした時、偶然にもエリスはその惨状を目の当たりにしてしまい、残酷なものが苦手になって、血液恐怖症になってしまった」
「そんなに昔から……」
「謀反は失敗に終わり、裁判で極刑を決められた僕は独房の中に閉じ込められていた。でもそれから三年半が経った頃、突然仮釈放が許された。どうしてだと思う?」
全く分からず、首を横に振る俺。
「妻と二人で暮らしていたエリスが、ドラキニウムの不足でついに意識不明の重体になってしまったんだ。それで自分の娘は自分で守れと、薬を作るよう命じられたってわけ」
魔界は未だに投薬治療がほとんど発展していないらしく、昔からの製薬技術を信じ、魔王ヴィンセントが直々に頼んだのだとお父さんは言った。
学級長の命を助けることに親父が一枚噛んでいたのは意外な事実だった。
「それで出来たのが、その薬ですか?」
「そう。血液からドラキニウムを抽出してこの栄養剤を作り、意識が無かったときは血管に直接注入して、目覚めた後はこれをエリスの食事に適量入れて食べさせたんだ」
「エリスさんは気付かなかったんですか?」
「ドラキニウムはほぼ無味無臭だからね。違和感を覚える事がないまま、エリスは体調を戻してくれたよ」
「じゃあ今もその薬を与えているんですね」
嬉々として話していたお父さんであったが、俺がそう言うとその表情は険しいものへと急変した。
「いや……この薬はもう用済みだ」
「別の薬を作ったんですか?」
「そうじゃなくて、もう薬ではエリスの体調を治す事は出来ないんだ」
お父さんは二本の指で弄っていた試験管をベッド横のライトスタンドに置き、前傾姿勢で椅子に座り直す。
「エリスは特殊な体質で、一般の吸血鬼よりもドラキニウムが必要になるんだ」
「それってどれくらいの量なんですか?」
「今は成長期だから、大雑把に答えると通常の約三十倍だよ。ちなみにそこに置いたのが普通の量のだから、それを三十本分一回で服用するってことなんだ」
そう試験管を指差されて、それがどれ程の量なのかがようやく理解出来た。
「さっき言った通り、ドラキニウムは“ほぼ”無味無臭だ。逆に言えば、ある程度の量を同時に服用するとその味と臭いが現れるという事なんだ」
「それを味わったんですか?」
「エリスの摂取する量がどれほどなのか、一度自分の身体で試した時にね」
「凄いチャレンジ精神ですね……」
「口に含んだ途端、漢方薬という古来の薬を遥かに凌ぐ苦味と、卵を極限まで腐らせた様な名状し難い臭いが口内に充満して、まともに飲み込めず死ぬかと思ったよ」
「うわあ、そんなに酷いんですか!? エリスさん、大変だなあ……」
俺は転生前から漢方薬はまともに飲めず、理科の実験で硫化水素の臭いを軽く嗅いだだけで失神した事もある。
だからその双方を上回る苦さと臭さを想像しただけで、何か酸っぱいモノが喉の奥から込み上がってくるように感じた。
「だからこの二つの副作用を抑える方法を探しているんだけれど、まだ一つしか発明していないんだ」
「一つでもあるなら、それを使えば良いじゃないですか。どうやるんですか?」
「血液中に混ぜるんだよ。ドラキニウムは血液によく溶けやすく、血液がドラキニウムの味や臭いを打ち消してくれるんだ」
答えを聞き絶句する。
ドラキニウムって、血から抽出するって言ってたよな?
「それって取り出したドラキニウムを、また血液に入れてるだけじゃないですか!?」
「だから効率良くドラキニウムを摂取するには、吸血する事が一巡して最適なんだよ」
何でそんな本末転倒な結論を弾き出しちゃっているんだ。それまでの苦労が水の泡と化しているじゃないか。
智将と言われていた実績がある割にはどこかズレていないかこの人? 何とかと天才紙一重って言うし。
「……じゃあ協力って、エリスさんに吸血されろって事ですか?」
「まあそういう事になるね」
「すいません、丁重にお断りします」
「ええっ、どうして!?」
俺が拒否するのは想定外だったのか、学級長のお父さんは酷く驚いた。
「どうしてって……吸血鬼に血を吸わせてくれって言われて快く許可してくれる人がいるんですか?」
転生前に見た映画だと、吸血鬼に血を吸われた者は新たな吸血鬼に変化していた。
今の俺は魔物となっているが、魔物が吸われるとどうなるかなんて例を聞いたことが無い。流石に吸血鬼に変わることはなくても警戒していた方が良さそうだ。
「ていうか、エリスさんは血が苦手なのに、吸血したことがあるんですか?」
「まだ一度も無いよ。君が初めての相手になるんだ」
「僕じゃなくても良いじゃないですか」
「エリスからの指名なんだよ。最初は君が良いんだってさ」
「吸血鬼って血を吸う相手を選ぶんですか!?」
なんで指名制なんだ。なんでよりによって俺をチョイスしたんだ。
「――吸血鬼だって生物の一種。消費者として餌の選別をする権利があるのは当たり前の事じゃないですか」
冷やかな目付きで威圧してくる脳内学級長に思いを馳せていると、入り口の方からそう応えられる。
顔を向けるとそこには薄ピンク色の寝間着姿の学級長が立っていた。
衰弱しているのか肌は青白く、頬は少し痩けているように見える。
しかしクールビューティな視線は健在の様で、脳内の彼女の二割増しな鋭い眼差しでこちらを見ていた。
「やっ、やあエリスさん、体の調子はどう?」
「先程まで安静にしていたため深刻な状態ではありませんが、そこまで良好な状態でもありませんね。隣の部屋で騒がれていては、ゆっくり眠る事も出来ませんし」
ヤバい、心なしか視線が更に鋭くなった様に見える。
隣の部屋にいるなんて聞いちゃいないが、反論したら余計に怒らせそうだから止めとこう。
「おやおや、今から連れて来てもらおうと思ったのに、もう起きちゃってたね」
「騒がしかったのはあなたのせいでもあるのですよ、お父様?」
「ごめんごめん、それじゃあもう始めよっか」
お父さんは机の試験管を回収しながら娘にそう伝えると、体を百八十度回転させてドアに向かう。
俺は慌てて、動けないながらに彼を食い止めた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 僕は吸血されたくないって言ってるじゃないですか!?」
「何を今更……」
「だって最初から決まっていた事なんだからしょうがないじゃない」
「しょうがなくないですよ!」
「往生際の悪い男は、魔王として不適合ですよフォルト君」
「魔王とか、今はそんな事関係無いよ! とにかくこれを解いてって僕は言って――」
「――黙りなさい」
突然、顔に外側から圧力が横にかかり話せなくなる。
学級長の顔が目の前にあり、その右手が俺の両頬を押さえつけていた。
「いい加減自分の立場をわきまえてみたらどうですか? フォルト君、今のあなたは鎖で繋がれた、憐れな実験動物に変わりないのですよ?」
至近距離で睨む学級長にたじろいでいると、彼女の後ろのドアからバタンと閉まる音がする。
お父さんが部屋の外に出たのだ。部屋の中にいるのは俺と学級長の二人だけ。
この学級長の“食事の時間”がついに幕を開けたのだと、俺は無意識の内に感じていた。
「さて、邪魔者はいなくなりましたね」
封じていた口から右手を離し、学級長が淡々と告げる。
「エリスさん、本当にするんですか……?」
「フォルト君は私の身を案じて、私の家に来てくれたのでしょう? 見舞いの品として、血を少し貰うだけですよ」
「少しって……エリスさんに必要なドラキニウムはかなりの量なんじゃ……」
「失礼ですね、命に関わる程は飲みませんよ。血液は苦手ですから」
「そ、そう?」
「まあ私の血液嫌いはいわゆる“飲まず嫌い”でもあるので、その味に強い関心を持つことも有り得なくは無いのですが」
「えっ、えええ……」
安堵させといてなんつーことを言ってくれんだこの女は。口に合ったらミイラ化するレベルで血を取られるって事じゃないか。
そう愕然していると、服を前方に引っ張られる感覚と、ふくらはぎの辺りに重みを感じる。
見れば学級長が俺の足に馬乗りになっており、俺のシャツのボタンを外していた。
「ってちょっと、何してんですかエリスさん!?」
「ア……血を吸い易くする為に、首筋を露出させているんです。これくらい普通ですよ。ハア……」
溜め息混じりに吸血鬼の業界の常識なんぞを言われたところでどうしようもないのだが、言われてみれば納得は出来る。服も血で汚しにくくなるし。
でもその問題は、多くて二、三個のボタンを外せば解決するだろう。なのになんで……
「なんで下まで全部のボタンを外してるの!?」
「ハア……ハア……うっかり勢いで外してしまいました」
「ちょっ、大丈夫ですかエリスさん?」
思考などが色々とおかしくなっている学級長を不安に思い顔を覗くと、ついに体調が悪化したのか、学級長の顔は真っ赤になっていた。
「ハア……ハア……いつまでも躊躇している……フォルト君が悪いんですからね……」
苦しげにそう言う学級長が口を大きく開けると、鋭く尖り、牙と化した犬歯がギラリと光る。
前に重心を倒した学級長の顔が俺の顔の横、首とシャツの間に入り込む。
「あー、んっ……」
「んぎいいっ!?」
そのまま学級長が噛み付き、上下の牙が当たる四点から俺の首筋に激痛が走る。
首だけに食らい付かれているはずなのに、じわりじわりとその痛みは全身に伝わり始めた。
「んっ……んっ……」
効率良く血液を取り込もうとしているのか、学級長は血を緩急を付けて吸い出す。
視界からわずかに見える青白い肌は、みるみる内に暖かな薄橙色を取り戻しつつあった。
開始して数十秒でこの回復力だ。ドラキニウムの効果の凄まじさが良く分かる。
「もう、もう良いんじゃないんですかエリスさん?」
「まだ全然足りませんよ。あと、気が散るとドラキニウムが摂りづらくなるので、吸血中に話し掛けないで下さい」
「ひっぐうううっ!?」
邪魔をされたのが余程不満だったのか、先程よりも深く牙を突き立てられる。
同時に背中を爪で引っ掻かれ、俺は苦悶の表情を浮かべた。
それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
学級長は既に体調は取り戻したようだが、未だに血を啜り続けている。
それに対して俺は、どうもさっきから体調がおかしくなった気がする。
身体が弛緩したかの様に動かず、視界が少しぼやけ始めており、頭が朦朧として、今にも意識が刈り取られそうだ。
「エリスさん……もう止めませんか……?」
「ンヂュル……またですか」
俺の終了の提案に、話し掛けるなと言わんばかりの目付きで応対する学級長。
少し薄めの唇は真紅の血に濡れ、彼女が本当に血を飲んでいることを改めて理解させられた。
「いい加減しつこいですよ?」
「いやだって、もう十分元気そうじゃないですか」
「ドラキニウムは最初は皮膚、それから内臓に作用するのです。外見が元に戻っていても、まだ終わりではないのですよ」
「それじゃあまだ吸われるってことかあ……ハア……」
まったく、どうしてそんなに血が必要な体質なんだ。
吸血鬼に血液型があるなんて聞いたことはないけど、どちらとしても血液が必須となった時は輸血してもらえば良いのではないのだろうか。
「そんなに嫌なら、今日の所はこれくらいで止めにしましょうか?」
「えっ?」
学級長の案に、俺は間抜けな声を上げた。
先程まで血が足らないと不平を言っていた学級長が突然折れたので、思いにも寄らなくて心底驚いていたのだ。
「えっとエリスさん、本当に良いんですか?」
「構いません。少しぐらいなら不足していても大丈夫なはずですから」
常人の数十倍の吸血量での“少し”ってどれくらいなのだろうか。コップ一杯分くらいならマシなんだけどな。
「じゃあエリスさん、これを外してくれる?」
ジャラジャラと鎖を揺らし、早く解放してくれとアピールする。
すると学級長は突然部屋を出てしまい、一分後にお父さんとカウンセラーさんを連れて戻ってきた。
「終わったようだね」
そう言いつつ指を鳴らすお父さん。
指パッチンが解除の鍵となっていたのか、俺の四肢と首を繋ぎ止めていたリングは軽い音を立てて真っ二つに割れた。
「アイタタタタ……」
「お疲れ様。僕が門の前まで送って行くよ」
学級長は送ってくれないのだろうかと見回すと、そこに学級長の姿は既に無かった。
「エリスさんは部屋に戻られたんですか?」
「まあね。君と一緒にいると、またすぐに血を吸いたくなりそうだし」
「そ、そうなんですか?」
「だって君には淫魔の遺伝子があるからね」
お父さん曰くサキュバスを母親に持つ俺の身体には、体外に異性を発情させるフェロモンを発するという淫魔――インキュバスの特徴もあり、吸血前に学級長の顔が赤くなっていたのは興奮していたためなのだとか。
吸血行為には補食のためだけでなく、求愛と同時に、興奮した自身を抑制するための意味もある。
しかし長時間近距離に近付けていると、吸血では抑えられない程の発情状態に陥る事もありえ、俺が終了を提案していなければ、お父さんが部屋に突入して無理矢理学級長を引き離すつもりだったらしい。
「婚約者同士であるとはいえ、僕はその次の展開は許していないからね」
「つっ、次の展開って……」
「君にはまだ早い事だよ」
一瞬、お父さんの顔がキッと引き締まる。学級長の貞操を心配するのは娘を持つ父親ならではのものなのだろうか。
と、そこで俺はあることに気付いた。
「エリスさんは求愛行為として吸血してたんですか!?」
「そうだよ。言われなかった?」
「全く言われてませんよ! てっきり本気で吸い尽くすのかと……」
首を横に振り否定すると、お父さんは顔に手を置き上を向いた。
「やっぱり口下手だなあエリスは。まあそうだろうとは思っていたけど」
「は、はあ……」
「とにかく門まで送るよ。もう夜も遅いしね」
お父さんはそれだけ告げると部屋を出て、部屋の外で待機していたカウンセラーさんがそれに付いて進んで行く。
そういえばカウンセラーさん、薬入りの紅茶を飲んでから、ていうか飲む前からおかしいけどどうしたんだ?
普段から無表情なのにその眼からハイライトが消えると、本当に生き物なのかと疑うくらい無機質な顔になる。
それはまるで心の持たない人形の様な……
「何してるのーフォルトくーん? この屋敷は君んちみたいな構造はしてないけど、下手すると迷うよー?」
「すっ、すみません!」
ドアの死角からの催促にカウンセラーさんへの疑念を打ち消し、俺も彼らの後を追った。
学級長のお父さんの誘導に付いて行き、俺とカウンセラーさんは玄関を出た。
お父さんの言う通り、屋敷の内部は質量保存の法則を軽く逸脱した魔王城の様な構造ではなかった。
しかし長い廊下に全く同じドアが乱立しているという気の遠くなる光景と、今本当にお父さんは俺達を玄関に導いているのかという不審感が相まって、三分前後という短時間にもかかわらずとてつもない精神的ストレスが俺を苛んだ。
現在の時刻は午後九時。お見舞い直後はまだ昇っていた太陽も既に沈み、魔界の雰囲気に似合った三日月が薄白く地面を照らしている。
魔界の月は太陽と逆で明るいのかと一人納得しながら前に歩いていると、いつのまにか門の外、幌馬車の前に着いていた。
「じゃあフォルト君、また来週からエリスと仲良くしてやってくれよ」
既に馬車に乗り込んだ俺にそうお父さんは約束する。
身体は門の内側に入ったままで、お父さんが近付くと同時に鉄門ごと屋敷を囲むように半透明の立方体が現れた。これが屋敷の結界なんだろうか?
「明後日からは学校に来れないんですか?」
「今日の吸血は実験的なものだったんだ。これからエリスの体調が回復するのかは分からないから、少なくとも今週一杯は様子を見させてもらうよ」
お父さんが用件を全て伝えたのを察したのか、カウンセラーさんが無言で手綱を引く。
ヒヒーンと馬の鳴き声が空しく響き、幌馬車は反対を向き進み始めた。
「それじゃー、また来てねー」
後ろから間延びした送迎の声が聞こえる。次来るのは未定だが、これまで魔王を裏切った参謀としか見ていなかった学級長のお父さんの印象はかなり変わったと思う。
もし次会えたら、その時は“お義父さん”って呼んでみるか。学級長がどう反応するか見物だし。
「あとエリスの事だけど、学級長じゃなくてエリスさんって呼んでやってよアキトくーん!」
「はあああ!?」
突然転生前の名前を言われて驚き、反射的に幌馬車から顔を出して屋敷を見る。
しかし既にお父さんの姿はなく、俺は徐々に屋敷が遠く小さくなってゆく様を見ていることしか出来なかった。




