異世界で最も危険な配布物配達
「なあフォルト、一昨日の賢者の話の続きなんだけどさ――」
「あーごめんニクス。余りにも気になりすぎて自分で調べちゃったんだ。気遣ってくれてありがとう」
「お、おう……」
セウェンドヤードの学校は、既に登校していたニクスに詫び入るところから始まった。
しかし今更だが、一日おきに学校があるってのも案外辛いものだ。
人間界では平日だったのに、土曜日の高揚感と日曜日の焦燥感を一日の内に味わうことになる何とも言えない日が一週間に二度もある。
普通の土日も合わせて三度の飴と鞭。健やかな生活に休息は必須なのだろうが、流石に多すぎやしないのだろうか。
健やかな生活と言えば、今日もエリス学級長の姿が見当たらない。
彼女の事はそこまで好きではないのだが、交流がある人が理由も言わず姿を眩ませるのは何かと心配なものだ。
「ねえニクス、エリスさんってどうして休んでいるんだっけ?」
「んなこと俺は知らねーよ」
「そ、そうだよね」
「俺はお前が知ってると思っていたんだがな。ジョーなら知ってるんじゃね?」
「ジョーならねえ……」
懐疑的になりながら今度はジョーに聞くことを考えていると、ジョーが欠伸をしながら教室に入って来た。
「ふわああ……うぃーっす」
「おお、噂をすれば」
「あのさジョー、エリスさんが休んでる理由って知ってる?」
「いや、俺も知らないんだが」
「あれ?」
あれ?じゃねーよニクス。期待していた結果がこれだぞ。
そう(フォルトの口調に変換してから)言ってやりたくなるが、今俺がニクスを責める権利は無い。俺もジョーならば知っていると思っていたからだ。
軍師であった学級長の父もレオン親衛隊長も、親父とは旧知の仲であることもあり、双方互いにも面識があったはずだ。
だからそういった情報も交換していそうなのだが、ジョーが何も聞かされていない辺り、謀反による確執で交流が途絶えたのだろう。
「もしかしたらこの校内で、その理由を知る人はいねーんじゃねえのか?」
「いや連続して休むんだし、先生達に連絡は来ているだろ」
「何にせよもうすぐ朝礼のチャイムが鳴るから、この話は打ち止めだね」
そう言って俺がニクスの席から離れると、ジョーが俺に話しかけてきた。
「そういえばフォルト、親父が迷惑をかけてごめんな」
「え? ああ、一昨日の事?」
「お前が気に障る事をされたと言うなら、腹を切って詫びるって親父が言ってたんだよ」
どんだけ気に病んでいるんですかレオン親衛隊長。
「別に気にしてないよ? 体調悪いのに修練を手伝ってもらったんだし」
「そうか。ならそう伝えとくわ」
そう納得して、ジョーは先に自分の席に戻った。
俺達が気になっていたエリス学級長の欠席理由についてだが、意外にもと言うかやはりと言うか、朝のホームルームのマリア先生の通達で早くも解決した。
「エリスさんは今週は貧血で休みだそうです」
吸血鬼は血を飲んで生き長らえていると古今東西の創作物でよく描かれていて、この世界の吸血鬼もそのお約束は通用している。
そういった話の場合、吸血鬼はにんにくや十字架、銀製の武器や日光などに弱いというのもお約束なのだが、この世界の吸血鬼はそれらが効かない。
が、学級長にはそれらの弱点が恋しくなる程辛い弱点が生まれつき付加されている。
これはフォルトの記憶にあった話――最初からこれを覗けば変に悩まないで済んだな――なのだが、エリス学級長は血が苦手だ。
勇者の惨殺サイコロステーキを見て悲鳴を上げていたのでグロいのは苦手だと分かってはいたのだが、飲むことも無理な程とは想像出来なかった。
後でカウンセラーさんに聞いたところ、吸血鬼は生命の維持の為、他の種族には必要の無い、特別な成分を摂る必要があるらしい。
その成分は血液からのみしか摂取することが出来ず、長年取り込んでいないと逆に体がじわりじわりと蝕まれ、最終的には死んでしまうのだとか。
それの初期症状が貧血であり、エリス学級長は発症し苦しんでいる。明らかに命の危険に晒されているのであろう。
「そこで、フォルト君にはお願いがあります」
「え、僕にですか?」
「エリスさんの様子を見てくるのと、彼女に今週授業で使うプリントを渡してきて下さい」
俺が彼女を心配する顔を表面上で繕っていたからか。
あるいは、俺と彼女の約束された未来を知っているからなのか。
ともかく俺はマリア先生に頼まれて、放課後に学級長の家にお見舞いに行くことになった。
「フォルト様、到着いたしました」
幌馬車から出て、涼しい風を顔に感じながら、目の前に建つ家を見上げる。
百六十センチはあるカウンセラーさんの二倍は高い鉄の塀に囲まれた、知能を持った魔物が住む木造の家屋を三つ横に繋げた様に大きな屋敷が、夕暮れのオレンジ色の空に映えていた。
「ここがエリスさんの家なんですか?」
「はい。そしてこの屋敷は、“前魔界軍参謀”アルベルト・アリシアの身柄を拘束する結界の役割も担っております」
――アルベルト・アリシア。魔王ヴィンセントを陥れようと画策し、一時的に魔界を混乱させたと言われている吸血鬼。
その名前を聞いて、目の前の屋敷が禍々しいオーラを放っているように見え始めた。
「え、中にあの……?」
「そうです。彼はこの結界内に封じ込められているのです」
「そ、そんな家に入って大丈夫なんですか!?」
「と申しますと?」
「父上を裏切った人を捕らえているんですよ!? 魔王の身内が中に入ったらまずいんじゃ……」
「だから私が付き添いで来ているのではありませんか。それにこの屋敷の結界は、対象の殺意による行動を制限する効果があるので大丈夫なはずですよ」
「そうなんですか?」
「第一、すぐに猟奇的行動を繰り返す様な狂人と共に暮らしているのであれば、エリス様の思考に少なからずとも影響があるはずです。彼女の言動を見る限り、彼女の精神具合は正常であるはずでしょう」
淡々と答えるカウンセラーさんに、妙に納得がいく。
確かにその通りじゃないか。学級長のあの性格が元々なのかどうなのかは知らないが、学校に来ていた先週まで、クラスのリーダーとしての責任を持って行動していた所を思えば、精神がおかしくなっていることは無いのだろう。
では参りましょうと、カウンセラーさんが鉄の門に近付いたので、慌ててその後ろについた。
自動で開いた門を抜けて、玄関までの直線の通路を歩く。罠は特に掛けられていなかったらしくて安心した。
玄関を開けるためにカウンセラーさんがドアノブに手を掛けようとする。
するとドアは自然に中に開き、その手は虚空を掴んだ。
「――やあ、いらっしゃいフォルト君」
「ッ!?」
突然声が聞こえ、内心ビビった俺は体勢が崩れたカウンセラーさんの後ろから開いたドアの方を向く。
内側に開いたドアから半身だけ姿を見せた白銀の髪の青年が、柔らかな笑みを見せながらこちらを見つめていた。
「玄関先で話すのはどうかと思うからね。どうぞ中に入って」
そう青年に招かれて、学級長の家の応接間に連れて来られた俺とカウンセラーさん。
何が起こるのかとソファにぎこちなく座っていると、青年がティーセットを机に置いてきた。
「エリスの為にお見舞いに来てくれてありがとう」
「いえ、まさかお兄さんに迎えてもらうとは」
「お兄さんだなんて、照れるなあ」
「エリス様のお兄様、私達にこの場で茶を啜る暇など無く、エリス様のお見舞いを早急に済ませてしまいたいのですが」
「お兄様」を妙に強調して、カウンセラーさんが冷たい目で青年を睨む。
「ああそうだった。じゃあ僕はエリスを呼んでくるから、君達はここでくつろいでいてね」
その目線だけでその辺の魔物を追っ払えそうな彼女を意に介さず、青年は再び部屋を後にした。
「まさか、エリスさんにお兄さんがいたなんてなあ……」
「フォルト様、アリシア家は代々子を一人のみしか作らないため、エリス様に兄弟はいませんよ?」
「ええっ!? じ、じゃああの人はまさか……」
「そう、彼がエリス様の父、アルベルト・アリシアです」
ぞくりと背筋に寒気が走る。いやまさか、今俺に親しげに話してきた青年が、エリス学級長の父親だと?
「そ、それにしては妙に若々しくないですか? 父上の古くからの友人なんですよね?」
「吸血鬼は血液を飲むことにより、寿命を延ばすだけではなく身体の若返りをすることも可能です。確かに彼はヴィンセント様と旧知の仲にございますが、年齢についてはヴィンセント様の数倍は生きていると推測されております」
「推測されてるって……確定はしてないの?」
「容姿からの年齢の把握が困難を極めており、ほとんどの吸血鬼は年齢不詳ということになっております。ちなみにエリス様は十六歳で間違いないのでご安心下さい」
「は、はあ」
要らん心配をどうもありがとうございますカウンセラーさん。学級長も五十路とかなのかと思ってしまったけど。
しかし予想外な事が多すぎる。学級長のお父さんの容姿が若かったのは勿論だが、凶悪な犯罪者の側面を持つ彼が家中を動き回っていることも予想出来なかった。
てっきり屋敷の一室にでも閉じ込められていると思っていた俺の発想が大袈裟なだけなのだが、自由に動けるとなると何をするか分かったもんじゃない。
ふと、目線が机に行く。
白磁器のティーカップに淹れられた紅茶はまだ暖かいので、半透明な白い湯気を立たせている。
もしかしなくても、これには毒が……
「ルシアさん、これを調べ――」
「あーごめんね、エリスはもう寝ていたよ」
紅茶が危険かどうかカウンセラーさんに聞こうとすると、丁度学級長のお父さんが戻って来た。
両手を顔の前で合わせて、とても残念そうな顔をしている。
「ああなるとエリスは全く起きないんだ。会わせられなくて本当にごめんねフォルト君」
「別に良いですよ、エリスさんのお父さん」
そう受け答えると、お父さんはあちゃあと言ってはにかんだ。
「……さっきまでお兄さんって呼んでたのにそう言うってことは、もしかしてバレちゃった?」
「ここにいるルシアさんが教えてくれました」
俺の紹介に、カウンセラーさんがお父さんに向かって軽く頭を下げる。
その彼女を、お父さんはじっと品定めをする様に見つめている。
「へぇ……彼女が、ねぇ……」
「もしかして、ずっとお兄さんって呼んでた方が良かったですか?」
「あいや、そんなことは無いよ? まあ本当はフォルト君には“エリスさんの”を抜いて、“お義父さん”って呼んでほしいんだけどね」
明らかに“お父さん”のニュアンスにズレがあるように聞こえるのだが、そこは無視しておこう。
ここに来た本題を果たすため、小脇 に抱えたプリントの束を、学級長のお父さんに差し出す。
「じゃあこれはお父さんに渡しておいて、僕達はもう帰りますね」
「あれ、紅茶飲んでくれないの? せっかくとっておきの茶葉を選んでもてなそうと思ったのに」
プリントを手にしたお父さんは、少し寂しそうな顔を作ったように見えた。
「そこまで喉は渇いていないので。お父さんの厚意を無駄にしてしまいすいません」
カウンセラーさんが言っていたように、とっとと用事を済ませて帰るのが良いんだ。
もてなしという言葉のトラップに惑わされちゃいけない。余り良い断り方ではないけど、その紅茶を飲むのもやめておこう。
「それじゃあエリスさんのお父さん、さよう――」
「フォルト様、アルベルト様の厚意を無下にしたくないのであれば、出された紅茶を頂く方が良いのではないでしょうか?」
先程とは違う意見を述べて、カウンセラーさんは自分の前のティーカップを持って立ち上がる。
足を肩幅まで広げ、右手は腰に、そして上を見る――風呂上がりに牛乳を飲む時のポーズで、喉を鳴らして紅茶を飲み干した。
「ル、ルシアさん?」
突然のカウンセラーさんの奇行に俺は呆然とした。
それに対して、学級長のお父さんは嬉しそうに頷いている。
「さあ、フォルト様も飲むのです」
「ええっ!? だってルシアさん、さっきお茶を飲んでいる暇が無いって……」
「それはエリス様との対面を本題として訪問していたからであり、エリス様が既にお休みになられていたので時間が余った今となっては話は別です」
ていうかカウンセラーさん、何だかおかしくなってないか!?
ルシアという給仕として魔王に仕えているのだから、カウンセラーさんの転生関連の話以外の言動は基本的に親父や俺を優先したものが多い。
お使いを済ませて早く城に帰りたいと暗に言っているのも、俺の命の危険性を考えての発言だ。
なのに今の彼女はその反対、ティータイムに洒落込む事で、この屋敷にいる時間を長くするよう俺に所望している。
たった数分の間で正反対の意見を言うなど普段のカウンセラーさんにはありえないはずなのに、紅茶の一気飲みはするし、一体カウンセラーさんはどうしてしまったんだ!?
「大丈夫ですよフォルト様、この紅茶に危険な物質は入っておりませんし、カップの縁に何か塗られているということもございません」
「そそっ、そうなの!?」
「既にチェックしておきました。なので安心してお飲みください」
いやいやそんなこと、そんな凄んだ顔で言われたら本当なのかどうなのか分かりにくいですよ!?
「で、でも……」
「フォルト君」
飲もうか飲むまいかと躊躇する俺に、今度は学級長のお父さんが話し掛けてきた。
「まさかダケど、飲まナいなんテ事ハ無いヨネ?」
にこやかな口調だが、そう言うお父さんの顔は笑っていない。
この前の剣道の授業でブチ切れた俺に学級長が見せたのと同じ、無機質で機械的な冷たい表情。
生き物の温かみを微塵にも感じないその表情に、俺は二、三歩後退りした。
「モし飲マなかッタら……オ義父さン怒っチャウかもナア……?」
ヤバい。明らかにヤバい。
最早俺には、「飲む」というコマンドしか残されていないのは明白だ。
飲まないと、飲まないと殺られる。
「の、飲みますっ! 飲みますからっ!」
そう叫んで、ティーカップを乱暴に掴む。
紅茶が溢れて手にかかるがどうでも良い。熱さなんか気にならなかった。それほど焦っていたんだ。
それでも口に入れるとなると我慢は出来ない。ふーっと息を吹き掛け少し冷まし、一気に紅茶を呷った。
焼け付く様な喉の痛みを堪え、肩で呼吸をしながらカップを受け皿に置く。
後は学級長のお父さんに「ご馳走さまでした」とでも言えばこの修羅場を越えられるはずだ。
さあ行け高林秋人――フォルト・ハイグローヴ、窮地を脱してこそ次期魔王だ。
「ご、ごちそうさまでし……がっ……ごほっごほっ」
言い切る前にいきなりむせて、世界が左右に揺れる。
平衡感覚を保てなくなりしゃがむと、次は肺に痛みが訪れた。
「そ、そんな……ど、毒は、入っていないんじゃ…………ぐあ、あああああああ!」
喉の痛みも鋭い棘で何度も刺される様なものとなり、余りの辛さについに倒れ伏せてしまった。
体が重い。瞼も重量を増してきたのか、視界が狭まり始める。
薄れ行く意識の中で最後に見えたのは、カウンセラーさんの汚物を見るような目と、学級長のお父さんのにやけた笑い顔であった。




