フォルト・ハイグローヴの変貌
教室に戻ってから三十分程経過し、ホームルームを終えて一限目の授業が始まった。
教科は数学なのだが、それに対するフォルトの反応はというと……
(ハァ……数学かぁ……)
メチャクチャ嫌そうだった。
実のところ、フォルトはお世辞にも頭が良いとは言えない。このクラスには四十体もの魔物がいるのだが、成績はその中でも下の上(ちなみにコイツより下の奴には言語機能が劣っている者が多い)程で、次期魔王としての尊厳はどこかへと消えてしまっているようだ。
そりゃあもし世界の統治者が自分よりも遥かに馬鹿だったら、ソイツに任せようとは思えんしな。
(ねえ秋人君)
『なんだよ?』
(代わりに問題解いてくれないかな?)
『無理だ。数学は得意でも不得意でもないんだよ』
まあ高校入ってすぐまでは余裕だったけどな。二次関数で詰んだし。
(ええ~?)
当たり前だろ、と思いつつ、ふと魔王様が嫌う教科書に目を移す。そして驚愕した。
その問題が入試に出てくるレベルの難問だからではない。寧ろその逆で、中学一年の問題がほとんどだからだ。
『……気が変わった』
(え?)
『フォルト、ちょっと代われ』
(ホント? でも秋人君も数学は……)
『良いから。お前は先生の話をしっかり聞いているだけで良い』
(わ、分かったよ。“チェンジ”ッ!』
よしこれで俺に行動権が回ってきた。
目の前の教科書に記載されている六問。単元は一次方程式。
黒板の前で男性教師(脚がタコになっており、背中に槍を武装しているためドラクエで言うヘルパイレーツみたいな魔物なのだろう)が熱弁しているが、それを聞く大半の生徒は何が何だか分かっていないらしい。
つまり、魔界の高一は学力的には中一レベルであり、既にこの部分を(当時は)トップクラスの早さで覚えた俺にとっては何の障害にもならない。
この世界の言語については読解不可能だが、四則計算の符号は同じなのでなんとかなる。
(フォルト、この問題文を読んでくれ)
『えーと、式を整理して×○の値を求めよだね』
×○というのは数字の横にある奇天烈な記号のことだろう。それ以外は死ぬ三年前に習った事と全く同じ。
問題の主旨も分かったので、後は「あっ! ここ死ぬ前に出たところだ!」と通信講座の勧誘漫画の如き台詞を頭に浮かべながら答えを記入するだけだ。
「じゃあ答え合わせするぞー。まず一問目をニクス」
ヘルパイレーツっぽい教師――一応オクトという名があるらしい――が指名する。ちなみに指されるのは言葉を話せる生徒のみで、言語を理解出来るが話せない奴が当てられることはまず無い。
「×○=8です」
斜め前の席に座る、フードを被った小柄な男子生徒が答える。机の横に弓矢が立て掛けられているので、おそらくリリパットとかそういった種族なんだろう。人間化出来るとしても、多少は元の種族の姿に寄るのだろうか。
で、肝心の答えなんだが……うん、間違いだな。
「残念だが、この答えは×○=マイナス8だ。符号を切り換える式もあるので注意するように」
彼のミスをオクト先生が指摘した。それと同時に俺は赤インクの瓶に羽ペンを浸して、羊皮紙に丸を描く。
『あれ、8じゃないの?』
フォルト・ハイグローヴ、お前もか。
「じゃあ二問目はジョー、答えろ」
「あ、えーっと――」
とまあこんな感じで、五問目まで答え合わせが終わった。
クラス全体での正答率は四割、俺はなんとか全部に丸を付けている。
三年前に覚えきったことを忘れてのミスなんて恥ずかしいからな。
「じゃあ六問目は……フォルト、分かるか?」
あまり期待をしないような声でオクト先生は俺を指名する。……って指名されたのか俺。
(……“チェンジ”』
『えっ、秋人君、なんで代わったの!?)
『お前の口調をまだ覚えきれてないんだよ。それに、俺だけで解いてどうする?』
(で、でも……)
『確かめは十分にしたから、答えは絶対合っているはず。後は口に出すだけだ』
(分かったよ……)
諦めたフォルトはノートを見て、軽く戸惑う。まあ想定内だ。
普通こういった教科書の問題ってのは、最後の一問は他よりも複雑になっているもんだからな。
「どうしたフォルト? またいつもの様に『分かりません』って言っても良いんだぞ?」
オクト先生が催促する。どうやらコイツもフォルトを舐めている様だ。
「×○=……11分の……23です……」
途切れ途切れに答えたフォルト。さてオクト先生の反応は……?
「…………やろうと思えば出来るじゃないか。正解だ」
そう言われ、クラス中から拍手が巻き起こり、それに遅れてチャイムが鳴った。
って、もう授業おわり!? 一時限が短すぎるだろ!
授業内容もそうだが、本当にここは高校一年生のクラスなのか!?
さて、休み時間になったわけだが、まあ面倒臭いことになった。
先程の×○=11分の23が合っていたのはクラスの一割程だったらしく、そんな難問(?)をこの落ちこぼれ魔王は答えたので、「魔王フォルト・ハイグローヴ覚醒!?」と騒然となったらしい。
「フォルト、すげえなオイ!」
「あの問題どうやって解いたの!?」
「フォルト君のこと見直したな~」
「うおおおうおうおおうお」
「ちょ、みんな、いっぺんに話さないで!」
転校してきた美少年、あるいは来日したハリウッド男優の様に囲まれるフォルト。
周りは擬人化してる・してない、言語機能を持つ・持たない魔物だらけ。正直言って鬱陶しい。
数学の問題一問でこんな盛り上がれるもんなんだろうか。
『すまんなフォルト』
(別に良いよ……でもどうすれば良いかな? 流石に全員の質問に答えることは出来ないし……)
『何分休み時間があるんだよ?』
(四十五分だね)
授業が十五分だったのに、それは長すぎないか?
学校生活イージーモード過ぎるだろ。
『仕方ない、どっかに逃げろ』
(どこに?)
『トイレとか、屋上とか』
(……あー、まあ沢山あるよね)
『分かったら早く逃げろ。俺は人と群れるのが苦手なんだよ』
(う、うん)
魔物の群衆を掻き分けて、フォルトは教室という名のモンスターハウスから抜け出した。




