7 つかの間のご褒美__あるいは墓穴の入り口
王都の堅固な城門を超えた瞬間、ユージンは大きく息を吐きだした。後方から聞こえてくるはずのお転婆の叫び声も国王オーギュストの胃痛の気配も、もはや今の彼には届かない。
「……やっとだ。やっと、あの『檻』から出られた……」
向かいの席に座るモランは、ユージンの崩れた姿勢を見て、わずかにだが口角を上げた。王宮でのユージンはいつだって背筋を伸ばし、騎士として凛とした態度を崩さない。だが、今の彼は、ただの「家に帰る若者」の顔をしている。
「随分と楽しそうだな、ユージン。……王宮での生活が、よほど過酷だったと見える」
「笑い事じゃないぞ、モラン。あそこは息が詰まる。とくに『あれ』だ……お転婆の執着ときたら……」
ユージンは窓の外を流れる景色を眺めながら、満足げに目を細めた。
ところで、彼はまだ気づいていなかった。先ほどのあの検問所での彼の采配だ。
通行許可証のちょっとした不備でモランたちは、足止めを食らうはずだったのだが……。
「何だ……何が言いたい?」
ユージンが睨みつけただけで、門番たちは敬礼し直ちに道を開けたのだ。単なる一兵卒の騎士ではありえない話だ。相手の魂を屈服させるような__かつてのゼノスが用いた「威圧」とユージンの「論理」の複合技。
(……やはり、おかしい)
モランは心の中で冷や汗を拭う。
ユージンは、自分が何をしたのか自覚してはいない。だが、あの門番の目は「上位のものには逆らえない」という本能的な恐怖に染まっていた。これは、ただの「護衛騎士」が持つ資質ではない。
「……モラン、どうした?そんなに深刻な顔をして」
「……あ、いえ……ところでユージン殿は、実家に帰ったら、まずは何をなさるおつもりです?」
「寝る。とにかく寝て……それから母さんの手料理食べて……で、また寝る」
ユージンが屈託なく笑うのを見て、モランは改めて決意した。
この男は、自分が何者であるかを知らないまま、このロドニアという国家を、あるいは大陸の勢力図さえも、無意識のうちに塗り替えようとしている。
このまま放っておくと、アストゥール家の周囲を、彼を「王」として祭り上げようとする狂信的な勢力が埋め尽くしてしまうかもしれない。
アルベール・アストゥール邸……私設騎士団養成所。
アルベールが二人を出迎えた。
ユージンがエレナと再会を喜び合っているその隙を突き、モランはアルベールを中庭の隅へと誘った。
「……アルベール殿、少しよろしいですか?ユージンの……あいつには耳に入れられぬ件で」
アルベールは怪訝そうに眉を寄せたが、モランのただならぬ気配に圧倒され、静かに頷いた。
「どうした、モラン?……王宮でのあいつの働きぶりについてか?無事に勤めを果たしていると聞いているが」
「無事どころか……その『働きぶり』があまりにも異常なのですよ」
モランは声を潜め、王宮での数々の「ユージンにしかできない神懸かり的な采配」について語り始めた。
ガルディア軍との小競り合いでの軍略、レティシアを制御する不可解なまでの手腕、そして、周囲の人間を自分に従わせる「畏怖」の気配。
話が終わるころには、アルベールの顔から血の気が引き、かつて仕えていた主君__あるいはもっと底知れぬ恐怖を見るような表情になっていた。
「……モラン、正気で言っているのか?あいつが……『あのお方』の記憶を持っているだと⁈」
「確信は持てませんが、少なくとも今のユージン殿は『人間離れ』しています。このままでは、実家での休暇など、彼を伝説の王として囲い込むための準備期間になりかねないでしょう」
庭の向こうからは、珍しくユージンの笑い声が聞こえてくる。
義父として息子を愛でるアルベールの心臓は重く冷たく脈打った。
「……モラン、我々は静観しよう。だが、もしあいつが自覚を持った時には、この国は一体どうなる?」
「その時は……今のロドニアという国は消滅し、新たな帝国が生まれるでしょう……彼の平和を願う気持ちとは裏腹に」




