6 褒美の代償、あるいはつかの間の解放
戦場の熱気が霧散し、静寂が国境地帯に戻った。
ガルディア軍の斥候たちはユージンが敷いたあの「見事な撤退戦術」の前に、完全に戦意を喪失して国境の彼方へ消えていった。泥と硝煙のにおいの中、ユージンは執務テントの机の上に広げた地図を、まるで古新聞でも捨てるかのように乱雑に丸めた。
「……終わった。モランに上手く使われたような気もしないではないが……とりあえず終了だな」
彼が独り言ちたのと同時にテントの幕が上がり、現ロドニア国王オーギュストが入ってきた。その顔には、勝利の安堵と、あまりにも有能すぎる部下に対する少しばかりの困惑が入り混じっている。
「見事だったぞ、ユージン。国境の小競り合いがわずか数時間で、しかも我が軍は被害を出さずに収束するとはな……お前の采配には、戦場を知り尽くした古参の将軍たちも舌を巻いていたぞ」
国王は満足げに頷くと、ユージンの正面に立った。
「……褒美を与えよう。何が欲しい?領地か、それとも金貨か?……お前の望むものを言ってみろ」
ユージンは兜を脱いで乱れた髪をかき上げた。その瞳には褒美への期待など欠片もなく、ただひたすらにどうしようもないほどの「休息」への渇望が宿っていた。
「褒美ですか……結構ですよ。そんなものより……」
ユージンは国王の次の言葉を遮るように、しかし切実な声で即答した。
「実家に帰らせてください……いいえ、帰りたい。今日。今すぐにでも……頼みます陛下。俺を王宮から解放してくれ!」
オーギュストは驚き、一瞬拍子抜けしたように目を丸くした。それから、ユージンのその疲弊しきった横顔を見て、全てを察したようにため息をついた。
「……そうか、そこまでか。分かった。一週間やろう。一週間、お前の好きなように過ごせ」
「有難うございます!」
ユージンの顔に、久々に人間らしい安堵の笑みが浮かぶ。しかし、その笑みはすぐに引き締まった。彼は国王の眼をまっすぐに見据え、最後にして最大の条件を突き付ける。
「……それから、もう一つ。これが最も重要な願いです」
「なんだ?」
「いいですか?絶対にあれ(レティシア)を実家によこさないでくださいね!彼女が来るなら、俺は……俺はもう二度と王宮には戻りません。金輪際、騎士も辞めます!」
ユージンは必死だった。
もし、あの「檻の主」が休暇先にまで追ってきたら、自分の精神は間違いなく崩壊する。かつてのゼノスの記憶と、現代的な効率主義のユージンの魂が、等しくその事態を「破滅」と定義していた。
国王オーギュストは、その言葉を聞いて、一瞬だけ深い苦悩に表情を曇らせた。
実の娘であるレティシアのユージンに対する執着心がどれほど異常なことか、そして彼女の行動をオーギュストが食い止めることがどれほど「死の行軍」に近いかを、彼は身をもって知っている。
しかし、オーギュストはまた、ユージンという「国の防波堤」を失うわけにはいかない。彼は覚悟を決めた。
「……分かったぞ。このオーギュスト、神にかけて誓うぞ。お前の休暇を邪魔するものは、たとえ我が娘であろうとも決して寄せ付けん」
その「誓い」が、後に王宮を揺るがす「聖戦」の引き金になるとは知らずに__。ユージンは安堵のあまり、その場に崩れ落ちそうになりながら、敬礼をした。
「……ありがとうございます。これ以上の吉報はありません」
こうして、ユージンは短い休暇を勝ち取ったのである。
彼が知らないのは、国王が娘を止めるために支払うことになる代償と、これから王宮で繰り広げられる「防衛戦」の凄惨さだけだった。
もう、笑うしかない。




