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【小説】シュリンプ彩

掲載日:2025/12/15

 蝉の鳴き声がやけに大きく聞こえた。

 ユウタの頭はトマトやスイカのように潰れた。血飛沫が飛んでいく。

 アヤさんはユウタを助けない。

 おれはそれで満足だった。

 これでようやく、あの日から伸び続けた黒い影が見えなくなる。

 


 あの日も同じように蝉がうるさかった。

 おれはずぶ濡れの服を絞りもせずに立ち尽くしていた。

 そのおれを海から引き揚げた少女は、地面に両手をついて肩で息をしている。

 ふたりから滴る水が地面に大きなシミを描いている。だがそのシミは重なることがない。おれはその孤独なシミを見ていた。

 海風がふたりを撫でる。

 防砂林の向こうから西陽が差し込んだ。

 二人の間に指す光が薄い壁や幕の様に見えた。

「良かった」

 年上の少女は呟くように言った。

 おれは礼も言えずに踵を返してその場から走り去った。


「こんなに大きな海老なんていないよね」

 喪服の黒い着物をつけたアヤさんが精進落としのエビフライを見ながら言った。

 何匹かを繋いで調理しているであろう一寸ほどの大きなエビフライが大皿に横たわっている。

 この大きさの海老がそう何匹もいてたまるかと思うが、海の底で大きな海老が何匹も蠢いている事を想像するとちょっとした地獄の様で少し楽しくなった。



 おれそのエビフライに手を伸ばして齧る。 

 冷えていて美味しくは無い。味のしない海老をぬるいお茶で流し込む。

 胃袋の底で横たわる海老が細かくなっていく想像をする。

「海老ってスカベンジャーだから何喰ってるかわかんなくて、俺そんなに好きじゃないんだよね」

 ユウタが薄笑いを浮かべながら言った。

「ユウタさんったら、ジュンヤさんが食べたタイミングでそんなこと」

 アヤさんが嗜めた。


 だがユウタは昔からそういう男なのだ。

 性格が悪い。

 今だっておれがエビフライを喰ったタイミングを見計らって言ったのだ。

 おれはユウタを睨みながら、わざと大口を開けてエビフライを口に押し込んだ。

 尻尾まで押し込む。

 バリバリとした触感が口に広がって細かい破片が刺さる。

 ユウタはおれを見て薄笑いを浮かべたまま、大皿に盛られた他の料理に手を伸ばしていた。



 お前が死ねば良かったのにな、と言いかけてエビフライと一緒に飲み込んだ。

 安い油が喉に厭な粘りを残して胃に落ちていく。

 そうだ、お前が死ねば良かったんだ。

 お前が海の底で海老に喰われれば良かったんだ。

 おれはその海老だって食ってやる、尻尾までな。


 「おい、早く飛べよ」

 後ろでユウタが煽り立てた。

 きっとニヤニヤとしている。振り返らずともわかる。

 見下ろした海面はやけに遠く見えた。

 濃紺の海に小さくうねる銀波はおれを飲み込もうとしているように見えた。

 度胸試し。

 その名目で子どもが遊ぶ小さな崖だが、今のおれには巨大な絶壁に感じられる。



 蝉の鳴き声が厭に大きく聞こえた。

 おれは何度か深呼吸を繰り返して、目を閉じる。

 腹を決めろ、覚悟をするんだ。

「大丈夫、死なない。怖くない」

 そう呟いた瞬間だった。

 おれは背中に強い衝撃を感じて崖から飛び出すと、そのまま海面に叩きつけられた。

 パニックになったおれはどちらが上でどちらが下かも分からず、めちゃくちゃに手足を動かした。

 口や鼻から海水が入り込む。

 塩辛さと痛みが刺さる。

 濃紺だった海は深緑の塊になっておれを飲み込んでいく。

 その深緑のなかで必死にもがいていると、誰かがおれの手を引いて明るい方に向かって行った。

 おれはもがくのをやめて、手を引かれるままにした。


「兄弟だとどうしても意地悪をするものなのかしらね」

 アヤさんは困ったような顔で言う。

 ユウタの根性が曲がっているのは兄弟だとか年子だからとかそういう理由じゃない。

 この男は単に性格が悪いだけなのだ。

 アヤさんが何故この男と結婚なんてしたのかおれにはわからなかった。

「昔から足手まといなのについてくるからな、ついついイジメたくなるんだよ」

 ユウタは笑いながらコップにビールを注ぐ。

 いつもは安い発泡酒なのだろう。

 他人の金だと思ってここぞとばかりにビールを飲む姿は浅ましく卑しい。


 顔を真っ赤にして笑うユウタを見ながら冷えた茶を舐めた。

 あの時はついて行ったんじゃない。連れて行かれたんだ。おれを笑いものにする為に。  

 ユウタの同級生たちが見ている前でおれが飛べずにいるところを笑いたかったのだろう。

 腰抜け。意気地なし。臆病者。

 そうやっておれが泣くまで囃し立てるつもりだったのだ。

 しかしおれが腹を括って飛ぶとみるや否や、予定を変えて蹴り落とした。

 無様に転落するおれを笑いものにすることで目的を達成した。



 厭な男だ。

 もしかしたらアヤさんと結婚したのもおれに対する厭がらせの一種なんじゃないだろうか。

 ユウタが家にアヤさんを連れて来たときは心底おどろいた。

 アヤさんの印象は、むかし溺れていたおれを助けたときのままだった。

 そのアヤさんをユウタは家に連れてきた。

 結婚する、と言って。


 おれを崖から蹴り落としたユウタは、アヤさんが溺れていたおれを助けたのを見ていたんだろうし、女の子に助けられたおれが恥ずかしさのあまり礼も言わずに逃げ帰ったのも見ていただろう。

 たしかに綺麗な女の子だった。

 だがおれはそれを初恋だったと思っていない。

 それでもおれを助けた女の子を忘れたことはなかった。

 ただ、アヤさんがユウタの結婚相手だったと言うだけのことだ。

 それは別に構わない。



 ユウタの人生がおれに対する厭がらせで構成されていると言うのならそれはそれで構わない。

 おれを虚仮にすることが生き甲斐で、それが生きるよろこびだと言うのならそれはユウタの人生だ。

 いや、おれの為の人生みたいなものだ。

 それで良いのならそういう人生を送ればいい。



 喪服を着たほかの親族に目を遣る。

 お互いにひと通り「久しぶりね」と言うありきたりな挨拶を交わし終わって、何となく椅子に座っている。

 死んだ祖父の新鮮味のない昔話をしたり、親戚の子どもが大きくなった話だとか、よくある話を飽きる事も無くしている。



 社会とはそういうものだ。

 面倒だなと思う事を愛想笑いでどうにかやり過ごす。

 お互いを支えて生きると言う事なのだから仕方ない。腹の底で何を考えてどう思っているかは重要ではない。

 つまりいま窓の外に巨大な海老がいる事を言うタイミングではないと言うことだ。


 おれは海老を見ている。

 KOMATSU社製のダンプカーほどもあろうかと言う巨大な海老が、斎場の駐車場に鎮座している。

 大きな二本の腕はまるでアスタコのようだが、実際のアスタコよりはよほど大きい。

 その巨大な爪で、斎場から焼き場まで乗るバスを切断しようとしている。



 巨大な海老の上、青い空に広がる入道雲がタルタルソースの様に見えた。

 あの海老を食べたらどんな味がするのだろう。

 茹でたら何人が食べられるのだろう。

 スカベンジャーたるあの巨大な海老は何を喰い、どうやって眠るのだろう。



 長い触角が後方に向かって流れている。

 硬質な殻の色はまだらな褐色で、巨大なだけに厭な印象を与える。

 食べるにしてもこの巨大な海老を入れる鍋はあるのだろうか。

 もしかしたら山形あたりでやっている芋煮だか豚汁大会で使う巨大な鍋なら入るかも知れない。

 それにしたって折る必要がある気もする。


 もぞもぞと口を動かす海老の目を見ながら、その巨大な海老が真っ赤に茹だった姿を想像する。

 美味しいかも知れない。

 不味いかも知れない。



 窓の外でその巨大な海老はバスを砕いた後にユウタのアルファードをその大きな爪で挟んだ。

 どうにもならない状況になって初めて人に教える、その絶望だとかガッカリだとかしている表情を見て楽しむ種類の人間がいる事をおれはユウタの存在で知った。



 海老の爪がユウタのアルファードをゆっくりと砕いていく。

 白いアルファードは紙風船のように折れ曲がった。

 おれは海老と目を合わせたまま、皿の上に並んだ料理を飲み込んだ。

 ユウタはビールを飲み続けて顔を赤くしている。

 日に焼けた黒い肌が赤身を帯びて茶色く変色している。

 外にいる海老に似ていた。



 巨大な海老の暴挙でバスを失ったおれたちは、どうやって斎場から焼き場に行くのだろう。

 あの海老にでも乗って行けば良いのか。

 あの大きさなら全員が背中に乗っても何とかなるだろう。イナバの物置より頑丈そうだ。

 そして向こうで海老を焼いて食べる。


 いや、その前に祖父を焼かねばならない。

 おれは炉の中で焼かれる祖父の事を考えた。

 グリルで焼かれる魚や肉の様に祖父の肉は水分を失って収縮していく。

 まず皮膚が焦げていく。つぎに細くなった肉がますます細くなり裂けていく。

 そして骨から剥がれた肉が黒く変色していく。

 狭い炉の中で祖父が焼かれると言うのはそういう事だ。



 焼き場の外で煙になる祖父と言うものを想像してみたが、巨大な焼き場だとどの煙が祖父かなんてわかないよなと思う。

 実際に祖母の時にはわからなかった。

 それでも海老の触角ならもしかしたらわかるのかも知れない。



 おれは煙草に火を点けると、ひとくちだけ吸い込み残りをユウタのコップに放り込んだ。

 ユウタがギョッとしてこちらを見る。

 おれは笑う。

 巨大な海老の爪が窓を突き破り、ユウタの頭を挟んだ。

 アヤさんは驚いてユウタの手を引かないでいる。

 俺にはそれで充分だった。

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