知らぬが仏
狼に襲われそうになったところを、間一髪で助けてくれたのはノアだった。
ノアは、リーナに手を差し出し「立てますか?」と問いかける。
だがリーナは「私は大丈夫です。ですが、彼女が怪我を……!」と怪我を負った令嬢の肩に手を置く。
ノアは令嬢の前に膝をつき「失礼します」と怪我を負った足に触れる。
「しっかりと止血がされてありますが、早く手当をしてもらわないといけませんね」
ノアはそう言うと、令嬢のことを抱き抱える。
「このまま令嬢をテントまで運びます。ヴァンディリア嬢もついて来てください」とリーナに声をかける。
「でも……他の令嬢たちが……!」
そう眉を下げ辺りを見渡すリーナ。
目の前の怪我を負った令嬢に気を取られ気が付かなかったが、辺りにはテントにいた騎士たちがやって来ており、狼を斬っていた。
誰かが呼びに行ったのか、騒ぎを嗅ぎつけたのか助けに来てくれたようだ。
リーナは安心した表情を浮かべると「行きましょう」と言うノアの声に頷き、後をついて行く。
◇
「幸い、傷は深くなかったようで、数週間すれば治るようです」
怪我を負った令嬢を救護用テントに連れて来たノアとリーナ。
邪魔になるからとテントの外で待っていたリーナに、テントから出て来たノアがそう説明する。
「良かった……」と胸を撫で下ろすリーナは「助けてくださりありがとうございます」とノアにお辞儀をする。
「あそこでシセルバン伯爵が来られていなければ、確実に死んでいました」
「……聞きましたよ。怪我を負った彼女を助けるために彼女の元へ行ったと。あまり無茶をなさらないでください」
そう言うノアに、リーナは「ごめんなさい」と眉を下げる。
そんなリーナを見て「無事で良かったですが」と言うノア。
一見、淡々と話、無表情で冷たく見えるが、凄く心配してくれたと言うことはリーナには分かっていた。
相変わらず、分かりにくいけど。
なんて思いながら、ふとノアの腕に視線を向けると、左腕の服が血で滲んでいた。
そのことに気づいたリーナは、ノアの腕を掴む。
いきなり腕を掴まれたことに驚くノアをリーナは「ノア……! 腕から血が……!」と眉を下げ見る。
そんなリーナを見て驚いた表情を浮かべては、すぐに腕に視線を移すと「……少し掠っただけです。これくらいどうって事ないので気にしないでください」と言う。
どうって事ないって……きっと先、私たちのことを助けた時に狼にやられたんだわ……。
利き腕なのに……!
「お医者様に見てもらいましょう!」そう言うと、ノアの「大丈夫です」と言う言葉も聞かず、ノアの手を引き、テントの中へと連れて行く。
そして、リーナに言われるまま椅子に座らされ、医者に診てもらったノア。
ノアの傷も浅いもので、すぐに治ると言われ、リーナは良かった。と安堵した表情を浮かべる。
戻ろうと、救護用テントを出た時「リーナ!!」と呼ぶ声が聞こえたかと思えば、息を切らし、慌てた様子のエーデルとリヒトがテントから出て来たリーナに駆け寄って来る。
そして「大丈夫なのか!?」「怪我は?」と尋ねてくる。
そんな二人にリーナは「どうして二人ともここに……?」と不思議そうに問う。
「戻って来たら、騒ぎを聞いて。そんな中でエミリアがリーナが救護室に行ったって言うから」
リヒトの言葉にリーナは「そうだったんだ」と頷くと「私はどこも怪我してないよ」と首を横に振る。
「襲われそうになった時に、シセルバン伯爵に助けて頂いたの」
そうノアのことを見るリーナ。
エーデルは「シセルバン伯爵が……ありがとうございます」と頭を下げる。
そんなエーデルに、ノアは「……いえ。約束ですので」と答える。
約束……? とリーナは首を傾げる。
「……シセルバン伯爵、怪我をされたのですか?」
ノアが左腕に怪我を負っていることに気づいたリヒトがそう言うと、リーナは申し訳なさそうに「私を助けてくれた時に、負ってしまったみたいなの……」と言う。
そんなリーナにノアは「このくらい平気です。気になさらないでください」と淡々と答える。
気になさらないでと言われても、自分のせいで負った傷。
それも利き腕なので、リーナは申し訳なかった。
「利き腕なので、業務に支障が出るのでは……」と言うリーナに、ノアが「よく、利き腕だと分かりましたね」と驚いたように言う。
「え……?」と思うも、リーナはしまった……! とノアとは今日、初めて会ったんだと思い出す。
私は前の記憶があるから知っているけど、ノアからすれば初対面。
リーナは「ひ、だり利きっぽい雰囲気だなぁ……と思いまして……」と咄嗟に答える。
左利きっぽい雰囲気って何……!?
言ってから恥ずかしくなる。
リーナは「その……!」と訂正しようとしたのだが、可笑しそうに、眉を顰め笑うノアを見て言葉は飲み込まれる。
そんなノアを見て、エーデルが「シセルバン伯爵が笑ってるところ初めて見たな」と驚いている。
笑うノアを見てリーナは、普段、人前ではあまり笑わない彼が、自分の前ではよく笑っていたこと、それが凄く嬉しかったことを思い出す。
そのことに何とも言えない感情が出てき、リーナは視線を逸らす。
他の怪我を負った令嬢たちも、怪我は軽く、大ごとにはならなかった。
だが、何故安全であるはずの場所に突如、狼の群れが現れたのかは分からないまま、その日の狩猟祭は幕を閉じた。
狩猟祭の片付けをする中、人が集まる場所から少し離れた場所に、ブリューテと司祭のゼーゲンがいた。
ブリューテは何やら怒っているようで、周りに聞こえないよう声を抑え「私は少しヴァンディリア嬢を脅してと言ったはずよね? なのにどうして狼なんて……それに他の令嬢たちまで!!」とゼーゲンに言う。
だがゼーゲンは、全く悪びれた様子もなく「……彼女一人を狙えば、すぐにあなたが指示を出したのだとバレてしまいます。なので、他の令嬢たちも巻き込んだのですよ」と眉を顰め言う。
「だからって、狼を放つなんて! もし、死人が出ていたらどうするつもりだったの!?」
「そうならないように近くに聖騎士団を配備していたのでご心配なく。まぁ、聖騎士団が出る隙もありませんでしたが……」
ゼーゲンはそう言っては顎に手を当て、まさか、シセルバン伯爵がいち早く騒ぎに気がつくとは……ヴァンディリア嬢を見張っていたのか? と考える。
「聞いてるの!?」
そう眉を顰め声を上げるブリューテに、ゼーゲンは笑みを浮かべると「まぁまぁ。あなたが指示したことは誰も気づいていませんし、そうカリカリしないでください」と言う。
そんなゼーゲンを見て、ブリューテはため息をつくと「……こんな人が聖職者だなんて。世も末ね」と言う。
「そんな人間に手を貸してと頼んだの誰です?」
先ほどまでとは違い、低く鋭い声でそう言うゼーゲン。
その声に、ブリューテは思わず動きを止め、ひやりと汗をかく。
「私ほど、神に奉仕している人間はいません」
「そう、ね……ごめんなさい」
そう謝るブリューテに、ゼーゲンは笑みを浮かべると「では、私はこれで」と歩いて行く。
そんなゼーゲンの後ろ姿を見ながら、ブリューテは「気味の悪い人……」と呟いた。
◇
辺りは血に濡れ、遠くの方では激しい雷轟が鳴り響き、思わず鼻を塞いでしまいたくなる程の鉄の匂いが、鼻を刺激する。
遠のく意識の中で、横たわるリーナの元に男性の声が聞こえてくる。
『直ぐに儀式を……』
『向こうの……は……ますか?』
そうはっきりとしない声が聞こえてくる。
何人いるのか、そこに誰がいるのか分からない。
そんな中、一人の足音が横たわるリーナの近くまでやって来たかと思えば、リーナの顔に手を当て呟く。
『フォルトモント……』
「――はっ!!」
遠くから鳥の囀りが聞こえてき、眩しい陽の光が、ベッドから見える大きな窓から差し込む中、彼女はまるで悪夢でも見たかのように、酷く怯えた表情を浮かべ、息を荒げながら、ベッドで寝ていた体を起こす。
そして、未だ早く脈打つ心臓を落ち着かせるように、辺りを見渡しては、見慣れた部屋に安堵する。
「すごい汗……」
濡れた服を見てそう呟くリーナ。
そして先ほど見ていた夢を思い出す。
はっきりと、内容は思い出せないが最後の言葉……。
〝フォルトモント〟
エーデルや叔父様たちが話、この前の狩猟祭の時、ナハト司祭が私を見て呟いていた。
フォルトモントと言う言葉。
それは一体、何なのだろう……。
その時、コンコンッと扉を叩く音がし、リーナは大きく肩を振るわせる。
そして扉が開いたかと思えば「お嬢様、おはようございます」とエマが入ってくる。
驚いた様子でベッドに座るリーナを見て、エマが「お嬢様……? どうしました?」と尋ねてくる。
リーナは「あ……ううん。なんでもない」と笑みを浮かべては、そう言えば、回帰して来た日もこんな感じだったなと思い出す。
「今日の朝食はお嬢様が好きな――」
そういつものように話すエマの話を聞きながら、リーナは最近よく耳にするフォルトモントと言う言葉が何なのかを考えていた。
それに、さっきの夢の声。
最近どこかで聞いた気がする。
リーナはそんな事を考えながら、書斎に行けば、何か分かるかしら……? と今日はエーデルもシュタインも家を留守にしているので、書斎にフォルトモントにまつわる本がないか探しに行くことにした。
「――どの本を見ても、フォルトモントについては書かれてない」
書斎にやってき三十分ほど、辞書やアサーナトスの歴史の本に目を通すも、フォルトモントと言う言葉は見つからないでいた。
そもそも、フォルトモントが何なのか、そもそもアサーナトスの言葉なのかも分からない中、探すのは至難の業だ。
リーナは、エーデルが帰って来たら直接聞く? と思うも、何て聞けば……と思っていた時だった。
ふと、一冊の本が目に入って来た。
それは、アサーナトスと停戦中のパラディースの歴史の本だった。
リーナは何故かそれが目に止まり、その本を手に取るとパラパラとめくって行く。
「あ……あった」
先ほどまで見つからないと嘆いていたのが嘘かのように、あっさりと、フォルトモントと言う言葉を見つけたリーナ。
パラディースにかつてあった半独立国家の名前で、そこに住んでいた者たちは皆、先祖が同じだと書かれてあり、そりゃ、アサーナトスの歴史書を見ても見つからないわけだと頷く。
そしてフォルトモントの人の特徴について書かれてあるところを目にした時、リーナの心臓は激しく音を立てる。
〝フォルトモントの共通の特徴としては、美しい紫の瞳を持ち――〟
「紫の……瞳……」
本を持つ手が震える。
紫の瞳を持つ者は珍しい。だが、いない事はない。
たまたま、フォルトモントの特徴と合っているだけ。
そうは思うも、エーデルたちがフォルトモントについて話していた事、この間、ナハトがリーナの瞳を見てフォルトモントと呟いた事。
そして、今朝見た夢の中で聞こえて来た声。
その全てが、リーナの頭の中に、一つの可能性を考えさせる。
「フォルトモントの者だと確かめるためには、満月の夜、その美しい瞳を月明かりに照らす。そうすれば、その瞳に花模様が浮かび上がる。それがその人物がフォルトモントの血を持つことを意味することになる……」
ちょうど今日はその満月の日だ。
まさかとは思うが、リーナは確かめずにはいられなかった。
それから夜になり、皆が寝静まった頃、リーナはバルコニーへと出ると、夜空に美しい満月が見えた。
顔を満月に向けては、部屋から持って来た手鏡を顔の前に持ってき、鏡に映る瞳を見る。
「……っ!」
月明かりに照らされた紫の瞳には、花模様が薄らと浮かび上がっている。
その瞳を見て、リーナは自分がフォルトモントの血を引くのだとその時、初めて知ったのだった。
第二章 新たな始まり 完




