当主について
まだ夜が明けきるのも待たず、大事な人が亡くなったと言う事を、受け入れる事も待たず、エーデルは公爵、公爵の護衛をしていた騎士二人の遺体の確認を行なうため、アルバートが止める声も聞かないまま、保安官と共に邸を出て行った。
シュタインはショックからか、自身の部屋へと行き、そのまま誰も入れず引きこもってしまった。
「お嬢様。部屋に戻り、少し休まれてください」
エマはリーナの事を心配してそう声をかけてくれるも、公爵が亡くなってしまったこんな時に、ましてや、まだ受け入れきれていない状態のエーデルが、一人、保安庁局へと行ったというのに、休んでなんていられないと、それを断る。
公爵が乗っていた馬車が一番被害が酷く、身元の確認が遅れたらしいが、馬車の家紋と、公爵の持ち物から身元がわかったらしい。
騎士二人も、公爵家の騎士だと直ぐに分かったが、やはり、身元確認は必須なため、ヴァンディリアには夫人がいないためエーデルが連れて行かれたのだ。
寝ないのならせめて、体を温めくださいと、エマはホットミルクを淹れてくれた。
エマだって、アルバートや他の使用人たちだって、混乱しているはずなのに、ずっと、リーナ達の心配をしてくれている。
その光景を見て、公爵が亡くなると分かっていたのに、止められなかった自分をリーナは責める。
回帰前は、公爵様はもっと後に無くなるはずなのに、どうしてこんなに早まったんだろう。
公爵様が亡くなるって分かってたのに、私は助けられなかった。
どうして、公爵様が亡くなるって分かってたのに、油断していたんだろう。
私のせいで、公爵様は……。
強く握る手に血が滲む。気づかないうちに、力が入っていたのだ。
でもそんな事どうでも良い。どうでも……。
視界はだんだんぼやけてき、喉の奥が熱く、ギュッと狭くなる。
もうこんな思いはしたくなかったのに。
どうして……。
その時「リーナ!」と呼ぶ声が耳に届く。
低く、優しく、落ち着きがありよく聞き慣れた、聞こえてくるはずのない声。
だが、確かにはっきりと聞こえた。
リーナが顔を上げると、そこには汗をかき、乱れた息を整える、そこにいるはずの無いリヒトが立っていた。
リーナとリヒトの視線が合う。
その瞬間、ポロポロと涙が零れ落ちる。
そんなリーナを見て、リヒトはリーナの元に駆け寄ってくると、ふわっとリーナの体はリヒトに抱き寄せられる。
その瞬間、汗をかいているとは思えない、清涼感のあり、落ち着いた匂いが鼻を掠める。
その事で、夢だと思われたリヒトが目の前にいることが、現実を帯びていく。
リヒトは、リーナを優しく、だが、力強くただ黙って抱きしめるので、リーナもリヒトの胸元のシャツを掴んでは、人目も気にせず声を上げて泣くのだった。
「――ごめんなさい。シャツ、濡らしてしまって……」
しばらくして落ち着いたリーナは、リヒトのシャツを濡らしてしまった事に気づき、恥ずかしくなってしまう。
だがリヒトは「気にしないで」と優しく笑ってくれる。
「エーデルは今、保安局庁なんだよね? シュタインは?」
公爵が亡くなったことは、真っ先に皇室へと伝えられ、グランべセルにも伝えられたそうで、リヒトはまだ、日が登って間もないと言うのに、駆けつけてくれたのだ。
リーナから、エーデルが保安局に行った事を聞いたリヒトは、姿を見ないシュタインを心配する。
リーナは「部屋にこもってしまって……今はそっとしてあげた方がいいかも」と首を横に振る。
「そっか。シュタインも心配だけど、エーデルも心配だ。あいつ、あまり感情を人に見せないだろ。公爵が亡くなったって聞いて、泣いてないんじゃない?」
流石、エーデルの親友だ。
エーデルの性格を誰よりもよく理解している。
リーナが心配そうに頷くと、リヒトはアルバートに「エーデルが帰って来るまで、屋敷にいてもいいですか?」と問う。
アルバートは、その方がお嬢様も安心されると頷く。
リヒトはアルバートにお礼を言うと、リーナの頭の上に手を置き「エーデルが帰って来るまで居るから、リーナは寝な。こう言う時こそ、体調を崩してしまうからね」と優しく笑う。
リーナは「でも……」と躊躇するも「エーデルが戻って来た時、リーナまで倒れてたら大変だろ?」と言われ、リーナはわかったと寝室へ行く。
「ありがとうございます。グランべセル公子様」
リーナが出て行った後、アルバートがそうリヒトにお礼を言うと、リヒトが「シュタインの元へ行ってもいいですか?」と聞く。
アルバートは「かまいませんが、開けてくれるかどうか……」と言うも、リヒトは「大丈夫です」と返す。
◇
「リーナもシュタインも眠っているから安心して」
日が完全に昇りきった頃、エーデルは邸に帰って来るなり、リヒトが来ているとアルバートから聞き、談話室へと足を運んだ。
リヒトは向かい側に座るエーデルに、リーナとシュタインの様子を話すと、エーデルは安心したように「そうか、良かった」と頷く。
「……こんな事を聞くのはあれだけど、事件の可能性は?」
真っ直ぐエーデルを見てそう尋ねるリヒト。
だが、エーデルは首を横に振ると「ほぼないそうだ。完全にまでとは言えないが」と言う。
「そう、か……」
「父上は、早く帰ろうとアデン山を使ったらしいから。元々は、別のルートで帰ろうとしていたみたいだし。」
そう視線を逸らし、エーデルは「アデン山なんか行かなければ、事故に遭うことはなかったのに……」と手に力を入れる。
そんなエーデルを黙って見つめるリヒト。
「父上の遺体は損傷が酷くて、到底見れるものじゃなかったよ。あんなの、リーナやシュタインには見せられない。」
「……ほんと、何でこんな事になったんだ……」
エーデルはそう言って、額に手を当て、項垂れる。
「お前が来てくれて助かった。一人だったら、無理だった」
珍しく弱音を吐くエーデルに、リヒトは「あまり気負いすぎるなよ。無理になる前に頼れよ」と言うと、エーデルは「……だな」と頷く。
そんな二人とやり取りを、リーナは談話室の外から聞いていた。
罪悪感がリーナを襲い、リーナは手をギュッと握る。
その時、玄関の方が騒がしくなり、リーナは何事かと玄関へと向かう。
玄関にはアルバートと、一人の背の高く、公爵によく似た顔をした、白髪の男性が立っていた。
その人物を見て、リーナはあの人……と思った時、その男性はリーナを見ると「リーナ」と名前を呼ぶ。
「マティアス叔父様……!」
リーナはそう言うと、その男性の元に駆け寄る。
マティアス・フォン・ヴァンディリア
彼は、ヴァンディリア公爵家の傍系であり、ヴァンディリア公爵の実の弟。
なかなか癖の強い者が多い、公爵の兄妹の中、マティアスだけはまともで、公爵が一番信頼し、頼りにしていた。
リーナとも面識があり、リーナを養女としてヴァンディリアに迎え入れる時も、他の兄妹が反対する中、マティアスだけが快く受け入れてくれたのだ。
リーナとマティアスは、ハグをし挨拶を交わすと「辛かったですね。遅くなってしまい申し訳ありません」とマティアスは言う。
その時「マティ、アス叔父様……?」と言うエーデルの声が聞こえてくる。
振り返ると、驚いた様子のエーデルとリヒトがおり、マティアスは「よく頑張りましたね。エーデル。後は私に任せてください」と淡々と、だが優しい口調で声をかける。
その言葉に、張っていた糸が切れたのか、エーデルは公爵が亡くなったと聞いてから、初めて涙を流したのだった。
「私は兄、クラウスに何かあった時、君たちを頼まれていました。まさか、こんなに早くなるとは思いませんでしたが」
リヒトはマティアスが来た事で、ひとまず、家に帰って行った。
グランべセル公爵含め、誰にも知らせずヴァンディリアにやって来てくれたそうで、一度帰るとの事だそうだ。
リヒトが帰った後、リーナ、エーデル、シュタインはマティアスと談話室へと行き、アルバート、エマ、ラインハルトと言う、ヴァンディリアのそれぞれ指揮を取る人物が見守る中、今後について話をしていた。
「予定通り、クラウスが亡くなった今、エーデルが当主を継ぐ事になりますが、本来、当主を継ぐのは成人を迎えてからです。」
「けれど、エーデルはまだ18歳で、成人するまで後2年もあります。なので、私が一時的に当主の代理を行います」
アサーナトスでは、成人を迎えた者が家を継ぐ。
だが、エーデルの様に突如、当主を亡くし継承する者がまだ、未成年の場合も勿論ある。
その場合は、成人を迎えている傍系の者が、一時的に当主の代理を行う事となっており、成人を迎えるのと同時に当主の座を返すのだが。
マティアスは「ですが、私が当主の代理を行うのは、クラウスの葬儀が終わり、一月ほど先までです」と言うのだ。
マティアスの言葉に、エーデルは「どうしてですか?」と問うと、マティアスは答える。
「一つは、私がヴァンディリアにいれる期間がそう長くはないからです。私は私用で、隣国に向かわなければならず、それはかなり前から決まっていたので、予定は変えられません」
マティアスの言葉を聞き、リーナは思い出す。
そう言えば、回帰前は公爵が亡くなった時、マティアスは丁度隣国へと行っており、公爵が亡くなったと知らせを受け帰って来たのは、公爵の葬儀が終わってから数ヶ月ほど経った日だった。
公爵が亡くなったのが、少し早かったため、今回、隣国に立つ前だったマティアスはこうして、知らせを受けヴァンディリアに来れたのだろう。
「二つは、それがクラウスの遺言であり、約束だからです。本来、アサーナトスでは、当主を継承する者が未成年の場合、一時的に代理を置かなければなりません」
「貴族院に議席するのは、成人を迎えている者と決まっていますし、精神的にも経験面でもまだまだ未熟すぎるからです」
「ですが、例外、突如として当主が亡くなり、継承する者が未成年で、何らかの理由で代理が不在、または代理を立てれない場合は別です」
「継承する者が18歳を超えていれば、特別に継承権を認められ、議席に参加する事も認められます」
「恥ずかしい話、私以外の兄妹たちには、一時的だとしても莫大なヴァンディリアを統括する力はありませんので。それをきっと、皇帝や他の貴族院の者たちも重々承知している事でしょう」
マティアスはそう言うと、真っ直ぐエーデルを見「それに、エーデル。貴方にはクラウスの様に当主の才能がある。今はまだ、経験が無く難しく感じるかもしれませんが。若いですし、直ぐにでも慣れて来ます」と言う。
そんなマティアスの言葉に、エーデルは俯き、膝に乗せる手に力を入れる。
ヴァンディリア公爵家は莫大な力を持つ家だ。
まだ18という若さのエーデルが、当主を継承するのを躊躇してしまうのも無理ない。
マティアスは「大丈夫です、エーデル。君が当主を継承するまで、面倒事は私が全て引き受けます。その間、少し急ぎにはなりますが、君は当主になる事だけに集中してください」と声をかける。
「貴方は賢い。クラウスもそれを分かって、この様な遺言を残したのです」
マティアスの言葉を聞いても、まだ、不安が残る様子のエーデル。
ただでさえ、公爵が亡くなり動揺しているというのに、一月後には当主を継ぐよう言われれば、整理がつかないだろう。
でも、回帰前のエーデルは、たった一人で葬儀から一月経つ頃には、周りの期待を超える程の当主になっていた。
きっと、今回も直ぐにエーデルは当主になれるのだろう。
けれどそれは、エーデルが人知れず、並大抵ではない努力をしていたからだと、リーナは知っていた。




