魔女は恋心を自覚する
すべてのはじまりは、スピカ=ルーン
の一言だった。
「アルト、ケーキ買ってきて」
「はいぃ!?」
朝起きて、白い髪を腰まで垂らした姿で、
手紙のチェックをしていた彼女は、使い魔
のアルト=ハルメリアに、唐突に言った。
「ケーキなら僕が作りますけど、
それじゃ駄目なんですか?」
「レティが、新しいケーキ屋が出来たって言ってた
から、食べてみたいの」
「わかりました。家事を終えてから行ってきますね。
いくつ買いますか?」
「全種類一個ずつお願い。自分の分も買っていいから」
アルトは苦笑した。この少女は、小食なくせに、甘いもの
だけは人一倍食べるのだ。
アルトが洗濯し、掃除し、料理をしている間に、スピカは
雪のような髪を結い、きらきらした星の髪飾りをつけていた。
今日のローブは、桜色のかわいらしい色だった。
スピカは染色と裁縫が得意なので、
自分の服はすべて彼女の手作りだった。
「かわいいですね、その服。似合ってますよ」
「……!?」
スピカの星のようにきらめく紅い目が、大きく見開かれた。
かわいらしい口がOの形に開いている。
驚いた時の、彼女の癖だ。
耳が赤くなる前に、ぱっと彼女はアルトから目をそらしてしまった。
「早く行ってきて」
「わかってますよ、今行きます」
冷たく言われ、首をかしげながら、アルトは館を飛び出した。
「かわいいって。にあってるって」
アルトが館から消えると、魔女は一人、赤くなりながら口元を緩ませた。
アルトは王都シュザリアで迷っていた。スピカから、地図をもらい忘れたのだ。
彼女から受け取った十カトル(銅貨)で馬車に乗り、やってきたのはいいが、
ケーキ屋の場所が分からなかった。
街の人に話しかけても、冷たい声で、今忙しいんだ、と返される。
どうしようとおもった、その時だった。
「どうしたの、そこの子、迷った?」
黄色い髪を後ろでひとつに結った女性が、優しく話しかけてくれた。
同じ色の目が、好奇心にキラキラ輝いている。
「君さー。人形の魔女・スピカ=ルーンの、使い魔でしょう?」
「な、なんで知っているんですか!?」
「君がいたオークションはねえ、知らぬものはいないとされるくらい、
有名なんだよ。落札品とかも新聞に載るしね」
「だから、みんな僕をさけるんですか?」
「それもあると思うよ。スピカ=ルーンは恐れられているからね」
キッとアルトは女性を睨みつけた。
にこにこと笑っている彼女の考えていることが読めない。
「あなたも、ですか?」
「冗談でしょう? なら君に話しかける訳ないじゃないの。
私は、殺しを依頼したくせに、後から手のひらを裏返すような
バカは嫌いだからね。スピカ=ルーンを恐れてなんかいないよ」
ほっとしたように、アルトは息をついた。
「何か探してるの、君?」
「アルト=ハルメリアです。君君言うのやめてください」
「アルトね。私はメリッサ=ウォーカー。『占いカフェ
・カッサンドラ』って知ってる? そこの店主」
「カッサンドラの!? 僕が探してるの、そこですよ!!」
偶然だね、とメリッサが笑う。アルトは運よく、探していた
店の店主にめぐりあったのだった。
メリッサ=ウォーカーは、既婚者だった。
白い指の薬指に、結婚指輪がはめられている。
銀色のリングには、ラピスラズリが飾られていて、
ひいらぎの模様が彫ってあった。
「結婚、してるんですね」
「そ。人妻だよう。彼は細工師でね、この指輪も
彼が作ってくれたんだよ。きれいでしょ?」
「旦那さんが作ってくれたんですか、いいですね」
「うん……あ、ついたよ」
一瞬悲しそうな目になったが、つぎの瞬間にはもう
メリッサは笑顔に戻っていた。
『占いカフェ・カッサンドラ』は、エキゾチックな
雰囲気だった。ふしぎな文様のタペストリーが飾られ、
きれいなカードや水晶が置いてある。
「で、ご注文は?」
「えーと、全種類一個ずつください」
「一個100カトルだから、2000カトルだねえ」
「えーと、あと、もうひとつください。このチョコのやつ」
「まいどあり」
2000と100カトル払い、アルトはケーキを受け取った。
一礼して店を出ようとすると、ちょっと待って、と呼びとめられた。
「占ってあげるから待ってよ。そこ、座って」
アルトはメリッサの前の椅子に座った。
真剣な顔をした彼女が、タロットと呼んだカードを慎重に切っていく。
スプレッドはヘキサグラムにするね、とメリッサは言った。
七枚のカードを星の形に並べていく。
「最初は過去、力の正位置。勇気、危険を伴う判断、独立心。
君さ、もしかして家出した?」
「えっ!? なんでわかったんですか?」
アルトは出されたミルクティーでせきこんだ。
「なんとなく結果で占っただけだよ。次は現在、世界の正位置。
ふうん、君の目的は達成されたね」
「はい、当たってます!!」
「次は未来、運命の輪の正位置。幸運の始まり、良い方向への進展。
君の未来は明るいよ。次は対応、恋人の正位置。愛の強さ、直感を信じる。
うーん、愛を疑うなってことかな」
かあっとアルトが赤面した。ガシャン、とお茶をこぼしてしまう。
それには構わず、メリッサは続けた。
「次は環境、っと。審判の逆位置。不満、見当違い。
君は今の状況に満足してないね。当たってる?」
「……当たってます」
アルトはテーブルを拭く手を止め、うつむいた。
「次は願望だね。星の正位置。明るい未来。恋愛の成就。
好きな人と結ばれたいんだねえ」
椅子にすわろうとした彼は、がしゃんと動揺のあまり、すっ転んだ。
椅子が倒れ、膝をすりむく。
笑いたいのをこらえ、メリッサは真剣な顔を通していた。
「最終予想。これで最後だよ。死神の逆位置」
「し、死神!?」
アルトがさっとあおざめた。
「大丈夫。逆だから意味も逆だよ。好転する、変化。……これから
顧みるに、愛を疑わなければ、君の目的は果たされると思うよ。おつかれさま」
「ありがとうございました」
「いつでも占うからまたおいでね~」
アルトはメリッサに頭を下げ、嬉しそうな様子で帰って行った。
「お帰り、アルト!!」
館に帰ると、スピカが飛び出してきた。思わずケーキの入った箱を
落としそうになり、彼は慌てて持ち直す。
「今帰りました、スピカさん。これ、ケーキです」
早速スピカは箱を開けた。
ショートケーキ、ガトーショコラにモンブラン、エクレア、
シュークリーム、ティラミス、スモモのタルト、ブラウニー、
ミルフィーユ、トルテ、スフレ、チーズケーキ、プリン、スコーン、マカロン、
マフィン、アップルパイ、シャルロット、コケモモのタルト、キイチゴパイ
などが、次々にかわいらしい口に消えていくのは、圧巻だった。
アルトは粉砂糖をたっぷりとかけたガトーショコラの前で、動きを止めている。
「アルト、お茶淹れて」
スピカがそういう頃には、ミルフィーユにさしかかったところだった。
かなり食べるのが早い。味がわかっているのか、と聞きたいくらいだ。
が、スピカの目はきらきらときらめいており、頬も紅潮していたから、
かなりおいしいのは確かだった。
ハーブティーを淹れ、二人分にカップに注ぎ終えたアルトは、自分の
ケーキを一口食べてみた。
「お、おいしい……」
アルトは落ち込んだ。かなり落ち込んだ。何故って、自分の作るものより、
はるかにおいしいのだから(店出してるから当たり前)。
あの人に弟子入りしよう!! アルトはそう決意した。
すべてはスピカのために。愛する彼女のためだった。
次の日、スピカは買い物に行くから一緒に来ないか、と聞いてきたが、
アルトは行くところがあるからと断った。
スピカが悲しそうな目をしたことに、彼は一切気付かなかった。
アルトはすぐに馬車に乗り、昨日のカフェにやってきた。
「メリッサさん!!」
「え~と、君は昨日の……」
「アルトです!! 僕を弟子にしてください!!」
「ダメ~☆」
「だ、駄目なんですか!?」
「私は弟子は取らないの。……でも、君が通って、勝手に
私の技を盗むのは止めないけどね」
「ありがとうございます!!」
それから、アルトは足しげくここに通った。スピカの誘いは、幾度となく
断られた。アルトとしても辛かったが、彼女の喜ぶ顔を見たいという
一心で耐えた。
スピカは苛立ちをつのらせていた。アルトが、少し前はどこにでもついてきて
いたアルトが、ここ最近、毎日出かけるからと、誘いを断り続けるからだ。
王都シュザリアの市場で、「凶悪悪魔君人形(限定品・1500カトル)」を
購入し、カフェによろうと立ち寄った彼女は、そこに使い魔の姿を見つけた。
「アル……」
声をかけようとした彼女は、そこで立ち止った。
アルトが、自分以外の(レティ・リイラをのぞく)女性と、楽しく話している。
女性が何事か言い、アルトが赤くなった。
泣きそうになり、スピカはぬいぐるみを抱いたまま、館に逃げ帰った。
アルトの名誉のために言っておくと、彼はもちろん、メリッサが好きでは
なかった。好きは好きだが、愛してはいない。既婚者だし。
あくまで友人として好きなのだ。
赤くなったのだって、彼女に、「告白しちゃえば?」 「や、やめてくださいよ、
いきなり言うの!!」 とからかわれたからだったりする。
スピカは全然知らないし、ついでに言えば、薬指の結婚指輪にも彼女は
気づいてなかった。
「リイラ、私、病気なのかな」
遊びに来たリイラ=コルラッジに、スピカはすっかり気落ちした様子で言った。
「病気!? 何があったの!?」
「なんかへんなの。アルトに褒められると赤くなるし、
アルトが誰かと楽しく話してると、悲しくなるの」
「それ、病気じゃないわよ。恋よ恋」
「恋……?」
子供のようにスピカが小首をかしげる。
頬を桃色に染めると、これが恋、と
呟き、まだずきずきと痛む胸に手をあてた。
やっとスピカが自分の思いに気付きます。
少し遅いと思われるかもしれませんが、
幼い彼女の恋を見守ってあげてください。