第一章・上
駅前の広場は、夕暮れのオレンジ色に染まっていた。
東京の夏は湿度が高く、アスファルトの照り返しが足元から熱を押し上げる。スーツ姿の人々が行き交う中、悠は片手に小さな紙袋を提げて立っていた。中身は安物のワイン。差し障りのない「手土産」だ。
この駅から歩いて五分ほどのビルで、同窓会が開かれる。高校を卒業して七年ぶり。案内状が届いたとき、悠は迷わず出席を決めた。
集まる面子を確認したのは、その翌日だった。幹事のSNSの写真に、佐伯の笑顔が映っていた。周囲には藤島、広田、西岡、岡部、松井――あの六人全員が写っていた。
手に持ったスマホの画面を、何度も上下にスクロールして確認した。
心拍数はほとんど変わらなかった。七年かけて感情を均し、表情を整えてきた成果だ。
ビルのエレベーターを上がると、扉の向こうから笑い声とグラスのぶつかる音が漏れ聞こえた。店の照明は暖色で、壁には観葉植物が飾られている。
受付で名札を受け取り、悠は一歩中に入った。
ざっと見回すと、同級生たちはグループごとに円卓を囲んでいた。中学から顔を知っている者もいる。七年経っても変わらない笑い方、変わった髪型、増えた体格。
そして――一番奥の席に、佐伯がいた。
白いシャツの袖をまくり、金の腕時計が光っている。周囲に数人が集まり、談笑していた。藤島がその隣でジョッキを傾け、広田はスマホを覗き込みながら時折相槌を打っていた。西岡と岡部は席を行き来しては、取り巻きのように彼らの周囲に戻ってくる。松井はやや離れた位置で、所在なげにグラスを持っていた。
悠はその光景を、まるで知らない芝居のワンシーンのように眺めた。
目が合わない距離を保ちながら、同級生の一人に声をかけられ、軽く笑って答える。握手、近況、仕事の話。言葉は形式的で、悠の内側には何も触れない。
七年ぶりの佐伯たちは、予想よりもずっと「普通」に見えた。笑い、飲み、冗談を飛ばす。
――普通に、生きてきた。
あの夜から、一度も罰を受けることなく。
料理が運ばれ、乾杯の音頭が取られる。グラスを掲げる手に力は入らない。口に運んだビールの苦味は、すぐに舌の奥で消えた。
悠は会話に適当に相槌を打ちながら、心の一部を別の場所に置いていた。
加害者六人の現在の住所、勤務先、生活パターンはすべて把握済みだ。
佐伯は港区のタワーマンション住まい、藤島は地元の建設会社の二代目。広田は広告代理店勤務、西岡は都内の賃貸アパートで暮らし、岡部は新宿の飲食店で働き、松井は地方から今日だけ出てきた。
この情報を集めるのに、七年のほとんどを費やした。直接会う必要もなく、SNSや人づての噂から十分に辿れる。
一次会の中盤、幹事がマイクを握り、全員で記念写真を撮ることになった。
悠は端の席からゆっくり立ち上がり、後方の列に紛れる。フラッシュの光が瞬き、笑顔の群れが切り取られた。
その中に悠の笑顔もあった。だが、目は笑っていなかった。
やがてお開きの時間が近づくと、会場のあちこちで二次会の誘いが飛び交い始めた。悠の耳に、目的の言葉が届く。
「佐伯たち、居酒屋で飲み直すってよ」
声の主は別のグループの男で、悠に話すつもりはなかったらしい。
心拍数は上がらない。呼吸も変わらない。
ただ、その情報を静かに頭の中に置く。
会計を済ませ、ぞろぞろと人がエレベーターへ向かう中、悠は笑顔で数人に別れを告げた。
「俺、このあと用事あってさ。じゃあまた」
自然な嘘だった。疑う者はいない。
外に出ると、夜の空気が昼の熱を薄く溶かしていた。街路樹の影がアスファルトに揺れ、遠くからタクシーのクラクションが響く。
悠は紙袋を持ち直し、歩き出した。
復讐の準備は、すでに整っている。
あとは、この夜を使って――始めるだけだ。