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09 デートの誘い方

購買でパンを買い、榊と並んで中庭へ抜ける渡り廊下を曲がった瞬間、肩にやわらかな衝撃――そして小さな金属音が床を跳ねた。


「わっ、ごめん……――あ、氷室さん」


黒髪を揺らす氷室玲奈が教科書を抱えたまま立っている。足元にはキャップに猫のシルエットがついた万年筆が転がっていた。


「こちらこそ失礼」


玲奈が屈もうとするのと同時に僕が拾い上げる。手渡すと、灰色の瞳が一瞬だけ細くなり、ほんのり頬が色づいた。


「次の古典、小テストらしいね。範囲って『徒然草』だけだったかな?」


授業前の確認を装って声をかける。玲奈はノートの端を指で整えながら小さく頷いた。


「ええ。そうよ。――拾ってくれてありがとう」


万年筆を胸ポケットへ差し込み、礼を言うと、再び廊下を進みだす。スカートの裾が風を払うたび、わずかな甘い石鹸の匂いが残った。


「……氷姫と昼休みの廊下でツーショットか」


ぼんやり見送っていた僕の横で、榊が肩をぶつけてくる。


「運がいいな、おまえ。最近やたら接触多くない?」


「いや、偶然だって」


榊はにやりと笑って、手にしたパンを振る。


「偶然が三回続いたら、もうそれは“必然”って言うんだぜ」


やれやれと肩を竦めつつ、胸の内側でわずかに鼓動が跳ねる。氷室の万年筆に触れた指先に、微かな熱が残っていた。


放課後、旧視聴覚室。

氷室玲奈はカバンからノートを開くと、真っ先に切り出した。


「次の壁は“デートへの誘い方”よ。

 相手に構えさせず“自然に”誘う方法――加賀崎くんの意見を聞きたいわ」


「自然にデートに誘う方法か、そうだな……」


僕はホワイトボードに大きく三角矢印を描く。


共通ネタ提示 → 必要理由付け → “一緒に”の自然化


「重く聞こえない誘いは、“作業”か“専門サポート”を絡めるとスムーズだよ。


 例えば――

 1. 共通ネタ提示

 「今、半導体企業の合同展示会やってるらしい」

 2. 必要理由付け

 「理系の視点で解説してくれる人がいると助かる」

 3. “一緒に”の自然化

 「良かったら付き合ってもらえない?」


 雑談の流れで①を出して、②で相手の得意分野を称賛、③で“ペア行動”を提案――これなら告白っぽさが薄れる」


玲奈は万年筆を止めることなくノートにメモを写し取り、ページの端を指でそっと折った。


「――つまり、途中でさりげなく相手を褒めるのね。……試してみるわ」


深く息を吸い、背筋を伸ばす。教室の窓を背にした横顔はいつもより少し硬い。それでも、灰色の瞳に決意めいた光が宿ったまま僕の方へ向き直った。


「加賀崎くん。今度、プラネタリウムで宇宙写真展があるのを知ってる?」


言葉は淡々としているのに、語尾がほんのわずか震える。


「あなたの解説、いつも分かりやすいから――もし予定が空いていたら、一緒に行ってもらえると助かるんだけど」


最後の一拍で視線が絡む。理性を保ちつつも、感情を測るような長さ。


「……どうかしら、自然に誘えてた?」


「うん、いいと思うよ。押しつけがましくないし、“解説役”って理由も筋が通ってる」


フィードバックを返すと、玲奈の白い頬が微かにバラ色に染まった。自分で放った台詞に、遅れて照れがこみ上げたらしい。


トートバッグの内ポケットから、星柄の封筒がすっと現れる。


「その、実はこの写真展――友人がペア招待券を二組くじ引きで当てたそうなの。

 一組は、その子が好きな人を誘う予定。もう一組はこちらに譲ってくれたのだけど、デートを成功させるには下見が必要でしょ? 展示の流れや混雑具合も確認しておきたいの。

 だから……私と一緒に行って“デートのコツ”を教えてくれないかしら?」


差し出された二枚綴りのチケットは、封筒の口が開くだけで星空の印刷がのぞいた。手は少しも揺れていないが、瞳の奥にわずかな期待が揺らめく。


「それ、行きたかったんだ。……解説役なんてむしろ光栄だよ」


思わず素の声で言ってしまう。自分の言葉が想像以上に弾んで聞こえ、耳の裏が熱くなる。


「日曜の午後一時、大丈夫かしら?」


「ああ、大丈夫だ」


即答すると、玲奈の口元がほころんだ。ほんの一瞬、氷が溶けて水面が揺れるみたいな柔らかさ――けれどすぐ、いつもの無表情へ戻る。


帰り際、玲奈はノートを閉じながら今日の要点を指でなぞる。


「今日のポイントは――相手を褒める、理由を添える、“一緒に”は自然に、ね」


「うん。それに加えて、帰り際に『また次もお願い』って言うと継続性が上がるよ」


「了解。…………加賀崎くん、ありがとう」


その最後の「ありがとう」は、ごくわずかに甘さを含んでいた。ランプの光が消えかけた教室で、その響きだけがやけに温かかった。


教室のドアを開けかけて、彼女がくるりと振り返る。


「日曜、遅れないで。……“デート”楽しみにしてるから」


ランプが落とす影の中、灰色の瞳に微かな温度が灯る。

招待券をポケットにしまいながら、僕は自分の鼓動が一段跳ね上がるのを感じた。

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