80 "元気"じゃない私へ
――笑ってなきゃ、嫌われる。
そんな思いが、心の奥に住みついたのは、いつからだっただろう。
最初は、ただ人に優しくしたかっただけのはずだった。
誰かが困っていたら、笑って手を差し伸べるのが当たり前だと思っていた。
でも、いつの間にか、それが“義務”になっていた。
笑顔じゃなきゃ、迷惑だと思われる。
明るくなきゃ、距離を取られる。
弱音を吐いた瞬間、誰かの顔が曇る――そのたびに、胸がちくりと痛んだ。
「大丈夫ですよ〜っ♡」
「元気だけが取り柄なんです〜!」
そんな言葉を、何度口にしたか覚えていない。
本当は、たまにすごくしんどくて、泣きたくて、逃げ出したくて――
でも、そんな気持ちは、ぜんぶ胸の奥に押し込めてきた。
“ほたるは明るくて元気な子”って、みんなの中の私を壊さないように。
誕生日が近づいていた。
夏祭りの日。先輩と約束した誕生日デート。
ずっと前から、楽しみにしていた。
新しい浴衣も買って、髪飾りも悩みに悩んで選んで、
指折り数えて、あと何日、あと何時間……って。
カレンダーを見ながら、わくわくしてた。
そんな日が、私にも来たんだって――心から、そう思ってた。
なのに。
どうして、こんなときに限って。
体がだるくて、頭が重くて、熱がある気がして。
最初は「気のせい」って思った。
「寝れば治る」って、自分に言い聞かせた。
そうじゃなきゃ、楽しみにしてたこの日が……この時間が……
なくなっちゃうのが、怖くて。
それでも、先輩に嘘はつきたくなくて、
「ちょっと熱っぽいけど寝てたらすぐ治るから大丈夫です」って軽く言った。
本当は、“ちょっと”なんかじゃなかったのに。
でも心配されたくなかった。
明日の予定が失くなってしまうのが怖かった。
スマホに届いたメッセージ、何度も返事をしようとしたけど頭が回らず返せなくて。
文面を何度も打ちかけて、消して、また打ちかけて――
そうしているうちに、意識がふわふわして、気づいたら眠ってた。
夜、何かの音で目を覚ました。
暗い部屋。
動こうとしたけど、体が思うように動かなくて。
喉がからっからで、水を飲みに行こうとしたけど足に力が入らなくて――
がたん、という音とともに、視界が床に落ちていった。
崩れるように倒れたその瞬間、
どこかで「終わった」って思った。
あ、だめだ。これ、やばいやつだ。
でも、声が出ない。
「助けて」って言えない。
体が、鉛みたいに重くて、
息を吸うのも痛いくらい苦しくて――
(誰か……誰か……助けて)
そう思っても、誰の顔も浮かんでこなかった。
家族? 違う。
あの人たちは、今、遠い国のどこか。
私を“置いていった”人たち。
小さい頃からずっと、気づいてた。
私は、いてもいなくてもいい存在だった。
便利なときだけ構われて、それ以外は空気みたいに扱われて。
でも、そんなふうに扱われるのが、私の日常だったから。
誰にも頼れないことが、当たり前だった。
だからこそ、私は「笑顔の仮面」を被ることにした。
笑ってれば、怒られない。
明るければ、避けられない。
“うるさいけど、いい子”って、誰かに思ってもらえる。
その“思ってもらえる誰か”がいることが、私の全てだった。
でも今――
こんなに苦しいのに、そんな仮面すらつけられない。
笑えない。動けない。
そんな私は誰も愛してくれない。助けてくれない。
何もかも、ただしんどくて。
目の奥が焼けるように熱くて、世界が遠ざかっていく。
長い事、暗闇の中にいた気がする。でもそのとき、不意に。
「……ほたる!」
(……え?)
声が聞こえた気がした。
まっくらで、重たい世界の奥から、
まっすぐに届くような、懐かしい声。
いつもみたいに冗談を言ってくれるあの声。
優しくて、真っ直ぐで、不器用な――
(先輩……?)
本当に? 夢?
わかんないけど、涙がこみ上げた。
声にならない声で、心の中で叫んだ。
返事はなかったけど――
その声だけで、この真っ暗な世界の奥に、小さな光が灯った気がした。
(……ありがとう)
そう思ったとき、意識の底が、ふっと沈んだ。
でも、今度は前みたいに怖くなかった。
ちゃんと、誰かが、私を見つけてくれた。
そう思えたから。
私はその光に包まれるように、静かに目を閉じた。




