72 夏と猫と
店の外に出た瞬間、もわっとした熱気が肌にまとわりついた。
夏の午後。焼けたアスファルトの匂いが、鼻をつく。
「……あー、外、暑っ」
思わず額に手をかざしながら、悠真はぽつりとつぶやいた。
その隣で、ほたるはにこにことパフェの余韻を味わっていた。
「ふふっ、でもパフェおいしかったですね〜♡」
「……まぁ、たしかにな。あのレモンのジュレとか意外と本格的だったし」
「でしょ〜? “夏限定”って聞くとつい頼んじゃうんですよねっ」
楽しげに笑うほたるを見て、悠真はふと首を傾げる。
「でもさ……お前、スイカが食べたかったんじゃなかったのか?」
すると、ほたるはぴたりと足を止めて、くるっと振り返る。
「……スイカを食べたかったんじゃなくて、スイカ割りがしたかったんですっ」
「……ああ、そういうこと」
「ほらっ、目隠しして棒を持って、『もっと右〜!』とか言いながら、みんなでわいわいする感じ……あれが、やりたかったんですよぉ」
そう言って、スカートの裾をつまみながら小さくくるっと回る。
「スイカって、叩いてこそ真価を発揮するんです♡」
「食材に厳しいな……」
暑さに負けた蝉の声が、木陰の方からかすかに響いてくる。
通りには人もまばらで、午後の空気はどこか緩やかだった。
「さて……この後、どうするか」
悠真がぼそりとつぶやいたその瞬間、隣でぴくりと反応する影。
「……あのっ! 実は……行ってみたいところがあるんですけど!」
「ん? どこだよ」
「猫カフェですっ♡」
自信満々に、指をぴしっと立てる。
「猫……カフェ……?」
「はいっ♡」
ぱぁっと顔を輝かせて、ほたるは全身で“行きたい”を表現していた。
「ずっと気になってたんです〜っ! 学校帰りにお店の前通るたび、ショーウィンドウの猫たちに心撃ち抜かれてて……! ふわふわの猫たちに囲まれて、癒されたい……洗われたい……もふもふされたいっ……!」
「いや、もふもふされんのはお前じゃなくて猫だからな」
「じゃあ! 先輩が猫の代わりに私をもふもふしてくれてもいいですよっ♡」
「するかよ」
「ちょっとぉ!? 一回くらい『じゃあ猫耳つけてこい』くらい言ってくれてもいいじゃないですかぁ!」
「それ言ったら本当に猫耳つけて来そうだから却下だ」
「くっ……キサマ、心を読んでいるな……!」
「何のバトルだよ」
「もふもふ戦争ですっ!」
汗がにじむ日差しの下、二人は商店街のほうへとゆっくり歩き始めた。
猫カフェの看板が見えた瞬間、ほたるは一段と歩幅を早めた。
「ここですここです〜っ♡」
木目調の落ち着いたドア。その上に「Cat's Lounge」と書かれた小さな看板。
中を覗くと、大きな窓から優しい光が差し込み、店内にはふわふわの猫たちが思い思いにくつろいでいる。
「……まじで行くのか」
悠真は思わず足を止めてしまう。
ガラス越しに見える店内には、若い女性客ばかり。
SNS映えしそうなスイーツと、膝に猫を乗せてうっとりと微笑む女子たち。
空間から漂う“女子の楽園”感に、場違いな気がして、尻込みしたくなる。
「まじです! まじまじですっ! さぁさぁ、先輩もっ!」
腕をぐいっと引っ張られ、抵抗する間もなく扉を開けられる。
「いやちょっと待て、おい……!」
「逃がしませんよっ! すでに猫たちが私を待ってますから!」
強引に手を引かれたまま入店すると、まずは受付カウンターへ。
猫型の名札をつけたスタッフがにこやかに出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。当店は初めてのご利用でしょうか?」
「はいっ! 二人とも初めてですっ♡」
悠真が反射的に「いや、僕は……」と口を開きかけた瞬間、
ほたるがちゃっかり腕を組んで遮ってきた。
「ド緊張してるだけなので、説明お願いしまーす♡」
「……おまえな」
完全にペースを握られたまま、手の消毒、猫との接し方、時間制のシステムなどの説明を一通り受けることに。
ふと横を見ると、ほたるは真剣な顔で「猫に触る前に手を洗う」「フラッシュ撮影は禁止」といった注意事項を真剣にメモする勢いでうなずいていた。
(……まじで楽しみにしてたんだな)
悠真が署名を終える間に、ほたるはすでに入口のガラス越しに猫たちをロックオンしていた。
「ふわぁ……見てください、あの子……毛並みがすごい……! 絶対に触れ合いたいです……!」
「触れ合いって言い方がもうこえーよ」
カフェスペースに通されると、スタッフが猫たちに軽く声をかける。
10匹近くいる猫たちは、それぞれ棚の上やカゴの中、床のひなたぼっこスペースでゆるやかに過ごしていた。
「よーし……いざ、猫アタックタイムですっ♡」
「やめとけ、そのテンションだと逆に引かれるぞ」
案の定――ほたるが「こんにちは〜♡」と声をかけながら猫に近づくと、すっと一歩引かれた。
続けてもう一匹にも手を差し出すが、そちらも尻尾をゆらゆらさせながら棚の上に逃げていく。
「……あ、あれ……?」
「あー……猫って、基本的にグイグイ来られるの苦手だからな」
「えっ……? でも、優しく笑いかけてるんですけど……?」
「笑顔もプレッシャーだと感じるらしいぞ。あと、視線も直接より斜めくらいで、手は高く出さずに下からそっとな」
「……営業スマイルが裏目に出るとは……!」
その後もめげずにチャレンジを繰り返すが、猫たちはちらっと視線を寄越すだけで、基本的に素通り。
近くに来たと思ったら、すぐ別の客の足元に移動していった。
「……うちの近くの公園、池があって、友達とよくジュース賭けて“鯉に餌あげたらどっちが多く寄ってくるかゲーム”してたんですよ」
突然語り出すほたる。
「……でも、私にはなぜか全然寄ってこなくて、3本もおごる羽目に……。私、生き物に好かれないんでしょうか……」
「いや、そんなことないだろ。お前、たぶん“好き”の伝え方が豪速球すぎるんだよ。猫とか鯉は特に、じわっと滲み出るくらいのがちょうどいい」
「じわっ、て……難しいですねぇ……」
ため息をつきながらソファにもたれかかったそのとき――
ふわふわの長毛猫が、悠真の足元をとことこと歩いてきて、そのままほたるの前でぺたんと座った。
「……えっ?」
恐る恐る手を伸ばしてみる。猫は動かない。
「わ、わわ……っ!」
ついに――指先がその柔らかな背にふれた。
ほたるは口元を両手で押さえて、目を輝かせる。
「……きた……来ました……っ! やっと……!」
そのまま猫がコロンと仰向けになり、喉を小さく鳴らすと、ほたるの喜びは限界突破したようだった。
「やばいですっ……!! もふもふされてる……! 今、世界一しあわせかもしれません……!!」
「されてんのは猫だけどな」
「細かいことはいいんです……!」
頬を染めて猫の頭をなでながら、ほたるは何度も何度も感動を噛みしめていた。
外の熱気を忘れるほど、涼やかな空間とやわらかな毛並みが、二人を静かに包み込んでいた。
――夏の午後の、ちいさな奇跡だった。




