68 夏の終わり感
「そろそろお昼にしようか? お腹すいたよね」
海から上がってきた桜が、レジャーシートにどさっと腰を下ろしながら笑った。濡れた髪の先から、水がぽたぽたと落ちて、砂の上に濃い影をつくる。
「おぉ、待ってました! 俺も限界! 腹ペコだ!」
「じゃあ、クーラーバッグ開けまーす!」
榊がわかりやすくテンションを上げながら、彼女の隣に座り込む。その様子に僕も自然と笑って、テントのほうへ向かう。星乃さんもゆっくりと僕の隣を歩いていた。
照りつける太陽の下、海から上がったばかりの砂浜はじりじりと熱を持っていた。裸足で歩くたび、砂が指の間に入り込んで、なんとも言えない感触がする。でも、それさえも心地よく感じられた。
日除けテントの中は、少しだけ風が通って涼しい。波の音が少し遠くなって、静けさが戻ってくる。僕たちはそれぞれ足を軽く拭いて、レジャーシートの上に腰を下ろした。
「じゃーん! ちゃんと作ってきたよ!」
桜が得意げに保冷バッグから取り出したお弁当箱を開けると、中から鮮やかな色とりどりの料理が現れた。
「うおっ、豪華! これ……花園さんが作ったの?」
「もちろん! 早起きして頑張った!」
「マジで感謝……! しかもこの見た目、完全にプロ……」
「いやこれ、開けた瞬間テンション上がるやつ……」
ふたを開けるたび、思わず歓声が漏れた。
一段目には彩り豊かなマリネ、甘く焼かれた卵焼き、スティック野菜にディップソース。二段目には唐揚げ、枝豆、トマトとチーズのピック、ウインナーが整然と並んでいた。
「これ、花園さんの“映え”センス全開って感じだ」
「うん。味もちゃんと考えたけど……“開けた瞬間に気分が上がる”のが大事だと思って」
「その発想、すでにプロ」
「ていうか唐揚げある!!」
榊が勢いよく身を乗り出した。
「すごい、超すごい、最高だ……!」
「ほんとに唐揚げ好きなんだな、おまえ」
「いや、もうこれのために今日来たって言っても過言じゃない!」
僕は思わず吹き出して、桜の方を見て微笑む。
「……ありがとう。見た目だけじゃなくて、ちゃんと気持ちが伝わる感じがして、びっくりした」
「ふふっ、うれしいな。いっぱい食べてね」
そう言って、彼女は手元のお弁当箱のふたを丁寧に開けながら笑った。
僕も唐揚げを一つ取って、口に運んでみる。
外はサクッと、中はじゅわっと。下味がしっかり染み込んでいて、家庭的なのにどこか上品な味がした。
「……うまい」
「やったぁ、よかった……!」
「この唐揚げ、揚げたてじゃないのに全然パサついてない。冷めてもちゃんとおいしいって、すごい技術」
「それ、榊くんのセリフじゃないの?」
「いや、僕もわりと唐揚げで感動してるんだって」
星乃さんもお箸をのばし、野菜のマリネを一口。
「ん〜〜! さっぱりしてて美味しい! 酢の加減が絶妙」
「よかった〜。酢って、強すぎると嫌がられるからドキドキだったんだ」
「ちょうどいい。夏にぴったりだよ、ほんとに」
桜がうれしそうに肩をすくめて笑う。
「榊くんも遠慮せずにたくさん食べてね。唐揚げ多めに作ってきたから」
「その心遣い、マジで神……!」
榊は満面の笑みでお弁当を頬張っている。
その顔は、ほんとに幸せそうで、見ているこっちもつられて笑ってしまう。
「うまい、うん、これが花園さんの味。記憶に残るやつだな」
「えっ……なにその言い方……」
「褒めてるからね?」
そう言った榊に、星乃さんがふふっと笑みを浮かべる。
テントの下で、みんなが笑いながらごはんを食べてる。
どこか映画のワンシーンみたいに、やわらかくて、やさしい時間だった。
ふたりのやりとりを見ながら、僕は小声で星乃さんに話しかけた。
「なんか、あのふたり、いい感じだよね」
「うん。思った以上に……相性いいのかもしれないね」
「榊、夏休み中も花園さんのこと気にしてたからさ。花園さんから誘ってくれてよかったよ」
「……ふふ。私も、そう思うよ」
お弁当を食べ終えた頃、不意に榊がぽつりとつぶやいた。
「なあ、こういうのって、なんか“夏の終わり感”あるよな」
「え? どういう意味?」と桜が首をかしげる。
「海で遊んで、こうしてみんなで弁当食って、ちょっと暑くて、でも風が気持ちよくてさ。なんか、“この時間”がずっと続けばいいのにって思う」
「……うん。すごく、わかる」
星乃さんがぽつりと呟くように言った。僕も、小さくうなずいた。
焼けた砂の匂い。打ち寄せる波の音。太陽の明るさ。
そして、友達の笑い声。
全部が混ざって、まるで夢みたいに感じるこの時間。
「……でも、続かないから、今がきれいに見えるのかも」
僕がそう言うと、星乃さんがふっとこちらを見て、少しだけ目を細めた。
「……だったら、きれいだって思える瞬間を、ちゃんと覚えておこうね」
その言葉に、僕は自然と頷いていた。
風がふっと吹いて、テントの布が静かに揺れた。
潮の香りが、どこか遠くを思い出させる。
ふと視線を上げると、星乃さんと目が合った。
彼女の瞳の奥には、潮見浜の空と同じ色があった。
明るくて、少し切なくて、でも、ずっとそこにいてほしいような――そんな光。
弁当箱のふたが、ぱたんと静かに閉じられた。
その音は、潮風に混じって、夏の午後のページをめくるように優しかった。




