65 朝焼けと潮風の境界線
「……ん、暑い……」
アラームより早く目が覚めた。
窓の外はもう明るくて、セミが遠慮なく鳴き始めている。
朝6時前。夏の朝は、なんでこんなに音が多いんだ。
洗面所で顔を洗いながら、鏡を見つめる。
(……今日は、海)
胸の奥が、じわりと高まる感覚を持て余す。
なんでもないふりしてるけど、自分でも分かってる。
今日のこの日を、思っていた以上に――楽しみにしてた。
準備は昨夜のうちに全部終わらせておいた。
カバンの中には――
ラッシュガードにキャップ、凍らせたペットボトル、モバイルバッテリーもOK。
スマホのバッテリーは100%
「……よし、行くか」
————
駅に着いたのは、約束の15分前だった。
目立つ人影がすぐに視界に飛び込む。
「おーっす! 悠真、早いな!」
「おう、ちゃんと今回も一番に来たんだな」
「あぁ、女の子を待たせるわけにはいけねぇしな! あと、テンション上がりすぎてめちゃくちゃ早く起きちゃったってのもあるんだが」
榊は肩からでっかいリュックを提げて、満面の笑み。
あいかわらず元気だけど、その空気に救われる自分もいる。
「ちゃんと水入れてきたか? 熱中症怖いぞ」
「入ってる入ってる。ついでにスイカバーも4本」
「いや、溶けるだろ……」
そんなくだらないやり取りをしていると、視線の先に桜が見えた。
「おはよー! ふたりとも早いね」
「全然、集合時間前だし! 花園さん、お弁当重くなかった?」
「保冷剤入れてるから大きく見えるだけで意外と平気!」
桜は髪を一つにまとめて、いつもよりちょっとスポーティーな雰囲気。
その隣に、ゆっくり歩いてくる影がもうひとつ。
「あ……」
星乃さんだった。
日傘と大きな麦わら帽子で顔を隠しやすくしているのだろうが、いつもと比べたら“素”に近い雰囲気もある。
「おはよう、星乃さん」
「あっ……うん。おはよう、加賀崎くん」
ちょっと照れたような、けれど安心したような声。
「星乃さん、今日は変装控えめなんだね。可愛すぎて目立っちゃわないように気をつけてね」
「ちょ、加賀崎くん……やめてよ、そういうの……」
言いながらも、星乃さんは口元だけ、少し笑った。
その笑顔が自然で――つい、見惚れてしまったのは内緒にした。
駅から出て、バスで1時間弱。
潮見浜へ向かう直通のバスは、思ったより空いていた。
前から2列、榊と僕。後ろに花園さんと星乃さん。
この並びはたまたまだけど、車内の空気は妙に落ち着いていた。
「……寝ていい?」
「いいけど、よだれ垂らすなよ」
「うるせぇ」
榊は帽子を目深に被って、あっという間に夢の世界へ。
その隣で、僕はスマホをいじるふりをしながら、ぼんやりと窓の外を見た。
一瞬、視線を感じて後ろを振り返ると――
星乃さんと花園さんが、なにかこそこそ話していた。
星乃さんが、目が合った瞬間ふいっと目を逸らす。
(……え、なんだ、僕なんかしたか?)
「加賀崎くーん」
前触れもなく、桜がシートの背から顔を出した。
「ん?」
「みゆね、今日めっちゃ頑張ってるんだよー。えへへ」
「は!? ちょ、桜ちゃん!?」
後ろで星乃さんが慌てた声を上げる。
「な、なにを急に言い出すのっ……!」
「んー? がんばってるって褒めてるだけだよ?」
「も、もう……っ」
星乃さんの声は恥ずかしさで少し震えていて、耳まで赤くなっていた。
……なんか、いいな、こういうの。
胸の奥がくすぐったくなるのを感じながら、僕は黙って窓の外を見た。
バスが海辺に着いたのは、8時を少し回った頃だった。
バス停から5分ほど歩くと、目の前に広がる――青。
「わあ……」
海の家が並ぶ小さな通りを抜けると、潮風が一気に体を包んだ。
砂浜に朝の光が差し込んで、キラキラと跳ねている。
「う、うおぉおおお! 海だーーー!! 夏だーー!!!」
榊が全力で叫ぶ。
「朝からテンション100%だな……」
僕が呆れ気味に言うと、花園さんが笑った。
「でもなんか分かる気する。久々にこんなに“夏”感じてる」
「うん……本当に、これてよかった……」
小さくつぶやいたのは、星乃さんだった。
海風で、髪が少し揺れていた。
その横顔はどこか柔らかくて、でも決意みたいなものも感じた。
「……今日、楽しもうな」
「うん」
並んで歩くその距離は、ほんの少しだけ縮まった気がした。
まだ朝の潮見浜。
だけど、ここから始まる夏が――すこしだけ特別なものになる予感がしていた。




