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64 夕焼けの記憶と夏の期待

「はぁー……」

胸の奥に染み込んだ、あの夕焼けの色がふと蘇る。

ミスティックランドの観覧車に乗った日から、もう半月。


ゴンドラの窓に映った自分の頬は真っ赤で、恥ずかしさをごまかすために、私はずっと外を見ていた。

でも――あの沈黙は、嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。

心臓のリズムが少しずつ速くなって、隣にいる彼に聞こえてしまいそうで、呼吸をゆっくり整えた。

そうやって過ごした、ほんの数分。だけど、その記憶はまだ胸の奥にふわりと漂っている。


思い出すたび、こそばゆくて。

気づけば、枕に顔をうずめている自分がいる。


……なのに。


「なんで、こんなに会えないの……」

夏休みに入った途端、私の予定はまるで戦場だった。

撮影、レッスン、衣装合わせ、打ち合わせ。

カレンダーアプリをスクロールするたびに、白い空きがなくなっていく。


「せっかく距離、縮まったと思ったのに……」

悔しい、というより寂しい。

スマホを手に取ると、自然とカバーに目がいく。


ポポピヨンの限定ケース。淡いピンクに小さな羽のキャラが笑っていて――

そのケースには、薄くヒビが入っていた。


あの日、地面に落としてしまったときにできた傷。でも今では、それすらも愛おしい。

これは“壊れた”んじゃない。“救われた夜”を閉じ込めた宝物。


そっとケースのひびを指でなぞっていたとき。

スマホがブルッと震えた。


「あ、桜ちゃん……?」

画面には「桜」の名前。私はすぐに通話ボタンをタップする。

すると、少し緊張したような声が耳に届いた。


「ねぇ、みゆ。ちょっと聞いてほしいことあるんだけど……」

「え、なになに? どうしたの?」

「今日ね、プールに行ったの」

「え〜〜! いいなぁ〜! 私も行きたかった〜!」


思わず枕に突っ伏して叫ぶ。向こうで小さな笑い声が漏れた。


「でね、そのプールで……加賀崎くんに会ったの」

「……ええええええええ!?」


一瞬で頭の中に、いろんな映像が浮かんだ。

日差し、水しぶき、濡れた前髪、素肌、笑顔……スローモーション。


「なんで!? なんで加賀崎くんがプールに!?」

「後輩の女の子に誘われて行ったらしいよ。それでね……その子、すっごく可愛い子でさ」


言葉を濁す桜ちゃんの声に、心臓が水面を叩くみたいに“ドクン”と跳ねる。


「……ま、まさか……彼女、とか……?」


自分で言っておいて、声がどんどん小さくなる。


「違う違う! ちゃんと聞いたって。

“ただの後輩”って言ってたし、加賀崎くんも友達ノリだったよ。そういう雰囲気はなかった」

「……ほんとに? でも、付き合ってないのにプールって、行く……?」

「うーん……それ言ったら、みゆもじゃない?」

「で、でも、私のは“相談”だったし……!」

「きっと後輩の子もそんな感じだよ。少なくとも加賀崎くんの態度は普通だったし」


ふぅっと、息が抜ける。

けど、次の言葉に心臓が再び跳ねた。


「あ、ただ……その子の目は完全に“好き”って感じだったかな」

「ひゅっ……」


今度は、かすかな悲鳴すら出なかった。

スマホを持つ手がじわっと熱を帯びていく。


「でね、みゆが“全然会えない〜!”ってボヤいてたの思い出してさ。

それで……加賀崎くんに“みんなで海行こうよ”って誘っといた!」

「えっ、本当に……?」

「うん! ちゃんと“行こう”って言ってくれたよ。

だから、次はみゆのターン!」

「桜ちゃん……ありがとう」

「日程はこのあと、グループトークで決めようね〜!」


ふざけたような「がんばってね〜」の声とともに、通話は切れた。


スマホの画面に戻ると、グループトークの通知が表示されていた。


 桜 20:10

 さっきみゆにはちょっと話したんだけど

 近いうち、みんなで海行きましょう!

 この前の遊園地メンバーでまたワチャワチャしたいなって!


思わず、笑みがこぼれる。

「ふふ……ありがとう、桜ちゃん」


グループトークでの軽いやりとりが、久しぶりに気持ちを明るくしてくれる。

少しずつ、心に風が通り始めたような気がした。


──潮見浜、8月21日、朝7時集合。


カレンダーアプリに浮かぶその文字を眺めながら、私はふぅっと息を吐く。

ベッドにごろんと横になり、ラベンダーの香りがほんのり漂うシーツに顔をうずめた。


スマホを胸に抱えて、ヒビの入ったケースをそっとなぞる。

桜ちゃんは「そういう感じじゃなかった」って言ってたけど……

本当はどうなんだろう。後輩の子と一緒にいるとき、加賀崎くんはどんな顔をしてたんだろう。


潮見浜の海風は強い。

帽子もウィッグも、あまり頼りにはできない。

それでもいい。

今度は、“変装した私”じゃなくて、“星乃みゆ”として笑いたい。

ちゃんと、見てほしい。今度は変装していない自分も。


スマホをぎゅっと胸に抱いて、私はまぶたを閉じた。

波のように揺れる気持ちの中で、小さくつぶやく。


「……がんばる。絶対、がんばるから」


カーテン越しの窓の外では、セミの声がまだかすかに鳴いていた。

そのリズムに合わせるように、心臓の鼓動も静かに早まっていく。


潮見浜まで、あと四日。

星空みたいに散らばる期待と不安――

そのすべてを、私は両手でぎゅっと抱きしめたまま、静かに眠りへと沈んでいった。

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