60 すいすい大作戦
待ち合わせは午前8時。
早朝、涼しい風を受けながら現地に向かう道すがら、僕はふと、今日の目的を再確認していた。
(たしか、運動不足解消。健康的な夏の思い出づくり。あと、ついでに“助手”の息抜き)
……いや、そもそも誰が助手だ。
そう突っ込む前に、視界に見覚えのある蜂蜜色が飛び込んできた。
「せんぱ〜〜いっ♡」
入口ゲートの前で、両手をぶんぶん振っているのはもちろん――来栖ほたる。
大きな浮き輪を肩にかけ、帽子にサングラス、スポーツタオルを首に巻いた“全力夏仕様”。
……清楚とは。
「……その格好、清楚モードとは到底言いがたいが」
「え〜っ!? これは“運動部の爽やか系彼女”スタイルなんですけどっ♡」
「とはいえ別にセンスは悪くない。 しかし、プールに来ても相変わらずうるさいな。 大人っぽさはどうした」
「元気が取り柄ですからっ♡」
そう言って、ほたるは浮き輪を“ばふっ”と僕の腕に押しつけた。
「じゃーん♡ 先輩の分も、買ってきましたっ!」
「え、俺も浮き輪使う前提なのか?」
「当然ですっ! はい、“イルカのプリントが可愛い〜って店員さんが言ってました♡”」
「……それ完全に女の子の好みじゃないか」
「うふふ♡ でも、似合いますよ? ほら、浮き輪と知的メガネ男子のギャップってやつですっ!」
「新ジャンル開拓しなくていいから……」
結局、浮き輪を片手に施設内へ。
施設内は思っていたより広く、中央にそびえるスライダーをはじめ、流れるプールや子ども向けの遊具プール、そしてジャグジーエリアまで整っている。
家族連れ、カップル、学生グループと、夏らしい人の波がそこかしこではじけていた。
「おお~っ、思った以上に豪華ですね、ここ!」
「じゃあ着替えて、ロッカー出たところで合流しよう。混んでるから、はぐれると面倒だし勝手にうろつくなよ」
「了解っ♡」
更衣室のロッカーで手早く着替えを済ませ、タオルとロッカーキーを手首に巻いて、僕は先にプールサイドへ出た。
ひやりとしたタイルの上で待っているとーー
「お待たせしましたっ♡」
軽快な声とともに、ほたるがバスタオルをひるがえして現れた。
ほたるの水着は、淡いラベンダー色のフリル付きワンピースタイプ。肌の露出は少ないが、逆にその“控えめ感”が視線を集めていた。
身長も高くない彼女は普段は“妹系後輩”だが、今のほたるは違って見えた。肌の白さと濡れたツインテールのコントラスト、そして無邪気な笑顔が、妙に目を引く。
実際、すれ違った男子グループがちらりと彼女を振り返っていた。
(……すごい注目度だな)
視線をそらしながらも、気づかぬふりはできなかった。
僕の目にも、今日のほたるはどこか新鮮に映っていた。明るく笑っているのに、なぜかいつもより少し大人びて見える。
「……その水着、似合ってるな。いつもと雰囲気が違う」
ふと口にした本音に、ほたるの肩がピクリと跳ねた。まるで意外すぎて思考が止まったような反応だった。
「えっ!? に、似合って……っ♡ せ、せんぱい、それ、ほんとですか!?」
急に上擦った声で詰め寄ってきたほたるは、頬だけでなく耳まで真っ赤だった。手にしたタオルで顔の下半分を隠しながら、まるで恥ずかしさを隠しきれずに小動物みたいに身を縮めている。
「嘘ついて得することないだろ」
肩をすくめてそう返すと、彼女はタオルの奥で口を引き結び、小さく「うぅ……」と唸った。
「うぅ……急にそんなこと言われたら、照れますってばぁ……。うそ、今日の私は“爽やか彼女モード”なのに……なんか、先輩の一言で“初恋のヒロインモード”にスイッチ切り替わっちゃったかも……」
バスタオルの隙間から、そっとこちらを覗く目は潤んでいて、照れくさそうに揺れていた。
「よし、まずはあっちから行くか」
話題を変えるように指さしたのは、屋外のメインプールエリア。スライダーや流れるプール、子ども用エリアまで揃った一大プールゾーンだ。
「わーっ♡ プール! プール! おおき〜い♡ やばい、テンションMAXで沈みそうですっ!」
両手を広げ、まるで空を飛ぶように駆け出そうとする彼女に、僕は苦笑しながら釘を刺す。
「沈むな。泳げ」
「泳ぎますともっ! 今日こそ、25メートル完泳チャレンジです!」
「それって、まだ一度も成功してないってことか……?」
「な、なにごとも目標は高くっ!」
そのまま勢いよく水に飛び込もうとして――
「わっ、つめたっ!? やっぱ入るのあとにします!」
「おい」
尻込みしてプールサイドをぴょんぴょん跳ねるほたるに、周囲の小学生が笑っている。
だが当人はどこ吹く風。むしろ笑われたことすら喜んでいるようだった。
「先輩、先に行っててくださいっ! 私、水慣れしてから本気出すんで!」
「“本気出す”を一生言ってそうだなおまえ……」
僕はため息をつきつつ、足元をゆっくり水に沈めた。
ひんやりした水温が、思考を一気に切り替えてくれる。
「……久々に来たが、プールも悪くないな」
空は広く、陽射しは強く、だけど水面がそれを跳ね返して、どこか心地いい。
風も、ざわめきも、日常とは違うリズムで流れている。
「せんぱ〜い♡ 見ててくださいねっ! 今から華麗に入水しま〜す!」
声がする方を見上げれば、ツインテールが水着に似合わぬ勢いで腕を広げ――
「――って、うわわ! バランスっ……きゃあっ!!」
ドボン。
派手な水しぶきと共に、浮き輪ごと沈んでいくほたる。
「……なにが“華麗”だよ」
呆れながら近づくと、水面から顔だけ出した彼女がプカプカ浮いている。
「むぅ……思ったより、水深ありました……」
「まぬけすぎる……」
「でも! 楽しいですっ♡ これは間違いなく、“先輩との夏満喫ポイント+100”ですね!」
「そのポイント、どこで管理してるんだ」
「心のなかの“ほたる帳”ですっ!」
照り返す水面に、太陽の輪が重なっていた。
隣で浮かんで笑う彼女の姿が、なぜだかやけにまぶしく見えたのは――
きっと、水のせいだけじゃない。




