56 夏の侵略
夏休み。
ようやく来た、束の間のオフシーズン。
学校はなく、恋愛コンサル「Dr.Luv」の対面相談も一時休止。
DM経由の軽い問い合わせには応じるつもりだが、基本的にこの数週間は、頭と体の“冷却期間”に充てる予定だった。
……だから、油断したのも仕方がない。
初日の朝――いや、正確には昼前。
目覚ましもかけずに眠ったせいで、目が覚めたのは11時を回っていた。
(……やば。こんなに寝たの、久しぶりだ)
額にかいた汗をぬぐい、パジャマのままベッドから這い出る。
軽く伸びをして階段を下りようとしたところで、ふと気配を察知した。
――リビングから、母の笑い声がする。
「あらあら。 ふふっ、ほんとに面白い子ねぇ」
(ん……? 来客?)
親戚か、あるいは母さんの友人でも来ているのだろうか。
寝癖と部屋着というコンディションで姿をさらすわけにもいかず、僕はキッチン側の扉からこっそり回り込んだ。
冷蔵庫を開け、麦茶を一杯。
コップを手にしながら、なんとなく耳に届いた声に違和感を感じる。
「あとですね〜 中庭の花壇で、水やり忘れられてた花がしおれてたんです。 みんなスルーして通り過ぎてたのに、先輩は枯れかけてた花だけ、丁寧に引っこ抜いて、“これは養分の再分配が最適化される”とか、なんか理系っぽいこと言って残った花にお水あげてたんですよ♡」
(……ん?)
聞き覚えのある語尾。跳ねるようなテンション。
「しかも、水の量とか手の角度とか、めっちゃ丁寧で! 花相手にも優しくしてて♡ なんか……そういうとこ、すごく“ちゃんとしてる”んですよ」
まさか、とは思ったが――
「悠真がそんなことを? あらまぁ……ふふっ」
「悠真先輩は本当に誰でも優しいんですよ♡ 私、そういうところが好きで――」
反射的にコップを置いた瞬間、意識より先に足が動いていた。
気づけば僕は、リビングの扉を勢いよく開け放っていた。
「ちょっと待て! なんでおまえがうちに――」
「あ、起きるの遅いですよ、せんぱいっ♡」
ソファに座って、母の隣で紅茶を啜っていたのは――蜂蜜色のツインテール。
来栖ほたる。
彼女はリビングの光を一身に受けながら、完全に“実家くつろぎモード”の顔でこちらを見ていた。
「いや、いやいやいや。状況がまったく理解できないんだけど」
「夏休みの第一日目は、まず“親睦強化ミッション”からです♡ 計画的行動ですっ」
スカートの裾を丁寧に整えながら立ち上がるその仕草が、やたら堂に入っているのが悔しい。
母はというと、すっかり懐柔された様子でほほ笑んでいた。
「ほたるちゃんは本当に元気でいい子ねぇ。話してるだけで明るい気持ちになるの。可愛いし、おしゃれだし、見てるだけで楽しいわぁ〜」
「えへへ〜、ありがとうございます♡ 先輩には“騒がしい”って言われるんですけどね!」
「それはね、照れ隠しってやつよ。悠真ったら、小さいころからそうだったのよ」
「えーっ♡ それもっと聞きたいです!」
僕は頭を抱えそうになりながら、ようやく問う。
「……てか、なんでうちがわかったんだよ?」
「あ、先輩に前あげたキーホルダー、覚えてますか? パステルピンクで“Lucky☆Heart”って書いてあるイルカのやつ!」
「あぁ、なんかかわいいからとか言って勝手にバッグにつけてたな。あれが?」
「実は……あれ、GPSが仕込んであって♡」
「…………もしもし、ポリスメン?」
「ひぃぃぃ冗談ですってばっ!!」
両手をぶんぶん振って、ツインテールも跳ねまくる。
ソファクッションが跳ね返しきれないテンションだ。
「ほんとに、冗談です! ちゃんとした合法ルートで来たんですからっ♡」
「じゃあ改めて聞く。どうしてうちの場所がわかった?」
「ふふ、それはね〜♡」
おどけた笑みを浮かべた瞬間、横からもう一つの声が割り込む。
「うふふ、実は私が教えたのよ」
「……母さん?」
ほたるの隣に座る母が、まるで当然のことのようにほたるの肩に手を置いた。
「文化祭のときに出会ったの忘れたの? この子、とっても感じがよくてねぇ。あのときLINEも交換したのよ〜」
「え……え? LINE? 交換? なんで?」
「だって、ほたるちゃんが“悠真のこと、もっと知りたいんです”って言うから」
「いやいやいや、母さん……情報漏洩ってレベルじゃないだろ、それ」
「情報共有って、大事なのよ? 悠真、家じゃほとんど自分のこと話さないんだから」
「その“共有”が、まさか住所漏洩に発展するとは……!」
母の肩越しに、ほたるがにっこりとウインクを飛ばす。
「じゃあ今度、お料理教えてもらっていいですか? 夏休み中に“彼女力”アップしたいんです〜♡」
「もちろんよ。 あ、そうそう悠真ったら、小さいころはピーマンもにんじんも、ぜーんぶ避けてたのよ〜」
「わ~♡ 可愛い〜!! それ、想像しただけで癒されますっ」
「やめて母さん!」
「……あ、そうだっ!」
ほたるが唐突に手を叩いた。
「悠真先輩の小さい頃のアルバム、見せてください♡ その、七五三とか、入学式とか、泣き顔とか、寝起きとか!」
「もちろんあるわよ〜♪ アルバム、どこにあったかしら……!」
「母さんほんとにやめて……! それだけはっ、ほんとにっ!」
夏休み初日。
本来なら静かにスタートするはずだったその日――
僕の“冷却期間”は、ツインテールの後輩によって、見事にかき乱されることになった。




