表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

54/83

54 星が砕けても

売店の脇にあるベンチに腰掛けて、私はようやく一息ついた。

プルトップを開けたアイスティーの缶から立ちのぼる、冷えた紅茶の香り。じわっと汗ばんだ喉をくぐって、涼しさが身体をゆっくり落ち着かせてくれる。


「……ふぅ〜〜、生き返る〜」


ひとりごと混じりにそう呟いて、私はスマホを取り出した。ロック画面には、今日撮ったばかりの写真が並んでいる。くるくる回るティーカップで無邪気に笑う桜ちゃん。その隣で照れ笑いを浮かべる榊くん。そして――私と加賀崎くんが、一緒に写ったツーショット。


「ふふっ、いい笑顔してるじゃん……」


ぽつりと小さく笑って、自分のスマホを裏返す。視線の先には、ピンクのスマホケース。可愛いキャラクター《ポポピヨン》の限定イラストが、そこに愛らしくプリントされていた。


気づけば私は、そのスマホを胸にそっと抱きしめていた。


(こんなの……嬉しすぎるよ……)


まるで、心の奥にそっと触れてくれるような贈り物。今だけは、世界のどこよりも幸せな気持ちになれる気がした。


少しだけ立ち上がって、売店の裏手にある手洗い場へ。鏡の前に立つと、私はそっと帽子を取って、ウィッグのチェックを始める。


「……ん〜、やっぱりズレやすいな……」


サイドの髪が少し浮いているのを見て、前髪の根元を指で抑え直す。ピンもきつすぎると痛くなるし、緩すぎると外れそうになる。いつもより長時間つけている今日は、頭皮も少し疲れてきていた。


(でも、これがないと……”私”じゃいられないから)


帽子をかぶり直して、鏡に映る自分に小さく微笑みかける。――うん、大丈夫。変装完了。


「……あっ、結構時間経っちゃった……!」


スマホを確認すると、だいぶ時間が経っていた。みんな、きっと待ってる。


急いで足を返そうと、売店を出た――その瞬間。


ドドドドーン!


「わっ……!」


大音量の音楽とともに、目の前の広場に光が溢れ出した。突如として鳴り響いたブラスバンドとキラキラしたテーマソング。パレードの開始を告げるファンファーレだった。


「……あちゃあ、もう始まっちゃった……?」


すでに観客が通路にぎっしり詰めかけている。ぐんぐん膨らむ人の流れに押されながら、私は足を止めるしかなかった。


パレードがはじまると、園内の空気が一変する。華やかな音楽と眩い照明、色とりどりの衣装をまとったキャストたち――すべてが夢の中のようだ。


その中心で、私はスマホを構えてつぶやいた。


「うわぁ……きれい……」

キラキラした光の粒が、夜空に浮かぶ星みたいに舞い上がる。

歓声と音楽に包まれて、私はまるで夢の世界にいるみたいだった。でも、その中で私はたった一人、静かに立ちすくんでいた。


この瞬間を、残しておきたいと思った。


けれど――


パレードの光は、確かにきれいだった。

まるで夢のなかにいるみたいで、目を閉じれば、そのままどこか遠くへ連れていかれそうで――

でも。

それはあくまで、"みんな"にとっての夢の世界。


私のまわりだけ、ぽっかりと穴が空いたみたいだった。

ひとりぼっちの場所に立って、浮かれた声と笑顔を遠くから見ているような。

何かが、胸の奥で微かに軋んでいた。


「きゃっ……!」


後ろから不意に誰かがぶつかってきて、私はバランスを崩し、手からスマホが滑り落ちた。コンクリートに落ちたスマホが、音を立てて跳ねる。あわてて拾おうとしゃがみこんだ。


「すみません……ちょっと、通してください……!」


けれど、パレードの熱気と人の波のなかで、私の声は掻き消される。周囲は誰一人立ち止まらず、まるで“そんなものは見えない”というように、ただ流れていった。


――パキッ。


耳に刺さるような音が響いた。


目の前で、誰かの足が、私のスマホ――いや、私の宝物を無造作に踏みつけた。


「……えっ……」


私は手を伸ばす。けれど、それより先に目に入ったのは、ヒビの入ったピンク色のケースだった。ついさっき、彼がくれたばかりの――“ポポピヨン”限定コラボカバー。


『これ、星乃さんずっと見てたから。このキャラクタースタンプでもよく使ってるから好きなんだろうなって』


そう言って、軽く笑いながら手渡してくれた。さりげない気配りに、胸がいっぱいになった。


私はそれを、大切なものとしてずっと胸に抱いていたのに。


「……あぁ……いや……」


かすれた声が喉の奥から漏れた。


さらに、横をすり抜けた通行人の鞄が私の帽子に引っかかり、ウィッグが揺れる。手を伸ばしたけれど間に合わず、髪が大きくズレてしまう。


――大切な宝物が壊れた。

――変装の髪も崩れてしまった。


ふいに、胸がぐしゃりと潰れた。


彼にもらったケースが、ひび割れた瞬間、まるで“私の心そのもの”にヒビが入ったみたいだった。


拾おうとしても、誰も気づいてくれない。

誰も私を見てくれない。

陽気なパレードの音も、歓声も、今は全部、遠くに響くだけ。

みんなが夢を見てる中で、私だけが目を覚ましてしまった気分だった。


手を伸ばしても、届かない。

声を出しても、誰にも届かない。


ただ私だけが、この場所に取り残されてしまったみたいで――


あの、誰からも助けてもらえない、冷たい場所のことを思い出す。


なぜか、涙があふれてくる。


でも、もう止まらない。

悲しさも、悔しさも、情けなさも、全部いっしょくたに胸の奥で暴れてる。



どうして私は――

こんなにも、弱いんだろう。



耐えきれず、私はその場でうずくまった。喉が詰まって、声にならない。頬を伝う涙が止まらなくて、まるで子供のように肩を震わせた。


スマホを拾って、みんなの場所に戻るーーそれだけ。

たった、それだけ、でも、それすらできない。


もう、どうしていいか分からなかった。


そんなときだった――。


「……大丈夫?」


聞き慣れた声がして、そっと誰かが私のスマホを拾いあげた。


「……っ!」


気づけば、私の背中に手を添え、片方の手が、静かに、でもしっかりと私の手を引いた。


「こっち。大丈夫、落ち着いて歩こう。ゆっくりでいいから」


肩に触れた腕が、帽子とウィッグをそっと押さえてくれている。何も言わずに、でも確かな力で、人混みから抜け出す道を作ってくれる。


この声、この手の温もり。――あのときと、まったく同じ。


思い出す。まだ中学の頃、変装していた自分に、ただの「地味な女の子」でしかない私を助けてくれた、たったひとりの男の子。


それが、今、目の前にいる彼。


“彼だけが、助けてくれた。”

“彼だけが、私を見てくれた。”


涙がまた、頬を伝う。けれどその涙は、先ほどのような悲しいものではなかった。


やがて、光と音の渦から離れた場所。静かな木陰のベンチへ。


彼はそっと、スマホを私の手に戻してくれた。


「うん、本体は無事だよ。スマホケースは……ヒビ入っちゃったから、新しいの買おうか」


私は首を振って、小さく笑った。


「……ううん、これがいいの」


このケースは、彼からもらったはじめてのプレゼントで。ヒビが入ったときは、胸が張り裂けるほど苦しかった。でも今は、このひび割れが、“助けられた記憶”を封じ込めた宝物みたいに思える。


そっとそのケースを胸元に抱えて、私は顔を上げた。


赤くなった目を、少しだけ細めて、笑ってみせる。


「……あのときも、こんな感じだったよね」


「え? “あのとき”?」


彼はきょとんとした顔で、私を見つめ返す。


私はふるふると首を横に振った。


「……ううん、なんでもないよ。……ありがとう、加賀崎くん」


照れ隠しのように微笑んだその瞬間、パレードの残り火がふたりの後ろできらめいた。


夕闇に沈む遊園地の中――私の中に、ひとつの確信だけが灯っていた。


この人が、ずっと好きだった。

そして今も、変わらずに――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ