52 空を飛べたら
「……ねえ、あれ乗ってみない?」
ベンチを立ち上がったみゆが指差したのは、空を横断するように高いレールが張り巡らされたライドアトラクション――“宙空グライド”。
ハーネスで吊られるタイプのライドで、まるで空中を滑空するような体験ができるらしい。
「ちょっとスリル系だけど、景色もきれいで人気なんだって。……行こ?」
「もちろん。じゃあ、並ぼうか」
二人で列に加わると、あたりはオレンジ色の夕陽が差し込みはじめていた。
高台のライドからは、遊園地全体が見渡せるらしい。列の途中、ゆっくりと進むなか、僕たちは自然と歩調を合わせていた。
「……ねえ、加賀崎くん」
「ん?」
「今日、来てよかった。ほんとに、楽しい」
「僕も。最初は“恋愛コンサルの一環”っていうのが前提だったけど……こうして普通に遊べてるの、嬉しいよ」
「……ふふ、普通に“遊べてる”って、それがいちばん幸せなことなんだよ、きっと」
その言葉に、ふと視線を向けると、みゆは少し照れたような顔で空を見上げていた。
帽子の下、夕陽に照らされたその表情は、どこか儚げで、でもあたたかくて。
胸の奥で、名前のつかない感情が、静かにじんわりと広がっていくのを感じる。
やがて順番が近づき、ハーネスを装着するエリアへ。
係員が安全バーとハーネスの装着方法を丁寧に説明しながら、僕たちをそれぞれのシートに案内する。
吊り下げ式のシートに身体を預けると、地面から少しずつ足が浮いていくような、非日常の感覚に包まれた。
「わ……本当に、浮いてるみたい……」
みゆが隣のシートで声を漏らす。
まだ完全に空中へ出ているわけじゃないのに、その軽さに少し戸惑っているようだった。
「ちょ、ちょっと緊張してきたかも……」
思わず出たらしいその本音に、僕はくすっと笑って、なるべく軽い口調で言った。
「落ちる系じゃないから大丈夫だよ。滑空型っていうし……多分、スリルより景色メインなやつ」
「そ、そっか……。うん、景色は楽しみ。高いところって、怖いけど、好きでもあるから……」
「苦手だったら、手、貸すよ」
ふと、口から出たその一言。
僕は自分でも言ったあとにちょっと照れくさくなって、視線をそらした。
「えっ……」
みゆは一瞬、きょとんとしたように僕を見つめ、それからふっと柔らかく笑った。
「ふふ……やさしいね、加賀崎くん。……でも、大丈夫。がんばってみる」
「そう?」
「うん、だって……せっかくだもん。ちょっとくらいドキドキしたって、そのぶん思い出に残る気がするし」
そう言って、みゆは親指を立てて、いたずらっぽくウィンクしてみせた。
帽子のつばの下からのぞくその瞳は、どこか緊張と期待が入り混じったような輝きで。
その表情に、僕も自然と笑みがこぼれる。
「じゃあ、お互い、飛ぼうか」
「うん、飛ぼう!」
カウントダウンがはじまる。
「3、2、1――」
次の瞬間。
――風が、跳ねた。
ふわり、と重力が消えたような感覚。
僕らの体は宙を舞い、レールに沿って空へとすべり出していく。
「――わああぁっ……!!」
みゆが、子どものような笑顔で叫んだ。
その声は夕焼け空に吸い込まれて、どこまでも高く、澄んでいた。
目の前に広がったのは、空の上から見下ろすミスティックランドの全景だった。
夕陽に照らされた観覧車が、金色の縁取りを纏ってゆっくり回る。
パレードの音楽がどこか遠くから聞こえ、まるで夢のような景色が足元に広がっていた。
「……すごい……」
「本当に、空を飛んでるみたいだね」
「ねえ、あれ、さっき乗ったコースターだよ! こんなに高かったんだ……!」
「ほんとだ。あのときは叫んでて景色なんて見てなかったけど」
「ふふっ、それ言う?」
空のなかで交わす会話は、どこか秘密めいていて、二人だけの世界みたいだった。
「……ねえ、加賀崎くん」
「ん?」
「こうやって、空を飛べたらいいのにね。好きなときに、好きな人と」
「……それ、いいかもな」
言いながら、僕は少しだけみゆの横顔を見た。
その視線の先には空だけが広がっていたけれど、彼女の頬はほんのりと赤く染まっていた。
滑空が終わり、ゆっくりと地上に降りていくあいだ、心のなかはまだ空に浮かんでいるような気持ちだった。
地面に足がついても、その余韻だけがずっと、胸のなかでふわふわと残っていた。
「ありがとう、加賀崎くん」
「うん。こちらこそ」
その言葉に、特別な意味は添えられなかった。
でもきっと――お互いに、その“特別さ”を感じていた。




