41 放課後のほたる
放課後、僕はいつものように渡り廊下を抜けて、相談室へ向かっていた。
午後の光が差し込む窓際を通るたび、少しずつ週末の空気が教室に広がっていく。そんな中、扉を開けると――
「せんぱ〜い♡」
先に来ていたほたるが、手を振ってこちらに笑いかけた。
制服姿のままだけど、今日は髪をツインテールではなく、リボンを外してゆるくまとめたハーフアップ。腰に巻いたピンクのカーディガンだけはいつも通りだ。
「早いな」
「ふふん、今日のほたるはやる気モードなんです。だって、“大事な準備”があるからね?」
そう言って、ほたるはトートバッグから小さなメモ帳を取り出した。中をパラリとめくると、ページいっぱいに小さな文字と可愛らしいイラストがぎっしりと描き込まれている。
「……なになに、“清楚メモ”?」
「そうっ! 今週ずっと先輩に言われたこと意識してたんだから!」
僕は身を乗り出してページを覗き込んだ。
《一日一回:背筋チェック/語尾伸ばさない/歩幅短く!/ドリンクは一口5秒以内で飲む♡》
「……“♡”いらないだろ、それ」
「あるだけでテンション上がるんだから♡」
どこか誇らしげに胸を張った次の瞬間――
「……いったぁ!」
張り切って背中を反らせすぎたせいで、後頭部を椅子の背もたれにゴツンとぶつけてしまった。
僕は思わず苦笑する。
「だから言っただろ。動作は清楚寄りにしとけって」
「うぅ……。はい、反省しますぅ……」
頭を押さえて涙目のほたるは、それでもメモ帳のページをめくる指を止めなかった。
その姿勢はちょっとおどけてるけど、ちゃんと真剣で――見ていてなぜか微笑ましくなる。
「でもね、先輩。明日は“決戦”なんだよ。だから今日中に最終確認しておきたかったの」
「決戦?」
「そう! 清楚強化月間・実践編! 明日は駅前のモールで、清楚コーデを選びに行くんだよ〜♡」
目をキラキラさせながら語るほたるのテンションに、僕は思わず口元をゆるめた。
「頑張れよ」
「当然っ。……あ、当然ですが先輩も来てもらいますからねっ!」
胸の前で指をピンと立てると、どや顔で言ってのける。
「“男子視点の清楚”が分かんなきゃ、選びようがないじゃないですかっ。……つまり、アドバイザーは必須♡」
「……清楚って、そんなに戦略的に選ぶものだっけ?」
「選びますとも! 女子のオシャレは戦いなんだからっ!」
そう言って腰に手を当て、勝ち誇ったように胸を張る。その立ち姿がどこか小さな指揮官のようで、なんだかおかしくて、でも頼もしくも見えた。
「じゃ、明日の1時に駅前モール集合ね! 遅刻したら清楚ポイント−10だかんねっ!」
「了解。……その“清楚ポイント”って、どういう基準なんだよ」
「先輩の主観です♡ あと私の努力♡」
そう言って、ほたるは頷きながらメモ帳をしまうと、僕の隣に腰を下ろした。
夕方の光が差し込む中、ふと僕を見上げて、少しだけ静かな声で言う。
「ねぇ、先輩」
「ん?」
「……明日、楽しみですね」
その表情は、さっきまでとは違ってほんの少し照れくさそうで、でも真剣だった。
結んだハーフアップを指先でいじりながら、ほたるは小さく息を吸って、僕の目を見て言う。
「じゃあ、明日……よろしくお願いしますっ、先輩♡」
「はいはい。楽しみにしとくよ」
「うぇ〜い! 清楚ショッピング、開幕宣言〜♡」
立ち上がったほたるが、まるで出陣式みたいに両手を掲げて声を上げる。そのテンションに、僕も思わず笑った。
(“恋愛コンサル”って肩書きだけど、ほたると過ごすこの時間は、もはやただの遊びに近い)
それでも――いや、だからこそかもしれないけど――彼女の無邪気な笑顔を見ると、つい僕も笑ってしまう。
明日は“清楚モード”実地演習。
その前夜の打ち合わせは、ゆるくて、楽しくて――どこか、夏休みの始まりみたいな予感がしていた。




