37 出会い
木曜日の放課後。僕と榊は並んで駅前のファミレスへ向かって歩いていた。
夏の夕日が傾きかけた空に照り映えて、少しだけ肌に熱を感じる。
「そういや、榊と花園さんって、特に接点ないよな? なんで好きになったんだ?」
そう何気なく問いかけると、隣の榊が「おおっ」と嬉しそうに反応した。
「聞いてくれるか! いやもうさ、ホントに“一目惚れ”ってやつだったんだよな」
声に乗るテンションと照れの混じった笑み。榊が語り始めたのは、数日前の出来事だった。
──
放課後の体育館。
夏の熱気がまだ籠もったままの空気の中で、榊はバスケ部の練習を終えていた。
汗だくのまま、コート脇にある器材バッグを片づけようとしていたが、重いキャスター付きのバッグのひとつがバランスを崩し――
「うわっ、やべ……!」
ガシャンッという音とともに、バッグは横倒しになった。
思わず顔をしかめた瞬間、
「わっ……大丈夫ですか?」
耳に届いたのは、ふんわりした声だった。
振り返ると、そこにいたのは見知らぬ女子生徒。
ゆるく結ばれたセミロングの髪、ふわっと風に揺れるスカート。前髪の横には、小さな桜色のヘアピンが留められていた。
――花園 桜。
そのときは名前も知らず、ただ“優しそうな雰囲気の子”という印象だけだった。
「タイヤの軸……ズレてますね」
彼女は迷いなくしゃがみこみ、斜めになったキャスターの金具を指で支えたかと思うと、カチリと正しい角度に戻す。体育館の光が差し込み、彼女の指先がわずかにきらりと光った。
「……これで動きやすくなると思いますよ」
何か言う暇もなく、彼女は微笑み――そのまま軽く会釈して背を向けた。
その一連の動作に、“媚び”は一切なかった。
“榊だから”じゃない。ただ、“誰かが困ってたから”助けただけ。
だからこそ――
「あ……」
俺は、気づけば立ち尽くしていた。
声も出なかった。
名前すら聞けなかった。
だけど、その時の柔らかな横顔は、何度思い返しても、心の中に鮮やかに残っていた。
──
「……って感じでさ。なんていうか、“特別視されなかった”ことが逆に刺さったというか」
榊は頬をかきながら笑う。
いつもはモテ慣れてるやつが、ここまであっさり落ちるとは思ってなかった。
「なるほどな」
僕は軽く頷く。花園桜という人の印象が、また一枚、輪郭を増した気がした。
「それってつまり、“誰にでも親切な子”ってことでもあるけど、“それを当然のようにやれる人”ってことでもある。……意外と、そういう子って少ないからな」
「だよな。しかも、俺のことも色眼鏡で見てなかった。そこがなんか……新鮮だったというか」
僕は歩きながら、心の中で小さく計算する。
榊の好み、花園さんの性格――そして、彼女のガードの固さ。
「なら、下手にグイグイ行くより、“同じ空間に自然にいる”っていう時間を積み重ねる方が良さそうだな。今日の勉強会みたいに」
「地道にか……。よし、俺、真面目にやるから。……でも連絡先くらいは教えてもらえるように頑張るわ」
「そこらへんは花園さんの様子を見て慎重にな」
笑い合うと、ちょうどファミレスの看板が見えてきた。
「……よし、行こうぜ!」
「緊張してるくせにやけに元気だな」
「だって今日の俺は、マジで勝負の日だからな!」
そう言って大きく胸を張る榊の背中を見ながら、僕は小さく笑って一歩踏み出した。
ファミレスの自動ドアが、静かに開く音がした。




