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29/83

29 偶然の隣、計画のうち

午後の授業が終わると同時に、僕は教科書を鞄に押し込み、素早く昇降口を抜けた。

速歩きで帰宅し、シャツを脱ぎ、髪を整え、私服に着替える。


着替えながら何度も時計を見て、スマホで予約画面を確認して――

「うん、ただの相談の延長だ、シミュレーションだからね……」


上映開始20分前。僕は最寄りの映画館前に着いた。

ロビーに入ると、冷房の風が薄いポップコーンの匂いを運んでくる。

チケットアプリを開き、スクリーン番号と座席を確認。

右端のH-17番、すぐ隣のH-16は“誰か”がすでに予約済み。――もちろん、偶然じゃない。


スマホに表示されたLINEのトーク画面に、星乃みゆとのやりとりが残っている。


 ☆みゆ☆ 15:02

 H列の端から2席並びでとれたよ☆ あとは…お楽しみ☆


 悠真 15:03

 入場時間は15分前で合わせよう。ロビーで見かけてもスルーで


 ☆みゆ☆ 15:03

 了解、知らない人ムーブ徹底しまーす☆


同じ映画をあらかじめWeb予約で隣同士の席を確保。

ただし、入場は別々。あくまで“偶然隣になった”という体で、上映中にだけ、そっと距離を近づけていく。


目的はただ一つ。

「人に知られずデートを成立させる」


モデル業との両立のために、恋人がいることを誰にも知られてはならない。だけどデートがしたい。

それを実現するための秘密のデート案の一つ。昨日の恋愛相談のときに出た星乃さんのアイディアだ。


とはいえ、今日は実際のデートではなく――“秘密のデート”のリハーサル。


星乃さんから受け取った発券コードを提示して入場ゲートを抜け、スクリーン8の入り口で係員にチケットを提示し、暗い通路を進む。

中は既に7割ほどの客が入っているようだ。そして、右端の席へ目をやると……いた。


シートに座っている女の子――

グレージュのニットワンピに、ライトブラウンのウェーブロング。

小ぶりなピアスがきらりと揺れ、爪先はグロス仕上げ。

そのどこか垢抜けた雰囲気に、最初は一瞬ためらいかけたが……目が合った瞬間、彼女は小さく笑った。


“星乃みゆ”だった。

ただし、“ギャル風”の星乃みゆ。


ローファーではなく厚底のレースアップ。

肩からかけたトートには、大ぶりのチャームとキャラクターのラバーストラップ。

マスクを外したその横顔は、昼休みに見かけるみゆとはまるで別人。


隣に座ると、彼女はまったく目を合わせず、まるで本当に“知らない他人”のようにスマホをいじっていた。

……徹底してるな、と思う。


上映まであと数分。僕も鞄から静かにペットボトルを取り出し、目の前のスクリーンをぼんやり見つめた。

やがて、照明が落ちる。


シアターに静寂が落ちると同時に、

――肘掛けの上で、そっと、彼女の指先が重なってきた。


少し震えていた。

でも、それでも離れずに、彼女はそのまま静かに手を預けてくる。

マニキュアの端が当たり、香水とは違う、柔らかなハンドクリームの香りが微かに届いた。


あくまで“偶然、隣に座っただけ”。

でも、知っている。

この手を繋ぐことが、彼女にとってどれだけ勇気のいることだったか。


まばゆい予告編が流れ、スクリーンが銀色に輝き始める。

やがて、音楽とともに物語が動き出す。


――“偶然の隣”。

でもその偶然は、誰よりも綿密に準備された恋のシナリオだった。


映画が始まってからしばらく、ふたりの手は触れたままだった。

汗ばんでもいないのに、彼女の手のひらはほんのり温かくて、時折、指先だけそっと力が入る。

画面の動きに反応してるのか、それとも――僕の反応を探ってるのか……。


映画が終わり、エンドロールが流れ出すと、彼女の手は静かに離れていった。

席を立つタイミングも、あくまで自然を装うように。


僕は少し遅れて出口に向かい、ロビーに出た頃には彼女の姿はすでになかった。

一瞬、あれだけの“偶然”が夢だったような気さえする。


……が、スマホが振動した。


 ☆みゆ☆ 19:43

 映画どうだった?

 私は……なんか、ちょっと泣きそうになった。


そのメッセージを読んで、ようやく現実に引き戻される。

今のこれは、確かに“計画された偶然”だったんだと。


 悠真 19:44

 わかる。あのヒロインのセリフ、ちょっとグッときた


数秒後、既読がつき、すぐに返事が来た。


 ☆みゆ☆ 19:45

 うん……「ちゃんと手を握ってくれる人が、私の味方だった」ってやつでしょ?

 私も、すごく好きなセリフ☆


僕はふとその言葉をスクリーンショットにして、画像フォルダに保存した。

恋愛相談――のはずなのに、なぜかこの一行が妙に胸に残る。


再びスマホが震える。


 ☆みゆ☆ 19:46

 今日のこと、また“相談レポ”にまとめて提出するね☆

 あとで送るからチェックよろしく〜(ニコニコスタンプ)


仕事としての恋愛コンサル。

でも、“コンサル”という距離感ではないよな……なんて感じ始めてきている。


 ☆みゆ☆ 19:48

 今日はありがとね!

 あまりデートっぽくないからどうかなって思ったけど、ドキドキしてすごく良かった


その一文だけで、鼓動が軽く跳ねた。


指先がスマホの上をなぞる。返信を打とうとして、一度消し、また書き直す。


 悠真 19:49

 僕も、ちょっとドキドキしたよ。

 ああいう“偶然”って、なんだかリアルだったね。


すぐに既読がついて、「ふふっ☆」という声が聞こえてきそうなタイミングでスタンプが返ってくる。

猫がくるんと丸まって、尻尾でハートを描いているやつ。


僕の親指がスマホのホームボタンを押すまで、わずか数秒。

けれどその間に、ほんの少し、胸の奥の境界線が曖昧になった気がする。


星乃みゆは“クライアント”だ。

そう、デートじゃなくて“シミュレーション”。あくまでコンサルの一環で、相談に応じただけ。

勘違いしないように気をつけなくては。

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