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28 氷姫の沈黙

梅雨が明けたばかりの教室には、蒸し暑さと夏休み直前の高揚感が同居していた。そんな空気の中、廊下の掲示板に貼り出された一枚の紙の前に、人だかりができていた。


「おぉ、悠真、今回も入ってんじゃん。五位!」


級友の何気ない言葉に、僕は肩をすくめて苦笑する。


掲示板に貼られた「期末試験 成績優秀者 上位10名」


――その真ん中あたりに〈5位:加賀崎 悠真〉の名前があった。前回の中間試験より一つランクを上げている。

Dr.Luvの活動で、放課後はほぼフル稼働だった。恋愛相談、作戦立案、実地指導。中には付き添いデートまでこなした。さすがに学業が手薄になるかと心配もあったが、今回の結果を見る限り、杞憂だったらしい。


そして――

〈1位:氷室玲奈〉


その名前は、誰よりも静かに、誰よりも強く輝いていた。


「……やっぱりすごいな」


思わず口に出た独り言に、後ろからも同じような感想を抱いた者たちの声が重なる。


「やっぱり氷姫が一位かあ……」「美人で頭も良いとかエグい〜」

「うん、すごいよね、氷室さん。パンフレット、見た? あの表紙の笑顔……反則級だった」「展示にも使いたいって、写真部の子が文化祭実行委員に掛け合ってるらしいよ」「“氷姫”って冷たいイメージだったけど、最近変わってきたよね。なんか、柔らかくなったっていうか」


そう、玲奈の表情は変わった。微笑みを浮かべる回数が、目に見えて増えた。

パンフレットの表紙に選ばれたあの一枚――撮影のとき、ほんの一瞬見せた“素の笑顔”を、僕は偶然にも捉えることができた。あの表情が、周囲のイメージさえ変えていく。


……けれど。


その本人とは、あれ以来、ほとんど会話をしていない。

週に一度の“定例相談”も、今週はなぜかスルーされた。いつもなら玲奈の方からLINEで「今日もよろしく」と連絡が来るはずなのに、それがなく「今週は用事があるので相談は無しでお願いします」

そんなふうに短く送られてきたLINEには、最後に不自然な一拍の空白があった。

……まるで、なにか言いかけて、やめたような。


教室でも目が合ったのに、玲奈は小さくうなずいただけで、すぐに視線を外してしまった。

その瞬間、ほんのわずかに頬が赤らんだ気がしたが――気のせいかもしれない。

声をかけようとした僕は、その背中が微かに強張るのを見て、結局なにも言えなかった。


約一か月前。桐生皐月の一件。あれ以来彼女は変わった。もちろん良い意味でだ。

だが、その分、僕に向けられる視線には――ほんのわずかな躊躇いが混じるようになった気がする。



玲奈は――ほんの少し勇気が足りないだけだった。

僕には、それがまだ見えていなかった。



「お〜い、加賀崎くん☆」


呼ばれて顔を上げると、そこには星乃みゆの姿があった。スカートのすそをひらめかせながら、手にはスマホを持っている。


「昨日話した件だけど、今日でもいいって、どうしたの?」

「ああ、それね。定例で受けていた相談があったんだけど、キャンセルが入ってね」


「ホント? じゃあ今日、早速実行でもいい?」

みゆは柔らかく微笑んだ。


「うん、大丈夫だよ」「やった! また放課後ね☆」と軽くウィンクし、彼女は踵を返して廊下へと消えていった。


スカートを揺らして去っていく星乃を見送った直後――


「せんぱ〜い♡」


反対側の廊下から、弾むような声が響いた。

振り向くと、ほたるがツインテールを揺らして駆けてくる。カーディガンを腰に巻いたまま、いつもの調子だ。


「先輩のほたるが来てあげましたよ♡ ほたるチャージしますか?」

「間に合ってます」


「むぅ〜〜、何その冷たい反応は! そんなんじゃ貴重な夏の青春イベント、逃しちゃいますよ?」

「貴重な青春イベントってなんだよ」


「浴衣でお祭り、線香花火、二人で花火大会、あとプール! ほら、想像して? スイカ割って、『先輩、目隠し逆です〜!』ってキャッキャするやつ♡」

「おまえの頭の中、年中夏休みじゃないのか……?」


「違いますよっ! ほたるは“夏のヒロイン”目指してるけどそうじゃなくて〜!」

「じゃあ静かにしてくれたら、アイスくらい奢ってやる」


「やった、アイス買ってくれるの♡」

「……しまった、釣られたか?」

「大漁♡」


ウィンクして指でピースサイン。相変わらず、言葉の端々に勢いと甘さが詰め込まれている。


「でもね、先輩。ほんとに最近ちょっとだけ、冷たいんですよ」

「僕が?」

「うん。なんか、こう……“ひとりで考え込んでる”って顔してるときが増えた気がして」


言われてハッとする。たしかに、一時は氷室さんの件が気にかかって、つい表情に出ていたかもしれない。


「……そう見えたなら、ちょっと反省だな。だが、もう問題は解決したから大丈夫だ」

「ふふん♡ 先輩の感情、読めるようになってきたかも〜。 ほたる、レベルアップ中!」


「頼むから最終進化形が“騒がしいヒロイン”じゃありませんように」

「なにそれ〜! でもそれもいいなぁ……“先輩の心をかき乱す系ヒロイン”♡」


「おいおい、おまえはなにを狙ってるんだよ……」

「ふふふ、もちろん一番上ですよ?」


そう言って、ほたるはぴょこんと跳ねるようにその場を回って、手をひらひら振りながら廊下を去っていく。


「えへへ、じゃあまた金曜日の放課後ね、先輩っ♡」

夏の光が廊下を照らす。遠ざかる足音のあと、ほんの少しだけ、口元がゆるんだ。


夏は、まだ始まったばかりだった。

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