表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

25/83

25 屋上

放課後のチャイムが鳴ってから十分ほど経った頃。

屋上の扉をくぐると、まだ風の冷たい初夏の空気が、肌を撫でた。


僕と玲奈は、ほとんど言葉を交わさず屋上へ向かった。

鉄柵越しに見える空は澄み渡っていて、夕焼けの前の透明な青が広がっている。


やがて、足音がもう一つ加わる。

ドアの向こうから現れたのは、演劇部の桐生皐月だった。

腕にはいつも通り衣装袋を抱えている。


玲奈の顔を見ると、少し驚いたように目を丸くして、

だがすぐにいつものように明るい笑顔を浮かべた。


「玲奈ー! こんなところに呼び出すなんて、なんか青春だね? なに、ドラマの台詞稽古でもする?」


その調子は、あくまで“友達のまま”だった。

玲奈は、一瞬だけ躊躇うように唇を結ぶ。

だが、顔を上げて静かに言った。


「皐月……ごめんなさい。でも今日は、少しだけ……違う話をしに来たの」


「んー? なになに?」


玲奈の背後に静かに立っていた僕は、ゆっくりと一歩前へ出た。

彼女をかばうように桐生皐月と向き合い、目を逸らさず、低く澄んだ声で告げる。


「――すべて、把握してる。氷室さんへの誹謗中傷の大半は、ひとりの投稿者によるものだった」

「そして、それを行っていたのは……君だ。桐生皐月」


その名を明確に口にした瞬間、桐生の肩がピクリと揺れた。

一拍置いて、笑み――けれどそれは作り物のように引きつった笑顔が浮かぶ。


「……は? なにそれ? 証拠でもあるっていうの?」

「私がそんなことするわけないでしょ。玲奈とは友達なのよ? そんな人のこと悪く言うなんて、ありえないから」


僕は無言で、手にしていた紙束を彼女の前へ差し出す。

それは掲示板の投稿ログ、接続記録、User-Agent、時刻表記――すべてが時系列順に印字された資料だった。

最上部には、正式な取得申請の証明書。川澄先生の印が押されたコピーがホチキス留めされている。


「証拠ならある。君が投稿した内容の一覧。氷室さんだけじゃない。他の生徒たちへの陰湿な書き込みも含まれている」

「読めば、自分が書いたものだとわかるはずだ」


桐生の目が見開かれ、頬がみるみる赤く染まっていく。

一瞬で感情が暴発する。


「ふざけんなッ!!」


紙束を引きちぎるように奪い取り、その場でビリビリと引き裂いて空中に放り投げた。

風が吹き抜け、無数の紙片が屋上に舞い落ちていく。


「なに!? 勝手にログを盗み見たの? それって犯罪じゃないの!? いいわ、

今すぐ言ってやる。あんたが捏造して、私を陥れたって!」


玲奈が小さく息を呑み、一歩だけ後退する。

だが僕は動じず、冷静に返した。


「これは正規の手続きで取得した情報だよ。先生も確認済みで学校の許可を得て取得したデータだ」

「それに、ログの整合性はシステムを知っている者なら簡単に確認できる。……証拠としての信頼性は、十分ある」


「ふざけんなよ……っ、こんなの、くそっ、くそっ――!」


彼女の呼吸が乱れはじめる。

両肩が上下し、押し殺した声が怒りの形で弾ける。


「皐月……。 ど、どうしてこんな事をしたの? 私、あなたに何かしたかしら……」


「……なにか? あんたがいけないんだよ! 玲奈が! なんで、なんであんたばっかり!」


それはもう、取り繕いようのない“本音”だった。


「去年は演劇部の部長がパンフレットの表紙だったのに、今年は私の番だった。準備だってしてたのに……あんたが全部持ってった」


玲奈の目がわずかに揺れる。

けれど口元は、怒りも反論も浮かべてはいなかった。

ただ、寂しそうに目を伏せるだけだった。


「それだけじゃない! 佐藤くんも……あんたばっかり見てた。話したこともないくせに、なんで……なんであんたばっかり……!」


声が震えていた。

怒鳴り声の奥には、悔しさと惨めさと、幼い嫉妬が入り混じっていた。


僕は深く息を吐いた。そして、最後の言葉を投げかける。


「きみが今、反省して、それ以上誰かを傷つけないと約束してくれるなら……この件は、学校には報告しないつもりだ」


桐生は唇を噛み、睨み返す。

だが、その瞳に“謝罪”の色はなかった。


「こちらとしても事を荒立てたくはない。それに、君が氷室さんをこれ以上傷つけるようなことがあれば――これを使わせてもらう」


そう言って、僕は制服のポケットから小型のボイスレコーダーを取り出した。

ごく自然な所作だったが、それを見た桐生の瞳が揺れる。


「……録音、してたの……?」


声が掠れる。

その瞬間、彼女の顔が歪み、張り詰めた感情が一気に爆発した。


「最低ッ……!!」


咆哮とともに僕に飛びかかり、頬をはたきレコーダーを強引に奪い取る。

そして、ためらうことなく地面に叩きつけた。


パキンッ! という高く乾いた音。

黒い樹脂の破片が、夕日に照らされて飛び散る。


しばしの静寂。

桐生は肩で息を荒げ、勝ち誇ったように口角を上げた。


「はっ、これでもう終わりね。証拠なんて、全部パー! ざまぁ見ろっての!!」


だがその声に、別の声が静かに重なる。


「おいおい、それ、俺のだぞ、ちゃんと弁償してくれよな……」


屋上の消火設備の陰から、榊が姿を現す。

手にはスマートフォン。画面の向こう側、こちらにレンズが向いている。


「録音は破壊されたけど、さっきの全部、動画に撮ってある。紙を破ったとこも、悠真に暴行を行ったとこも」


桐生は言葉を失い、青ざめた顔でよろける。


「ついでに、“あんたが悪い”って自白してたとこもバッチリ撮れているぞ」


視線が玲奈に向けられるが、彼女の目はまっすぐで、優しいが、逃がさない。


「……なんで……うあああぁぁ……」


呟きのような声。

玲奈は悲しそうに、けれど優しく、問いかけた。


「……皐月……もうやめて」


桐生の表情に浮かぶのは、恐怖でも怒りでもない――

完全な“敗北”の色だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ