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23 匿名から、実名へ

火曜の朝。昇降口のベンチに腰を下ろし、スマホの画面をぼんやりと見つめていた。

本来なら、今日は星乃さんとの定例相談日――けれど、それどころじゃなくなってしまった。


【申し訳ない、今日は急な用事が入ってしまった。来週にリスケさせてほしい】


送信ボタンを押すと、間もなく返信が届く。


【えぇ〜、新しい変装まで用意してたのに。どうしたの、何かトラブル?】


僕は数秒だけ迷ってから、率直に返すことにした。


【トラブルと言ってもそこまで大げさなことではないよ。気にかけてくれてありがとう】


すぐに返信が返ってくる。


【もし困ったら気軽に言ってね。全力で力になるから☆】


その一文に、ふっと肩の力が抜けた。

彼女の言葉に勇気づけられ、僕は今日やるべきことに意識を集中させる。


—————-


――放課後、情報管理室。


コンピュータ室の奥、教職員専用の機材管理エリア。

扉をノックすると、ガタガタと何かを動かす音がし、直後に女性の声が響いた。


「開いてるわよー、入ってー」


中に入ると、薄いグレーのジャケットを羽織った教師――川澄 真希先生が椅子を回転させてこちらを振り向いた。

彼女はこの学園の情報科担当であり、校内システムの管理者でもある人物。三台のモニターの前に座り、片手には紙コップのコーヒー。視線は忙しなくスクリーンを往復しながらも、表情には余裕がある。


「おー? 悠真じゃん。今日は何? 手伝いに来てくれたの?」


いつもの軽口だ。

川澄先生とは1年時の選抜ITプロジェクトで知り合って以来、なにかと目をかけてもらっている。

以来、僕が校内システムの不具合修正を任されたこともあり、いわば“準・公式アシスタント”のようなポジションに落ち着いている。


「いえ、ちょっと掲示板の件で……StuPlaのほう、見ていただけますか?」


「StuPla? ああ、あのクソシステムに問題?」


川澄先生はクルクルとマウスを回して、モニターを切り替える。

「StuPla(Student Platform)」――学園内専用SNSの略称。掲示板、連絡網、選択授業の提出、クラブ活動の告知まで多用途に使われている。便利ではあるが、設計思想が甘く、自由に投稿できるせいで、時折プチ炎上が起きる温床でもある。


「えぇ、実はちょっとした炎上が起きてまして」


「炎上ねぇ。とはいえ、あそこが荒れるのは定期イベントみたいなものだからさ。いちいち目くじら立てるのもなぁ」


「でも今回は、明らかに誰かが自演で炎上を煽っておりまして。誹謗中傷といえるコメントもありますし、悪質なやり方です。続けば学園にも影響が出るかもしれません」


僕の言葉に、川澄先生は口をすぼめて、やれやれと肩をすくめた。


「……まぁ君がそこまで言うなら。よし、ちょっと確認してみようか」


数秒後、画面にはStuPlaの管理者ログイン画面が表示される。

先生はパスワードを手早く入力し、掲示板のスレッド一覧を呼び出した。


「あー……ひどいわね、こりゃ」


「改行パターンも句読点も類似しており、一人か二人の自作自演と見ています」


先生はカチャカチャとキーボードを叩きつつ、ぼやくように呟く。


「……本当はね、投稿にアカウント名を紐づける設計にすればよかったんだけど、個人情報の扱いが面倒って管理職に止められて、結局このザル仕様になったのよ。バカでしょ?」


「先生がザル設計だって言っちゃうんですか」


「ザルはザルって認めないと改善もできないでしょー?」


手を止めた川澄先生が、椅子を回して僕のほうを見た。


「悠真、見るのは構わないし、あなたなら扱えるのも知ってる。でも一応、ログ取得は申請書出しておいてよ? 後で問題になると面倒だから」


「分かってます。ちゃんと提出します」


「それでよし。じゃ、私は今から月報のまとめで忙しいから、勝手にやっといて~。サーバーは隣の端末から繋げるようにしといたから」


言い終えると先生は再び自席に戻り、膝に乗せたタブレットで何かを始めた。

僕は促されるままに、隣の席に座り、サーバールームのメイン端末を操作する。


まずはWi-Fi接続ログ。

校内ネットワークに接続されたすべての端末のMACアドレス、接続開始・終了時刻、アクセスしたルーターのSSIDと設置場所が一覧表示される。


その中に、一つ目立つ端末があった。


MACアドレス:AC:DE:48:00:11:79

この端末は、6月7日(月)の16:29〜16:45、17:03〜17:15、17:22〜18:06の3回、教室棟3F東側のAPに接続されていた。


次に、掲示板システムのPOSTログへとアクセス。

投稿ごとにタイムスタンプ、送信元IP、User-Agentが記録されており、管理者権限でのみ閲覧が可能だ。


ある連続した投稿群が目に留まる。


User-Agent:Mozilla/5.0 (Linux; Android 11; Pixel 5 Build/RQ3A.210905.001; wv)

IPアドレス:192.168.8.172

投稿時刻:16:17:03、16:18:26、16:20:02、16:22:17、16:24:44


いずれも約2分間隔。

しかも全てが同一のIPからの送信で、User-Agentも同じ。


さらに23:03〜01:45の間に書き込まれた約40件の投稿のうち、37件がIPアドレス:10.0.2.59。

こちらは携帯キャリア、恐らくdocomo系の回線から直接投稿されていた。

しかしUser-Agentは昼間と同一で、端末が同一であることが裏付けられる。


MACアドレス、IPアドレス、User-Agent、そして投稿時刻――。

これだけ符号が揃えば、もはや「偶然」では済まされない。投稿者の特定は、現実的だ。


しかも、それらの投稿は内容や語彙、句読点、改行パターンまで酷似していた。

頻出する単語としては、「氷女」と「氷像」など。

それらが含まれる投稿の共通点は多い。

botの荒らしなどではなく、“人力で行われた自作自演”だった。


「……これだけあれば十分か」


ログ抽出ツールのウィンドウを閉じながら、僕は印刷ボタンを押す。

レーザープリンタの排紙トレイに、Wi-Fi接続ログと掲示板投稿ログの束が滑り出す音が響く。

タイムスタンプと端末識別情報の並ぶ紙面を手に取り、事務用のテンプレートを開く。


取得理由と対象ログの範囲を明記し、印字した紙をまとめてホチキスで留めた。

サイドデスクにコーヒーカップを置いたまま椅子に背を預けていた川澄先生に近づき、軽く書類を掲げる。


「先生、署名と押印、お願いできますか」


「あいよ」


川澄真希先生は、面倒くさそうに肩をすくめつつも慣れた手つきでシャチハタを取り出し、ペンでサインを入れる。


「それにしても、本当、あんたはこういうことになると動きが早いわねぇ」


コーヒーを啜りながら小さく笑う。


「手遅れになってからじゃ遅いですから」


僕は手元の書類を整えながら短く答える。──でも、まだ一つだけ、足りていないものがある。


「先生。もう一点、お願いがあるんですけど」


僕は言葉を切り、真剣な表情で川澄先生を見た。


「……このMACアドレスの登録者、確認させてもらえませんか」


そう言って、印刷されたログの1枚を差し出す。

そこには、問題のMACアドレス《AC:DE:48:00:11:79》と、Wi-Fi接続時刻、アクセスポイントの情報が記載されている。


「ふぅん。……まぁ、今回のは名誉毀損の可能性も高いからいいけど。個人情報の扱いは気をつけてよね」


川澄先生は少し眉をひそめつつも、承諾するように頷き、モニターの前に向き直った。

キーボードを軽快に叩き、認証サーバーの管理ツールを起動。

検索バーにMACアドレスを入力し、数秒後、該当する端末情報がモニターに浮かび上がった。


登録端末情報

MACアドレス:AC:DE:48:00:11:79

登録者氏名:桐生 皐月

所属クラス:2年C組

登録日:2024年4月12日 09:17

端末名:Pixel5_Satsuki


その名前を見た瞬間、僕の中で点と点が繋がる。


「……桐生 皐月」


思わず名前を口にする。

それはつい昨日、昼休みに見かけた演劇部の生徒。

それ以前にも氷室さんと並んで笑っていた、けれど――あの最後の横顔。

柔らかさの奥に、確かに“刃”が潜んでいた。


彼女が──あれだけの投稿を?

信じられない、というより、どこか納得するような重たい感情が胸に落ちる。

あの視線。あの微笑みの裏にあった、淡くも確かな敵意。


「……とにかく、これで準備は整った」


僕はゆっくりと息を吸い、書類の束と登録情報を鞄に収めた。

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