21 静かな照準
その日の夜──部屋の灯りを落とし、ベッドに体を沈めたままノートPCを開いた。黒い画面に、学園専用ポータル〈StuPla〉のログイン画面が静かに浮かび上がる。
StuPla(Student Plaza)は、授業資料や課題提出、部活動の連絡、掲示板などを統合した学園内ポータルだ。
ログインには校内IDとパスワード、さらに毎回変わる6桁のワンタイムコード(TOTP)が必要になる。
【 User ID:kagazaki.y10 】
【 Password:•••••••• 】
【 TOTP Code:920 314 】
画面右上の緑色インジケータが “Access Log REC ON” に変わると、ダッシュボードのモジュール一覧が展開される。
〈授業資料〉〈課題提出〉〈進路ガイド〉――その末尾のタブ〈StuPla Board〉をクリック。
掲示板カテゴリ「全学年共通 → 雑談一般」とページを移動していく。上部に並んだスレッド一覧には氷室さんに関するものが数多く並んでいた。
《氷像》《氷点下スマイル》《学校の恥》──
どれも悪意に満ちたスレッドタイトルだった。
「……ひどいな」
思わず口に出てしまう。
深夜帯にもかかわらず投稿数が異様に多い。
StuPlaの掲示板はID非表示・時刻のみが表面に残る仕様のため、表向きは完全匿名――そこが“言いたい放題”の温床にもなっている。
――自演か。しかも執拗だ。
罵倒のバリエーションは多いが、共通して句読点の打ち方や改行ピッチがほぼ同じ。投稿も約三十秒刻み、語尾のバリエーションも類似するものが多い。
「学内掲示板が荒れたくらいで大事故は起きない。けれど……」
脳裏によぎるのは、あの無表情の奥に一瞬だけ見えた“照れ”や“戸惑い”だ。
氷室玲奈は案外、繊細だ。土日のあいだに、この罵詈雑言を目にしないで済むといいが。
僕はスクロールを止め、ブラウザの開発者ツールでレス抽出条件を入力した。
〈time 帯=23:30–01:30〉〈句点=全角。〉〈末尾=w+〉
抽出ヒット 72 件――投稿の九割が、同一フォーマットで書かれている。
タッチパッドの上で指が止まる。
“誰か一人”による執拗な粘着。使われている誹謗語も、言い回しも、投稿間隔すら――同一人物の痕跡をにじませていた。
狙いは氷室のイメージ失墜?パンフレット撮影が目前で、表紙モデルに選ばれたタイミングを狙ったのだろうか。
僕はしばし画面を見つめたまま動けなかった。罵声がテキストであることに、何の救いもないことを初めて実感する。
多少の炎上ならすぐに鎮火するが、この手の粘着は尾を引く場合もあるなーー
————-
休日明けの月曜日。彼女がわずかに影を落としているのがわかった。
ホームルーム前、席に着くと彼女は胸ポケットのペンを回すいつもの癖すら忘れている。ノートの罫線をなぞる指先も硬いようだ。
声をかけようか迷ったが、教室で僕が話しかけるのは不自然だろう。次の水曜日にまた相談の予定があるし、そのときにでも話してみようかな。
そんな事を考えながら休憩時間の人気のない屋外ベンチに腰を下ろす。
タブレットを開き、改めて掲示板ログをスクロール。深夜時間帯、約三十秒刻みのアンチ投稿群。語尾の「w」「‼」の数、文頭の接続詞……。
「コピペでもボットでもない。完全に手動で連投してるな」
ほぼ一人。それでも三十分あれば十分な“群衆”を演出できる。ネット炎上の常套手段だ。
ふと、芝生を隔てた通路に制服の一団が現れた。演劇部の二年生――衣装袋を抱えた桐生皐月の姿がある。
「やっぱり代表は、氷室さんじゃない方がよかったんじゃない?」
桐生はスマホをのぞき込みながら、隣の部員に囁く。声量は抑えているが、風に乗って断片が届く。
「あの無表情で表紙ってどうなの? 学校イメージ下げるだけだと思わない?」
友人たちは曖昧に笑い、同調とも否定ともつかない相槌を打つ。
――先週の休み時間に廊下で見た「柔らかい親友モード」の皐月とは、別人のような舌鋒。
僕は視線を伏せ、彼女たちが角を曲がるまでじっと耳を澄ませた。
休憩時間空けに教室に戻ると、玲奈はチラとこちらを見たが、すぐ視線を落とす。
普段なら目線だけで挨拶を交わすのに、今日はそれもない。
胸ポケットのスマホが震えた。ほたるからのスタンプ付き雑談。だが、先に送るべき相手は別だ。
──氷室さん、今日の放課後、時間とれる?
送信してすぐに短い返事が返る。
──大丈夫。放課後、いつもの場所で。
午後のチャイムが鳴り終わるまで、僕は授業内容がほとんど頭に入らなかった。
黒板に並ぶ数式より、深夜の掲示板に刻まれた罵声のほうが、ずっと脳裏にこびりついている。
放課後になれば彼女に直接確認できる。だが“ただ大丈夫か”と訊くだけでは足りない。
僕の役目は「相談を受ける」こと以上に、「論理で問題を切り分け、解決策を示す」ことなのだから。
ペンケースを閉じ、席を立つ。
机の奥にしまったタブレットには、投稿時刻のリストと文体パターンがびっしり並んでいた。




