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02 空き教室での二十分

 終業チャイムが余韻を引くころ、教室内はすでに“部活モード”の雑踏で満ちていた。

 それでも席を立たずに息を整えるのは、胸ポケットの水色付せんに〈今日の放課後、二十分ほどお時間いただけますか――氷室〉とだけ残されていたからだ。場所も細かい時刻も書かれていない。ならば僕から動くしかない──そう決めて、クラスから人がいなくなるのを待った。

 十分後。

 廊下に残る足音がまばらになったのを見計らい、僕は同じ列の一番後ろ──氷室玲奈の席へ歩み寄る。彼女は教科書を揃え終えたところで、真っ直ぐにこちらへ視線を向けた。灰色の瞳はやはり温度計の針を持たない。


「氷室さん」


「ええ」首だけで頷く。


 声量は小さいのに語調は極めて明確だ。


「要件は――」


「あなたの相談室で」


 静かに返された言葉に驚く。僕が空き教室を“相談室”としているのは知る人ぞ知る裏設定のはずだが、どうやって情報を掴んだのか。尋ねる暇もなく、彼女は先に歩き出していた。


 旧視聴覚室だった空き教室は、窓の外が夕焼けに変わる時間になると柔らかな橙色で満たされる。

 僕がドアを閉めると、足音は吸音材に沈み、部活の掛け声も遠い。室内は折りたたみテーブルが一つと椅子が二脚、壁際にホワイトボードが立てかけられているだけ。


「……人目がなくて、静かすぎない。理想的ね」


「えっと、それじゃあ話を聞かせてくれるかな?」


 氷室は椅子に腰を下ろすと、肩かけ鞄を膝に置いたまま背筋をのばした。夕陽が差し込む窓越しに、その黒髪がわずかに朱を帯びる。


「実は――友人の恋について相談があって」


 第一声から本題。語尾に迷いがないところが彼女らしい。


「友人?」


「ええ、私の親友よ」氷室は淡々と答える。

「でも、彼女の名前は秘密にさせて。本人の名を出すのは避けたいの」


 男嫌いで有名な氷室玲奈が持ち込む依頼――なるほど、当人の恋ではなく“友人のため”か。腑に落ちる。


「了解。匿名のままでアドバイスは可能だけど、状況を掴むために最低限の情報は欲しい。彼女の傾向とか」


「ええ、もちろん、個人を特定しない範囲なら何でも答えるわ」


 氷室はそこで言葉を切り、テーブル上のホワイトボードマーカーを指で押し転がす。


「彼女、『理系の人とどうやって関係を深めていけばいいのか』って困っているの」


 理系――どう考えても僕の属性だ。


「加賀崎くんなら、具体案を出せるでしょう? どんなデートを好むのかとか」


「なるほど、じゃあデート案について考えてみようか」


 僕はホワイトボードに《理系男子が好む初回デート案》と書き、思いつくまま三つ並べた。

 ① 静かなカフェでSF・ガジェット談義可

 ② 科学館・プラネタリウム

 ③ 図書館+テラス休憩


 氷室は目だけを動かして順番を追う。


「……想像より穏やかな場所ばかりなのね」


「刺激が強いと説明欲が暴走する危険があってね」


「つまり、加賀崎くんが説明欲を爆発させるのはもっと刺激的な場所?」


 口角がごくわずかに上がる。からかい半分のニュアンスが滲んで、僕は苦笑した。


「あぁ、例えば新作ロボット展とか、最新CPUの発表イベントとか……そこだと僕は語りすぎるかも」


「ふふ、なるほど。――彼女は、そういう説明を聞くのも好きみたいだからそれも勧めてみるわ」


 軽くペンを走らせメモを取ると、氷室は視線を戻した。


「え、えっと、あともう一つ聞きたいことがあって……」


 彼女はスマホを取り出し、画面を僕へ向ける。ピンクのウサギが跳ねるLINEスタンプのプレビュー。


「LINEの添削もお願いしたいの。どんなスタンプなら――あなたみたいな人に悪い印象を与えないか検証したくて」


「“僕みたいな人”か……主観要素が強いから参考程度になるけど?」


「それで十分よ。あなたの主観が欲しいの」と返すと彼女は友だち登録用のQRコードを表示した。


(――氷姫の連絡先か……。あれだけ多くの男子が望んでも誰ひとり交換できなかった連絡先が、こうもあっさりと……)


 僕が遠慮がちに読み取ると、交換完了のポップアップが表示される。

 彼女の指が一瞬だけ震えたが、表情は崩れない。


 ──ピコン。


 さっそくウサギのスタンプとメッセージが届く。


【登録できたわ。ありがとう。】


 返信欄に【OK。印象良好】と打ち送信すると、すぐに既読が付く。わずかな高揚感が胸をくすぐった。

 氷室の方へ視線を上げると――灰色の瞳がかすかに弧を描き、唇の端が一瞬だけ柔らかく持ち上がった。 ……気の所為、だろうか。表情はすぐにいつもの無彩色へ戻る。

 氷室はスマホを伏せ、残り時間を確認するように壁掛け時計へ目をやった。


「……お願いがあるの」


「うん」


「一度では終わらない相談だから――毎週二十分だけ時間をもらえる?」


「もちろん構わないよ。来週も今日と同じ水曜日の放課後でいい?」


「ええ。その方がスケジュールを組みやすいわ」


 あくまで効率重視。だが定例化という甘い響きはたしかに残る。


「じゃあ、来週もこの部屋で待っているよ」


「嬉しいわ。……本当にありがとう、加賀崎くん」


 灰色の瞳が夕陽を映し、わずかに温度を宿す。

 角度にすれば数ミリの変化。でも“氷姫”と呼ばれる彼女が見せた、数少ない緩和の兆しだった。

 時計の針が十九分三十秒を刻む。


「じゃあ、また来週ね」


「うん、また来週」


 短い挨拶が交差し、ドアが静かに閉まる。

 残された空き教室に、交換したばかりの通知音が小さく鳴った。

 ウサギスタンプの第二弾――今度はウインクをしている。明るい夕焼けが、画面を橙色に照らした。

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