18 写真撮影
午後の授業を終え、僕はいつものように「相談室」と化した旧視聴覚室にいた。小さな机の上に過去のDr.Luv名義で手がけた資料を広げながら、次の相談に備えて内容を整理する。けれど今日の相談者は、いつもの“友人の恋愛”についてではない。
コンコンというノックの音が廊下から聞こえ、ドアが静かに開く。
玲奈が、時間ぴったりに現れた。
グレーのカーディガンに、白いブラウスの襟元をきちんと整えた制服姿。きちんと結ばれたリボンの赤が、凛とした雰囲気を引き立てている。スカートの裾が歩みに合わせてふわりと揺れ、長いまつげの影が頬に映る。
「お待たせ。改めて……」
「うん」
「今日は、“友人”の相談ではなくて――“私”の相談に乗ってほしいの」
その一言に、少しだけ空気が変わった。玲奈の言葉の端にかすかに揺れがある。けれどそれを隠すように、すぐに話を続けた。
「実は……来年度のパンフレットの件。写真を撮ることになったのだけれど……」
「今朝の発表のやつだね。氷室さんなら、問題はなさそうに思えるけど。中学の頃から生徒会長だったし、写真を撮られる機会も多かったはず」
「……ええ、でも」
玲奈は視線を少しだけ落とした。
「どうしても、笑顔が硬くなるの」
その呟きには、普段の彼女からは想像できないような、わずかな弱さがにじんでいた。完璧な優等生。非の打ち所のない“氷姫”。でもその仮面の下では、ちゃんと迷ったり、緊張したりする。
「なるほど……笑顔の作り方、か」
僕は頷いてから、机の隅に置いていたメモパッドを手に取る。
「写真の印象ってのは、まず目線と口角、それから顎の角度。上手く見える人って、自然にそれを使いこなしてる。例えば、顎は少し引き気味のほうがカメラ映えするし、笑顔は口だけじゃなくて目でも作る。笑ってるように見せたいなら、頬の筋肉を意識的に上げるといい。あと、瞬きの直後は表情が和らぐから、撮影のタイミングとしては狙い目」
「詳しいのね……」
玲奈が静かに感嘆する。
「まぁ、見た目をよくするってのは恋愛コンサルでも大事だからな。SNSアイコンの選び方や、写真の添削なんかもするし」
そう言いながら、僕はカバンから折りたたみ式の三脚とスマホを取り出した。
「実際に撮ってみるか?」
玲奈は一瞬だけ目を見開いたあと、ゆっくりと頷いた。
「お願いするわ」
スマホをセットし、撮影アプリを起動する。無地の壁を背景に、彼女がすっと立つ。その姿は、まるで小さな撮影スタジオのような空気を纏っていた。
「じゃあ、まずは普通に立って……肩の力を抜いて、目線は少しだけ下からカメラを見る感じで。そう、そんな感じ」
数枚シャッターを切ると、僕はモニターを見てふと口元が緩んだ。
「……やっぱり、綺麗だな」
その言葉に、玲奈の肩がピクリと揺れた。
「えっ……?」
「いや、本当に。クールで整ってて、それだけでも十分魅力的だけど……さっきの、ほんの少し口角が上がった瞬間の表情。あれは……すごくよかった。自然で、柔らかくて、見た人の印象に残る」
玲奈は一瞬言葉を失い、それからふっと表情を崩した。
照れ隠しのように目を細め、けれどその頬は淡く色づいていた。
「……そんなに褒められると、逆に恥ずかしいわ」
「褒める価値があるから言ってるんだよ」
僕の言葉に、玲奈は息をつくように笑った。
その微笑みは、彼女が“作った”ものではなく、自然にこぼれたものだった。
「……今の笑顔、すごくいいよ」
「え?」
「今の氷室さんなら、パンフレットの表紙だって堂々と飾れる。むしろ、飾るべきだと思う」
玲奈は、しばし僕の目を見つめ――そして、小さく頷いた。
その頷きは、まるで照明に照らされて浮かび上がる一輪の花のように、静かで確かなものだった。
撮影練習は、数分もしないうちに終わった。
けれど、その短い時間の中で、僕は彼女の“素顔”にほんの少しだけ触れたような気がしていた。
部屋を出る直前、玲奈がふと立ち止まり、振り返る。
「ありがとう。……今日の相談、本当に来てよかった」
そう呟いた彼女の表情は、朝の“氷姫”とは別人のようにやわらかかった。
そして僕はその笑顔を、カメラよりも深く心に焼きつけていた。




