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17 学生代表

「来年度パンフレットの学生代表モデルは――氷室玲奈」


それは、ホームルームの雑談のような空気の中で、担任がさらりと読み上げた一文だった。拍手も歓声も起こらなかったが、それは驚きがなかったからに他ならない。


「やっぱ氷室さんか」

「そりゃそうだよな」


教室のあちこちで、納得と称賛の混ざった声が小さく飛び交う。


「氷室さん美人だし、クールでかっこいいし映えそう」

「合法的に氷姫の写真が入手できるってこと?」

「パンフレット絶対もらいに行くわ。部屋に飾る」


否定の声は一切なかった。男子は「いやあれはすげーわ」と頭をかきながら素直に感心し、女子は「ポージングうまそう」「肌とか完璧だよね」と、どこか誇らしげに話している。嫉妬や皮肉のようなものも、今のところ見当たらない。


まるで“我らが氷室さん”とでも言うかのように、彼女の選出を自分たちの誇りとして受け入れている空気が教室全体に広がっていた。


僕もつられて視線を送ると、玲奈は一番後ろの窓際で静かにノートに日付を書き込んでいた。教卓の方を見るでもなく、周囲のざわつきに反応するでもなく、ただ淡々と“いつものように”過ごしている。


それでも、一瞬だけ視線が微かに浮かんだ気がした。まぶたの奥にかすかな温度が宿って、それがすぐに平常へと戻る。


彼女は感情を表に出すのが得意ではない。でも、そういうところが逆にクラスメイトの“信頼”に繋がっているのかもしれない。感情に流されず、いつも落ち着いていて、何を任せても冷静にこなす。


しかも、それがわざとらしくもなければ、他人を見下す雰囲気でもない。氷室玲奈はただ、“完璧すぎるほどに自然体”なのだ。


特別うれしそうでも、緊張している様子でもない。ただの一呼吸。その“静けさ”こそが、彼女の日常の一部なのだろう。


僕はそう解釈したし、たぶんクラス全員も――同じように受け取っていた。



その日の昼休み、水槽コーナーの曲がり角で“たまたま”玲奈と鉢合わせた。視界の端、ガラスに反射した光の筋の中で、黒髪が淡く輝いていた。蛍光灯に照らされた髪はまるで夜明けの空気のように澄んでいて、振り返った彼女の輪郭を少しだけ柔らかく見せていた。


「あぁ、氷室さん」


僕が声をかけると、玲奈は一瞬目を見開いたのち、小さく微笑みを添えて首を傾ける。


「……偶然ね」


その言葉はまるで、予定調和を自然に見せかけようとする演技のようにも聞こえた。けれど声色に嘘っぽさはなく、ただ少しだけ息遣いが緩やかだった。言葉を交わすたびに、彼女との距離が確かに縮まっていることを実感する。


視線が合い、そこにほんの少しだけ沈黙が生まれた。廊下を行き交う生徒のざわめきとは別世界のように、僕たちだけの空気が一瞬だけ凝縮される。


そして――彼女はふいに切り出した。


「あの、今日の放課後、私の相談に乗ってほしいの。……恋愛じゃなくて申し訳ないのだけれど」


その言い方には、申し訳なさよりも、慎重さのほうが勝っていた。まるで“それでもお願いしていい?”と訊ねているような響き。


「恋愛以外で? 僕にできることなら、もちろん構わないけど」


「ありがとう。じゃあ、放課後、あなたの相談室で」


玲奈はそこで一度視線を落とし、ゆっくりと会釈をした。流れるような身のこなしの中に、彼女らしい礼儀と静けさがにじむ。


そうして歩き出した彼女の背中を目で追いながら、僕は少しだけ頬が緩んでしまうのを感じていた。


――最近、“偶然”が増えてきた気がする。


玲奈が廊下を通るタイミング、進行方向、出会う場所。偶然を装っているようだがーー、いや、彼女が偶然を装って僕に会いに来ているなんて自意識過剰もいいところだ。


彼女が僕を頼ってくれる、その信頼を損ねないように気を引き締めよう。


ちょうど僕らが曲がり角を抜けようとしたそのときだった。向かい側から制服姿の女生徒が現れた。 


演劇部の衣装カバーを抱えた腕、綺麗に揃えられた前髪、柔らかな笑み。


桐生皐月――その名前は、上級生の間ではよく知られた存在だった。舞台映えする整った顔立ちに、どこか芝居じみた物腰。そのくせ誰とでも分け隔てなく接するせいか、評判も悪くはない。


「玲奈、お昼一緒にどう……あ、ごめんなさい、お話中?」


「いえ、終わったところよ」


玲奈は自然な仕草で答えた。声も態度も変わらず、いつもの氷室玲奈。まるで僕との会話を、空気のように無理なく日常に溶け込ませたような余裕すら感じさせた。


皐月は僕にも軽く会釈し、特に探るような視線もなくそのまま玲奈の横に並ぶ。二人で並んで歩き出すその背中は、一見すれば仲の良い友人同士そのものに見えた。


――だが。


角を曲がる直前、ちらりと振り返った皐月の横顔に、僕の目が止まる。


ほんの一瞬だった。けれど、確かに何かが違った。

口元が、僅かに引きつっていた。あの柔らかい笑みのはずが、どこか作り物のように硬い。瞳の奥に、ほんのわずかな濁り――鋭さと、何か黒い感情のようなものが滲んでいた。


それはすぐに消えた。まるで見られていることに気づいて取り繕ったかのように。


――あれは、何だったんだろう。


警戒するほどではない。けれど、妙な違和感だけが胸に引っかかる。


僕はその場にしばらく立ち止まり、空になった水槽の向こうに、消えていった二人の背中を静かに見送った。

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