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14 デートの余韻と転がるバスケットボール

月曜の朝、教室の窓はまだ薄曇りだった。僕は席に着くなり、氷室から贈られた群青色の星図ノートをそっと机の奥へ滑り込ませる。ページを開けば、あのプラネタリウムで重なった指先の温度まで蘇りそうで、軽々しく見る気になれなかった。


鞄をしまい終える前に、前列の女子グループがひそひそ声を弾ませ始めた。


「ねえ聞いた? 昨日、氷室さんがデートしてたって」

「うそでしょ、氷室さんがデート? 兄弟とかじゃない?」

「違うと思う。 “完全にブルーのペアカラーだった”って。兄妹なら逆に恥ずかしすぎでしょ」


名前は断言されていないものの、“氷室”と“ブルーコーデ”というワードが並ぶだけで心臓が跳ねた。写真でも出回れば校内ニュース確定だ。星乃さんとは別方向に“高嶺”な氷室が男とデート――炎上案件待っなしだ。


(慎重に動かないと。次は絶対、混雑しない場所を考えよう)


そんな対策を脳内にメモしていると、背後からニヤけ声が落ちてきた。


「なぁ、“ブルーコーデ”ってさぁ」


――榊智也。前日の買い物同行者だし、勘づくのも無理はない。


「……何も知らん」


「へぇ?」


榊は肘で僕の肩を小突く。


「ま、うまくいったら報告よろ」


「だからそういうんじゃ――」


「はいはい、お幸せに」


追及はそこまで。いつも通りの茶化しだけ残し、ドリンク片手に去っていく。助かったような、却って気恥ずかしいような複雑な呼吸を整えつつ視線を前方へ送ると、氷室が教卓脇でノートを配布していた。目が合った瞬間、彼女はほとんど口の形だけで小さく「……おはよう」と言った。


誰にも聞こえない無声音。こちらも唇だけ動かして「おはよう」と返す。頬が温まるのを感じているとチャイムが鳴り、数学教師が入ってきた。


————


お昼休み。弁当箱を閉じるか閉じないかのタイミングで、廊下から派手な足音が迫ってくる。


「先輩ーっ! お昼休みよろしくっ♡」


来栖ほたる。その声量で“相談”を切り出すのはやめてほしいが、室温みたいに周囲の目が一気に上がる。僕が指で口チャックのジェスチャーをすると、彼女は悪びれもなく手を合わせた。


「おい、おまえは体育館行くんだろ。ボール拾い作戦で」


「え? 先輩とバスケするんですよ♡」


「……榊の練習の手伝いしに行くんじゃ?」


「違いますっ。 バスケ無知なのにカッコつけて乱入したら“空気読めない子”確定じゃないですか! だからまず、先輩がコーチ♡」


筋が通っているような、いないような――けれど彼女の瞳は本気だ。押し切られる形で僕は体育館裏へ連行された。


ストック用のオレンジボールをひとつ借り、朽ちかけの簡易ゴールへ向かう。昼休みの旧体育館は薄い埃が漂うだけで、ほたると僕以外に誰もいない。


「まず構え。ボールはみぞおちの前。肘はリングに向けて、膝はバネみたいに軽く曲げて——」


「りょーかいっ♡」


ほたるは言われる前にぴょんと跳び、漫画みたいにまっすぐ腕を突き上げた。が、手首の角度がブレーキをかけたようにボールの回転は失速。オーバー気味の虹を描いてリングのはるか手前で落下、ポコッと僕の額にヒットした。


「いったぁ……!」


「当たっちゃった!? 先輩の頭どら焼きみたいな音した!」


「どら焼きは柔らかい想定なのか硬い想定なのか、どっちだ……」


彼女はあわててボールを拾い、僕の額を両手でマッサージしようと詰め寄る。ツインテールがフワッと跳ね、シャンプーの甘い香りが鼻腔を擽る。指先が触れる前に「平気平気」と笑って手を制すと、ほたるはほっと胸を撫で下ろし——


「でも赤くなってるかも!」


「大丈夫。追加ダメージさえ来なければ脳細胞は守られる」


「よかった~。脳細胞削ったら相談料金割増にしなきゃだし♡」


「割増されたら逆にショックだからやめてくれ」


さっそく2投目。今度は肘を締めすぎてテニスサーブのように天井にヒット。ボールが戻ってくるのを見上げながら、ほたるは屈託のない笑みを零す。


「先輩との体育館デート♡ 楽しいね!」


「だからデートじゃ——」


ギィ、と金属音。昼練のバスケ部が扉を開いた。真っ先に入ってきたのは榊。バッシュ音と同時に、彼の口角が面白そうに跳ね上がる。


「あれ悠真? ……おお?」


視線がツインテールに移動。


「一年の来栖か? え、付き合ってんの?」


「ち、違う! 勘違いするなよ? 練習相手を頼まれただけだ!」


「えへへ、バスケデートです♡」


ほたるは悪びれもなくピースサイン。

榊は笑いながら、「お前最近いろんな女子に手を出してるようだが、刺されんなよ」と僕の耳元で囁く。ボールカゴを引きながらコート奥へ去っていく背中には、まだニヤけ顔が貼り付いていた。完全な誤解を植えられた。


「ほら、言わんこっちゃない。榊にまで誤解された」


「ほえ……?」


ほたるはきょとんと首を傾げる。


「あぁ、先輩ったら♡ 私とカップル扱いされて嬉しいんですね♡」


「はぁ? ……いや、お前、榊のこと好きなら誤解されたら困るだろ」


榊へ向ける場合と明らかに温度差があるその目線に、僕は半ば確信を持つ。


「え、ええと! そ、そうだよね! わわ、私うっかりしてました~」


慌てて顔を手のひらで仰ぎ、演技過剰なくらい汗を飛ばす仕草。嘘の煙が頭上でくるくる渦を巻いている。


「ほんとこいつは……」


「ま、まぁ、済んだことは気に病んでも仕方ないし! 続き、お願いしますコーチ!」

あっという間に元に戻ったほたるは元気にドリブルしている。


「まぁ、いいか……」


その後も彼女はジャンプ→空振り→自分で爆笑、を繰り返し、リングに届かないボールは無駄に体育館の残響を豊かにした。僕が手本で放ったワンバウンドシュートがやっとネットに吸い込まれると、ほたるは目をキラキラさせて手を叩く。


「先輩のフォーム、超カッコいい! あの肘の角度、10°くらい?」


「いや45°基準だと思うけど、観測値ひどくない?」


「ごめん♡ 角度測るアプリ入れてくる!」


「そんなの測定しなくていいから……」


時計を見ると昼休み終了五分前。汗だくになったほたるはハンカチで頬を拭き、「じゃあ放課後に作戦会議ね♡」とウインクを残して走り去り、体育館のドアを閉めた。


ボールを返却口に戻しながら、僕は天井を見上げてため息をつく。

リングの上を舞う埃がスポットライトに煌めき、昼休みという短い惑星の公転を終えたことを告げていた。

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