婚約破棄の危機
かなりの自信作はあっけなく燃やされてしまったが、プランセロはまったく落ち込んではいなかった。他人事だったとも言う。
「イモダーよ、次は鎧に耐火能力を追加するのだ。しかと命じたぞ。」
「無理ですぞ。」
間髪入れずに拒否される。
「しかと命じ……」
「無理ですぞ。」
食い気味に拒否される。
「……しか……」
「無理ですぞ。」
言い出す前から拒否される。
「無理ですぞ。はっきりと明確な理由がありますぞ。」
王子であるプランセロからしてみれば、家臣どもの無理などという言葉は、ただやる気がないというだけの意味なのだ。叱りつけようかと思ったが、大王たるもの配下の者を許す度量を見せるべきだと思いなおした。
「……許す、申してみよ。」
「研究資金を使い切りましたぞ。」
「資金だと? 我がお小遣いの全額を充てているではないか!」
「王宮に支払いを拒否されましたぞ。殿下のお小遣いは十年分ほど前借りになっているので、これ以上は何も出せないと丁寧にお断りされましたな。」
「なん、だと……?」
第二王子のお小遣いはそれなりに大金だ。なぜそんなに急に使い果たすことになってしまったのか。
「王宮の金銭出納担当の方には、もう何年も前から前借り状態で、いくら言い聞かせても直してもらえない、と愚痴られましたぞ。魔法芋の研究費用もそれなりの金額ですが、それだけが理由ではなさそうですな。」
お小遣いが足りない? そんな些細な理由で終わってしまうのか?
プランセロにとって、それは許されない。
「研究と言っても、ただ畑を耕して芋を植えるだけではないか。なぜそれほどの費用が必要になるのだ。」
もちろんイモダーは協力を始める際にすべて説明していたのだが、「説明済み」などと答えて怒りを買おうとはしない。説明を求められれば説明する、それだけで良いのだ。
「魔法農産物の新種ですからな、魔法で管理された畑を借りて栽培せねばなりませんな。また高価な農薬や肥料なども必要ですな。」
「畑など、キシージに命じてその辺の道端にでも植えさせればタダではないか!」
「管理畑以外に植えるのは犯罪ですぞ。実行犯だけでなく首謀者も間違いなく捕まって、首チョンパの刑に処されますな。」
魔法で生み出された新種植物は未知の能力を持つ場合がある。それが勝手に種を飛ばして広がってしまうと、取り返しのつかない大災害につながってしまう。それを防ぐために研究用の魔法管理畑での栽培が法律で義務付けられているのだ。
「農薬などで百倍速以上で栽培しておりましたからな。うまく畑を隠し通せたとしても、農薬なしでの新種の開発には五十年とか百年とか、それぐらいの期間は必要になりますぞ。」
プランセロは我がままだ。それでもやれ、と命じることはできる。しかし自分の首をかけてまで命じることはできなかった。それに加えて、百年もかかるのでは意味がない。
いや待て、キシージが勝手に思いついてその辺に植えたことにすれば、自分の首は安全ではないだろうか。キシージが勝手に思いついたことなのだから、農薬代も彼のお小遣いでなんとかするだろう。
これは良い思い付きだ。プランセロはさっそくキシージに命じようと思って周囲を見渡したが、その肝心のキシージが見当たらない。
「そういえばキシージはどこに行ったか知っておるか?」
「キシージ殿であれば病室ではないですかな? やけどを負われたのかも知れませんな。」
「やけど? この大事な時に、いったいヤツは何をしておるのだ。」
イモダーはそれには答えず、その場を辞することにした。
仕方ないことだったとはいえ、イモダーにはキシージを見捨ててしまったという思いがないわけではない。しかし冷たいようだが、それを言葉にすることは無い。
実験中の事故であればイモダーの責任であるし対応必須だが、戦闘中のこととなれば一介の研究者であるイモダーには命令権は一切ない。たとえ死に逝く戦士がいたとしても、それに口を挟んではならない。それが鉄則なのだ。
「それでは殿下、また一緒に研究できると良いですな。」
研究費が貰えないのであれば、第二王子の側にいる必要はないし、対応する時間もない。彼の対応は冷たく見えるかもしれないが、研究者として彼は彼自身を守る必要があるのだ。
二人は知らなかったことだが、その時キシージは病室ではなく、王国病院の集中治療室にいた。やけどが思った以上に重症だったのである。
例のコンニャク鎧、誰もまったく想像していなかったのだが、炎には格別に弱く、一度火がつくと水につけてもなかなか消えないという困った性質を持っていたのだ。噴水の中で燃えながら悶える姿を、もしも偶然通りがかった人が見つけていなければ、彼の生命は失われていただろう。
二人が気づかないうちに彼は死にかけたのだ。なぜ二人はそれを知らなかったのだろう。気づかなかったのだろう。そう考えればキシージの結論は早かった。
「これ以上、たとえ一分一秒であっても、殿下に仕えることなど到底できない」
そのことである。
騎士団長は王族の命令には命がけで応じるべし、という考えの持ち主だが、さすがに息子が死にかけのまま放置されたとなれば黙ってはいなかった。
「にょくんふく~んしんふし~ん」
などと意味不明な呪文を唱えながら、配下を引き連れて国王の前に推参して、第二王子討伐を願い出た。
息子が可愛い国王がそれを許すはずがない。騎士団長は憤然とその場を立ち去り、数多くの配下の騎士たちとともに侯爵家に合流してしまった。そもそも息子を焼いたのは侯爵令嬢だったわけだが、それはそれこそ『戦場の慣らい』というものである。騎士団長は、おそらく息子のキシージもそうだが、侯爵令嬢への嫌悪感など一切持ち合わせていなかった。
この事態を受けて宰相も動いた。反国王の立場を鮮明にしたのである。それは自分の息子への感情に左右されての行動ではない。彼の中にあるのは、ただひたすら王国への忠義のみ。たしかに国王は第二王子ほどどうしようもない無能ではないが、第二王子を放置し、その行動を許しているぐらいには無能なのである。
『このままでは王国に未来はない。』
そのことである。
この日、侯爵令嬢マルシェナは、王宮前の広場に集まった民衆の前で一つの宣言を行った。
「私、侯爵令嬢マルシェナと第二王子プランセロとの婚約を、ただ今この場をもって破棄することをここに宣言する!」
国王の許可など取る必要はない。
その考えを鮮明にする宣言であった。




