まだまだ婚約破棄
「殿下もお人が悪い。『女性をおとす』とだけ伺っていましたので美容芋を持ち出しましたが、格闘なら格闘、その防御用の鎧だと最初からおっしゃって頂いておれば、もっと良い魔導芋があったのですぞ。」
芋が大量に入った籠を抱えながらイモダーは陽気に扉を開けて客人を迎え入れた。
ここは学園の研究棟五階にある、魔導芋研究家イモダーの研究室。プランセロとキシージの二人がここを訪問したのは次の作戦を決めるためだ。
見たところ、イモダーは思った以上に元気な様子である。超美容芋の件で寝込むのではないかと心配していたのだが、想像していたよりはるかに復活が早く、あまり落ち込んだ様子がない。
ちょっと不思議に思って尋ねてみたところ「研究に失敗は付き物であるし、失敗のたびに落ち込んでいても仕方ない。さっさと忘れて次に向かうのが研究者という生き物」なのだそうだ。この男の精神は思った以上に強靭なようだ。
「良い魔導芋というのは、それのことか?我には普通の芋のようにしか見えないが。」
プランセロが籠の芋を指さしながら問う。キシージもそれに同意する。本当にただの芋にしか見えない。
「まあ、この手の芋で間違いは無いのですがな。芋のままではなく加工する必要があるのです。内部の繊維を網状にしたうえで自発的に魔法で強化するようにしてやると、ほぼ完全な衝撃吸収体になるのですぞ。」
「つまり、どういうことだ?」
「パンチやキックでダメージでダメージを受けない、打撃を完全無効化する、ということですな。」
「ちょっと待って、それは国家機密に属するような発明ではありませんか?」
キシージは一声だけかけておくことにした。彼が何を言ったとしても、どうせこの王子は止まらないし、止めるつもりもない。責任逃れの一手である。
「将来的にはわかりませんが、今は特に何も言われておりませんな。」
「構わん。我が許す。」
許された。
「準備するので、少々お待ちくだされ。」
イモダーは実験室の奥に引っ込んだ。丁度良いことに加工済みの小片があるということで、すぐにその場で簡単な実験を見せてもらえそうだ。
それほど待つ必要はなく、先ほどとは別の籠を片手にイモダーは戻ってきた。籠の中には卵らしきものが入っている。
「それが芋を加工したものでしょうか?」
「はっはっは、これはただの生卵ですな。加工したものはこちらですぞ。」
彼はもう片方の手に、灰色の板のようなものを持っている。灰色の板には黒い斑点がいくつも浮かんでおり、何やら湿ったような光を帯びていた。
「それは……もしかして……コンニャクですか?」
「もしかしなくてもコンニャクですぞ。」
イモダーは手にしたコンニャクを机の上の頑丈そうな箱に立てかけるようにして置いた。そして生卵を一つ手に取る。
「このコンニャク、衝撃を完全吸収するがゆえに、こうして生卵をぶつけてたとしても……」
生卵を投げつけるイモダー。
すこーん!
なぜか真横に飛び、第二王子の頭をクリーンヒットする生卵。
きれいに割れて中身が垂れ落ちる。
「……うむ、たしかに生卵だな。」
無表情で頭をぬぐう第二王子。
「も、申し訳ございません!もう一度チャンスを!」
再度、生卵を投げつけるイモダー。
すこーん!
先ほどの場所から一ミリもずれずにクリーンヒットする生卵。
きれいに割れて中身が垂れ落ちる。
「……生卵の確認はこれで充分だろう。」
再度、無表情で頭をぬぐう第二王子。
「も、申し訳ございません!もう一度チャンスを!」
再度、生卵を投げつけようとするイモダー。
「待て待て待て、私がやってみよう。」
キシージが割って入った。
このまま第二王子の頭で生卵を割り続けても悪くないのだが、生卵の数にだって限りがあるのだ。
まずは近いところから軽く一投。
シュッ! ぽよん。
生卵は跳ね返るでもなく、割れずにコンニャクの上にとどまっている。コンニャクは生卵を受けて少し凹んだ後、じわじわともとの形に戻っていく。
もう一度やってみよう。遠くから投げる必要はないか。同じ場所から強めに一投。
ヒュッ! ぽよん。
やはり生卵は割れずにコンニャクの上に留まっている。これは不思議な感触だ。
同じ場所から、思いっ切り全力の一投!
ビュッ! ぽよん。
全力をもってしても生卵が割れることはなかった。
「殿下、これは役に立ちそうですね。」
「このコンニャクで全身を覆えば打撃無効になりますな。」
「よし、イモダーよ。キシージ用の全身鎧をすぐに作成せよ。」
「魔導芋の在庫が足りませんぞ。増産には研究費と作業員が必要ですな。」
「研究費には我の小遣いを充てよう。キシージ、貴公は作業を手伝え。」
この日この時、全身鎧はコンニャク兵器『蒟蒻壁』と名付けられ、婚約破棄のために王族予算で開発されることになった。
そしてこの日からしばらくの間、キシージはまるで農奴のようにこき使われ、芋の収穫や植え付けなどの作業に忙殺されることになる。土壌強化や成長促進などの高価な農業魔法をふんだんに使ったため、一週間ほどで収穫まで終了したが、そうでなければキシージは完全に農民になってしまったかもしれない。
収穫後にはコンニャクの製造、鎧への整形に数日を要したが、『蒟蒻壁』は一応の完成を見た。あとは対決を残すのみだ。
いつものごとく侯爵令嬢を放課後の中庭に呼び出す。
現れた侯爵令嬢に相まみえるは、山のようなコンニャクのカタマリ。
「また面妖なものを……。」
彼女は呆れ声をその場に残して、コンニャクの胸元に瞬時に飛び込み正拳を放つ。それはまさに一陣の風。
ぽよ~ん。
「……なん、ですって!?」
すべての物を破壊し尽くすだろうと思われたその拳は、何も吹き飛ばすことなく、こんにゃくに少しめり込むようにして静かに動きを止めていた。
内心では動揺したのかもしれない、しかしそれを面に出すことなく、すぐに切り替えて高回転の連打を放つ。
連打!連打!
ぽよんぽよん
連打!打!打!打!打!打!打!打!打!打!打!打!
ぽよんぽよぽよぽよぽよぽよぽよぽよぽよぽよぽよぽよ
「な、これは、なんという……」
流星群のような連打もまるで受け付けないそのコンニャク山は、まるで不滅の要塞のようだ。
侯爵令嬢マルシェナは、それでも全く臆することなく、それに立ち向かった。
再度の正拳突き!
ぽよ~ん
ふたたび受け止められた拳に、少し口角を上げるマルシェナ。
「奥義、不動拳!」
いったい何が起こったというのだろうか。気合の掛け声とともに、彼女の拳の周囲のコンニャクは粉々に吹き飛ばされたのだ。
倒れ伏すコンニャク山。
静かに立ち去る侯爵令嬢。
その場で聞こえる音は「く、くるしい、息が、、、」と悶えるキシージの声のみであった。