婚約破棄の脅威
その日を境にして、サイショーサは学園に来なくなった。
どうやら父親である王国宰相に自宅謹慎を言い渡されたようだ。彼の持ち出した古い鎧、実は粗大ゴミではなく宰相家の先祖代々の家宝だったそうで、それを勝手に持ち出して傷だらけにしてしまったのだから、罰を受けるのも仕方ないことだろう。
いや正確には、彼自ら自分の罪を告発し、罰されることを願い出たのだ。まさに高潔な精神である。逃げた、ともいう。
この話を聞いたキシージは深く反省した。本来であればサイショーサの仕事は鎧のアイデアを出すところまで。鎧を着て対戦するのはキシージの仕事だったはずだ。自分が鎧で戦うと申し出なかったがためにサイショーサが罰を受けることになったことを遺憾に思う……。
……という内容の反省ではない。そうではなく肉弾戦で負けた時に、それを理由に謹慎と自主停学を申し出るべきだった、いや申し出なければならなかった、そのことである。逃げ損ねた、ともいう。
このときの経験が彼を進退自在の名将に育て上げることになる……などという夢は見ないほうが良い。世間はそれほど甘くないのだ。
それはそれとして、サイショーサが登校しなくなったからといって、第二王子プランセロの奇行は止まらない。
その日の昼休み、キシージはプランセロから、まるでイモのような田舎臭く冴えない顔をした一人の男子生徒を紹介された。
「イモダーと申します。魔法農学部で魔力食材の研究をしております。」
「魔力食材……ですか?」
あまり聞き覚えのない言葉に、キシージは首を傾げた。
キシージは自分が頭の良いほうではないことを自覚している。とはいえ魔法農学やら魔法食材やらが婚約破棄とどう結びつくというのだろう、まったく想像がつかない。
「驚いたようだな。イモダーよ、許す。詳しく語ってやれ。」
「はい、殿下。それではご説明差し上げます。」
こほん、と一つ咳払いをしてから、イモダーは説明を始めた。
「魔法農学とは魔法を利用して農産物の生産性を上げたり改良したりする学問です。魔力食材はそうして生み出された魔力を含んだ食べ物のことです。魔力食材にもいろいろありますが、我々は主に魔導芋を利用した研究を行っています。」
「芋?」
「そうです、芋です。魔導芋は見た目はただの芋なのですが、高い魔力親和性と柔軟な魔性を併せ持ち、多種多様な魔法の起動素体となるだけでなく、魔術触媒としても有益なのです。内部分子構造には護星連動術式への繋がりが認められますので、将来的には非晶流動増幅率をある程度自由に設定できるようになる可能性を秘めています。ただし現在の研究段階では、安定性を得るためには好気術性処理が必要になるため双方向延性が得られておらず、その方向での発展性は限定的なのが痛いところですね。」
「うん、なるほど。」
良くわからないが、彼の魔導芋とやらへの愛情は理解できた。
「それで具体的にはどのような能力があるのでしょうか?」
実際のところ使い物になるのかならないのか、それが重要だ。
「そうですね、これは本当にたまたま偶然生まれたもので、まだ種芋が一つあるだけなのですが……」
イモダーはカバンの中から丸い芋を大事そうに取り出して続ける。
「分析の結果、超低カロリーな上に、老廃物の分解や、毒素、病原菌の吸収などの効果があります。」
「続けてくれ。」
ふむ、やっと意味が分かる単語が出てきたようだ。
「超低カロリーなので非常に高いダイエット効果が期待できます。毛穴の汚れを中から溶かしますので、お肌がぷるんぷるんになります。髪の毛もつやつやです。毎日のお通じも、宿便まできれいにスッキリです。」
「毒や病気については?」
「そちらは、まあ、副次的な効果ですし、重要度はそれほどではありませんよ。」
キシージにも魔導芋の効果そのものは理解できたが、これが侯爵令嬢との婚約破棄にどう影響するのかはわからない。プランセロがウンウンうなずいている様子なので、まあ役に立つのだろう、そう思うことにした。
「この素晴らしい魔導芋さえあれば、もう事を成したも同様である。マルシェナを呼び出せ!」
そして放課後。呼び出しに応じたマルシェナが三人の待つ学園の中庭に現れた。
「よし、頼んだぞイモダー。」
「はい。」
プランセロの呼びかけに、イモダーが魔導芋を手に前に進み出る。
その表情は極度の緊張からだろうか、硬く強張っている。
第二王子殿下が侯爵令嬢を紹介してくださった、このチャンスは確実にものにせねばならない。しっかりとプレゼンして、この芋の価値を認めていただくことができれば、研究費などの援助も受けられるはず。
ぎくしゃくしながら、さらに前に出るイモダー。
相手は高位貴族。こういう場合の礼儀作法はよくわからないが、こちらから声をかけてはいけないと聞いたことがある。おそらくだが、まず自分が頭を下げるべきだろう。
ぎこちなく頭を下げようとした動きが『誘い』となったのか。
その場に、ふわりっと、優しい風が舞ったように感じた。
いつ広がったのだのか、侯爵令嬢のロングスカートがゆったりと縮んでいく様子がイモダーの眼に映った。
「あ、あ……」
声にならない声が漏れる。
イモダーが大事そうに持っていたはずの魔導芋の姿は、跡形もなく消えてなくなっていた、周囲に漂う青く甘い香りを除いて。
茫然自失するイモダーを前にして、キシージの眼は今ここで何が起こったのかをしっかりと捉えていた。侯爵令嬢の中段回し蹴り、目にも止まらぬ早業。
悠然と立ち去る侯爵令嬢を、ただぼんやりと眺めているイモダー。その肩を優しく叩きながら、キシージは声をかけた。
「残念だったな。しかし考えるまでもないが、芋で格闘戦に勝てるはず無いわな。」
突然支えを失ったように、イモダーはその場に倒れ伏した。
もしも……それを語るのは無意味なことである。しかし、もしそれを語ることが許されるのであれば。もしもこの時、王子が侯爵令嬢に「あなたが粉砕したのは超美容芋の唯一の種芋だ」と伝えていたとしたら、一体どうなっていたのであろうか。
彼女を寝込ませるほどに打ち倒すことに成功していたかもしれない。また激昂した乙女によって血の嵐が吹き荒れていたかもしれない。
すべては推測でしかない。
さらりと中庭に自然の風がそよいだ。甘い香りはもう漂わなかった。




