つまり婚約破棄
気がついたとき、第二王子プランセロは自室のベッドの上だった。
学園の食堂で、憎き侯爵令嬢に婚約破棄を宣言したような気がしたが、もしかすると夢だったのだろうか。風邪をひいたのかおでこが痛い。そしてなぜか顎も痛い。
それにしても忌々しい話だ。なぜ王子である自分が、たかが侯爵の娘に遠慮せねばならないのか。王子であるプランセロが命じるならば、貴族だとか平民だとか下々の者どもは、ありがたく従えばそれでよいはず。それが自然というものだ。数分後には忘れ去って違う考えになっているかもしれないが、少なくとも今のプランセロはそう信じ込んでいた。
下々の者どもは自分のように出来が良いわけではないのだな、とプランセロは思う。そういえばあまり良く覚えていないが、思うままに命じるのは良いことだ、そしてたまには許してやるのもまた良いことだ、どこかでそう聞いたような気がしないでもない。
よし、それが良い、そうしてやろう。プランセロは立ち上がると、王宮の庭園に向けて歩き出した。今そこでは母と、かの侯爵令嬢がお茶会を開いているはずだ。侯爵令嬢マルシェナにしっかりと自分の運命を選ばせてやるのだ。
行動力が非常に高いのが彼の美点。そしてそれゆえに迷惑極まりない男であった。
事前情報どおり、庭園の東屋では女王である母と侯爵令嬢であるマルシェナが、お茶を飲みながら何やら話し込んでいた。
「やはり私ごときでは荷が重すぎるといいますか、ほとんど不可能なように思われますわ。」
「いえいえ、あの子はあなたのことが好きすぎて、ちょっと我がままを言ってみたりして甘えているだけなのですよ。」
そこは、なんとか婚約を白紙撤回したい侯爵令嬢と、そうはさせまいと絶望的な戦いを続ける女王陛下との、心温まらないおしゃべりの場であった。
そもそもこの婚約、第二王子本人が「どうしても彼女と結婚したいっ!」と駄々をこねてこねてこねまくり、仕方ないので侯爵に土下座する勢いで頼み込み、必死の思いで成立させたものだというのに、いったい何がどうなって婚約破棄などと言い出すことになったのだろうか。実の母親であっても、まったくもって理解できない。
この婚約を逃せば、おそらく第二王子は結婚できないに違いない。出来の悪い子ほど可愛いという親心もあるのだろうが、それだけではない。第二王子は剣術や行動力など美点も多いのだ。とってつけたような言い訳に聞こえるかもしれないが、蠢動する勢力が全くないとは言いきれない今の国際状況においては、安定した高い戦闘力があるに越したことはないのだ。
たとえ王族であったとしても、独身者に一翼の将を任せることはあり得ない。結婚して妻子を得て、家族を王都に住まわせて、あえて汚い言い方をするならば人質とすることで、初めて責任ある地位を担うことができるのだから。
「やあやあ母上、少々お話がありまして、お邪魔させていただきますよ。」
使用人たちの制止を完全無視して、そんなお茶会に無遠慮に乱入するプランセロ。困った顔をする母たる女王、露骨にいやな顔をする婚約者たる令嬢。それを少しも気に賭けない第二王子。この男、まったく突貫力だけは非常に高い。
「それでは私はこれで失礼させていただきますわね。」
「いや待て、貴様に聞かせたい話だ。」
席を立とうとする令嬢と、それを阻止する王子。仕方なく座りなおす令嬢。
「あの場でいきなり婚約破棄を命じたのは、思いやりというものが足りなかったかもしれないと思ってな。貴様の知能でもわかりやすいように話すべきだったと反省したのだ。」
「あの、いきなり喧嘩を売っておられます?」
侯爵令嬢の瞳の奥に危険な光がともる。少なくとも女王はそれを感じ取った。
「そこで貴様に提案したい。我が多大なる慈悲の心をもって、貴様に婚約を破棄することを許そ、、、、
「この、バカ息子がっ!」
「ぶぺっ!」
第二王子が話終わる前に立ち上がり、スカートを翻しながら跳び膝蹴りをぶちかます女王!
裾を大きく乱さず確実に鳩尾に決める高度な技は、まったきエレガントな所作と言えよう。
白目を剥いて体をくの字に曲げまがら倒れこむ第二王子。
それを白い目でさげすむように眺める侯爵令嬢。
「ええっと、何の話でしたか?」
女王はふわりと再び椅子に座り、何事もなかったかのようににこやかに話を再開するが、それは無理筋というものではなかろうか。
「王子殿下からもこうおっしゃって頂いたことですので、やはりこの婚約は解消……」
「ええっと、何の話でしたか?」
「やはりこの婚約は解……」
「ええっと、何の話でしたか?」
「この婚約は……」
「ええっと、何の話でしたか?」
「……」
「……」
年の離れた二人の美女は、能面のような微笑みを浮かべつつお互いを見つめ合った。
「……」
「……」
さらに見つめあう二人。
「……このお茶の葉は南国産でしょうか、穏やかな香りがいたしますね。」
「ええ、南の海沿いの物です。潮騒がこの香りを育むと聞こえます。」
間合いを外したのは侯爵令嬢だった。母親の狂気に負けたとも言えるが、手を煩わせてしまった以上、今日のところは引くしかなかったのだ。
あのパーティのときに息の根を止めなかったのは失敗だったのかもしれない。病室に運ばれていく第二王子を軽く目で負いながら、マルシェナはふとそう思った。
まだ続くのでしょうか?