そして婚約破棄
第二王子プランセロが退院した。
入院していたのは三日ほどだろうか、死んでさえいなければ回復魔法でなんとでもなるのだ。もちろん費用はそれなりにかかるが王侯貴族であれば問題ない。もしかしたら頭を強く打って、少しはマシになっていたのかもしれないが、それも回復魔法で完全に元通り。つまりバカのままである。いかんともしがたい。
マルシェナを含めて侯爵家の面々からしてみれば、本音を言えばあのタイミングで、確実に息の根を止めておきたかったことだろう。もしかすると王家の面々の本音も。しかしさすがにあの程度で死刑は重すぎる。王侯貴族というものは理性的なのだ。
第二王子が登校してくる……たった数日間ではあったが平和だった学園生活を思い出して、マルシェナはふっとため息をついた。
「キャー、殿下がいらっしゃったわ!」
「キャーキャー」
かしましい黄声がここまで響いてくるとは。マルシェナはもう一度ため息をついた。
プランセロは女生徒たちの人気がそれなりに高い。バカだが、身分が良いし顔も良い。バカではあるが、剣術や馬術、弓術なども得意だ。どうしようもなくバカだが。身分が身分なので、その言動の影響力も極めて大きい。本当に嫌になるほどバカバカしい。
類が友を呼ぶのか、それとも朱に交われば赤というか、墨に近づけば黒なのか。バカな女生徒たちがその周りに集まってくるのだろうか、それともバカがうつってしまうのだろうか。
まあ普通に考えれば放っておくしかないだろう。マルシェナにとっては婚約者のことよりも友人たちとの交遊のほうがはるかに重要なのだ。数字を使って明確に表すならば、友人たち99.999%、婚約者0.000%、その他0.001%と言ったところだろうか。マルシェナは婚約者のことを完全に頭の中から追い出した。そしてその存在を完全に忘れることに成功した。
昼休みになり、食堂で友人たちと昼食を楽しんでいるマルシェナのところに、第二王子プランセロが数名のお供を伴ってやってきた。何か言いたくて言いたくてたまらないことがあるらしい。よせばいいのに。
お供は下級貴族の令嬢たちだろうか、名前は思い出せないが、どこかで見かけたことがあるような気がする。右腕にしがみついている娘と、左腕にしがみついている娘とがいるが、しがみつきと胸のこすりつけは彼らの礼儀作法か何かなのだろう。
「侯爵令嬢マルシェナ、忘れたとは言わせんぞ。過日の貴様の我に対する振る舞いは、決して許すこと能わぬ蛮行である!」
「すみませんが、どちら様でしょうか?」
「なんだと、き、き、貴様!」
激昂させてしまった。
マルシェナとしては煽ったつもりはまるでなかったのだが、左隣に座っていた友人の伯爵令嬢から「第二王子殿下です」と耳打ちされるまで、この男が誰なのか完全に忘れていたのである。
「ああ第二王子殿下?でしたかね、何かお急ぎの御用でしょうか。そうでなければ食事中ですので後にしていただけませんか?」
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなっ!」
「そうよそうよ、その通りよ!」
「キャーキャー!」
激昂して詰め寄る第二王子と下級貴族令嬢たち、飛び散る大量の唾液、そしてそれがマルシェナと友人たちの顔に、髪に、衣服に、料理に降りかかる。
「貴様のような野蛮人との婚約などあり得ん!破棄させて貰うぞ!」
宣言するプランセロ。それに合わせてゆっくり立ち上がるマルシェナ。そして繰り出される目の覚めるようなワン・ツーパンチ!
マルシェナの鋭い左ジャブはプランセルの額にヒット、無理やり上を向かされて上がった顎にきれいに右がヒット、一瞬にして意識を刈り取る。取り巻き下級令嬢たちの息を飲み込む音。
ゆっくり立ち上がるマルシェナの友人たち。彼女たちは皆が皆、能面のように微笑みを浮かべている。そんな中で、左隣の伯爵令嬢が優しそうに口を開いた。
「伯爵家の私だけでなく、マルシェナ様や友人の皆様に唾を吐きかけるとは。あなた方のことはしっかり報告の上で対処いたします。」
「ええ、それがよろしいですね。」
それに同意する上級貴族のご令嬢たち。そして血の気を完全に失った、取り巻きだった下級貴族家の者たち。
後日、下級貴族家の当主たちは侯爵家や伯爵家に謝罪訪問したところ、侯爵家では「伯爵家の許しがなくては」、伯爵家では「侯爵家の許しがなくては」と、たらい回しにされて許しを得ることができず、事件に関わった令嬢たちの貴族籍を剥奪、学園から退学させて修道院に送るまで、許されることはなかった。