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第9話:集落の危機、ゴブリン襲来

エルム村に張り詰めた緊張の糸が、ついに断ち切られたのは、防壁と新兵器の準備がほぼ完了し、村人たちが僅かな安堵と共に、しかし消えぬ不安を抱えて眠りにつこうとしていた、そんな満月の夜だった。


最初は、遠くから聞こえる微かな地響きだった。夜行性の獣か、あるいはただの気のせいか。見張り台に立つ猟師たちが耳を澄ませた、その時。


「……!?」


魔力感知を展開していた俺の感覚が、北東の方角から急速に近づいてくる、おびただしい数の敵性的な魔力反応を捉えた。一つ一つは弱いが、その数は……数百? いや、もっと多い!


「敵襲ッ!! 北東から大群が来るぞ!!」


俺が警告の声を張り上げるのと、見張り台の警鐘がけたたましく鳴り響くのは、ほぼ同時だった。


ゴォォォォ……ン! ゴォォォォ……ン!


静寂を破る鐘の音に、村は一瞬にして叩き起こされた。家々から明かりが灯り、人々が武器を手に飛び出してくる。子供たちの泣き声、女たちの悲鳴、男たちの怒号。平和な村が一転して、戦場へと変わる。


「全員、持ち場につけーっ! 訓練通りだ、慌てるな!」


カイルが、自警団の若者たちに檄を飛ばしながら、防壁へと駆けていく。その顔には緊張の色が濃いが、瞳には強い決意が宿っている。


「レン、アリシア、行くぞ!」


「ああ!」


「うん!」


俺たち三人も、それぞれの武器を手に、防壁へと向かう。俺の腰には魔石の剣、背中には予備の鉄槍。アリシアは弓と矢筒、そして回復薬で膨らんだポーチ。カイルは剣と、ゴードンさんが新しく補強してくれた鋼鉄製の盾を構えている。


防壁の上に駆け上がると、目の前に広がる光景に息を呑んだ。村を囲む松明の明かりの向こう、闇に沈む森の縁から、緑色の濁流がおぞましい雄叫びを上げながら、こちらへと殺到してきていた。ゴブリンだ。……目算でも数百は下らないだろう。その中には、一際大きな体躯を持ち、禍々しい紫色の紋様を浮かび上がらせた強化個体が、数十は混じっている。


「……来たか」


隣に立ったヘクターさんが、弓を引き絞りながら静かに呟いた。彼の顔にも、普段の温和さはなく、歴戦の猟師としての厳しい覚悟が刻まれている。


「レン! 投石機、頼む!」


カイルの声が飛ぶ。俺は頷き、投石機の操作を担当する村人たちに合図を送った。


「第一投、用意! 目標、敵先鋒中央! ……放てっ!」


ゴウンッ! という鈍い音と共に、投石機のアームがしなり、網かごに入れられた複数の【簡易魔力爆弾】が放物線を描いて夜空を飛翔する。


村人たちが固唾を飲んで見守る中、爆弾はゴブリン軍団の先頭集団の真ん中に落下し――


ドゴォォォォォォン!!!


凄まじい轟音と閃光が夜の闇を切り裂く! 衝撃波が防壁まで伝わり、足元が揺れる。爆心地では、数十体のゴブリンが爆風と破片で木っ端微塵に吹き飛び、後続のゴブリンたちも混乱して足を止めた。


「「「おおおおおっ!!!」」」


防壁の上から、大きな歓声が上がる!


「やった! すごい威力だ!」


「これなら、ゴブリンどもなんて!」


村人たちの士気が一気に高まる。その効果は絶大だった。だが、俺は冷静に戦況を見据えていた。


(確かに威力はある。だが、これだけで怯むような相手じゃないはずだ……!)


案の定、混乱は一時的なものだった。後方から響く、甲高い、しかし統率の取れた命令のような叫び声に促され、ゴブリンたちは再び雄叫びを上げて突進を再開した。


「バリスタ隊、強化個体を狙え! 放て!」


ヘクターさんの指示で、防壁上に設置された数基のバリスタが火を噴く。太い矢が唸りを上げて飛び、強化ゴブリンの硬い皮膚を貫こうとするが、中には矢を弾き返す個体もいる。軽量魔力爆弾を装填した矢が命中すれば、爆発でダメージを与えられるが、それでも致命傷には至らないようだ。


「くそっ、硬えな、あいつら!」


バリスタを操作する猟師が悪態をつく。


ゴブリンたちは、味方の屍を乗り越え、ついに堀の前まで到達した。そして、驚くべきことに、後方から運んできたと思われる粗末な丸太や板を使って、堀に橋を架け始めたのだ!


「なっ!? あいつら、橋を……!?」


「知恵があるのか!? いや、誰かに指示されてる!」


カイルが叫ぶ。俺も戦慄した。これは、単なるモンスターの襲撃ではない。明確な知性と戦術を持った敵による「攻城戦」だ。


「堀に近づく奴らを狙え! 投石機、第二投用意!」


俺は指示を出しつつ、自身も剣を抜き、柄の魔石に魔力を込める。刀身が淡い光を帯びた。


「カイル、アリシア、援護する!」


「おう!」


「気をつけて、レン!」


俺は防壁の縁に立ち、堀に群がるゴブリンたちに向けて魔法を放つ。


「【火魔法:ファイアストーム】!」


訓練し上達した火魔法は、以前の火球とは比較にならない広範囲に炎の渦を巻き起こし、堀を渡ろうとするゴブリンたちを焼き払う。


「【土魔法:アースウォール】!」


堀を越え、土塁に取り付こうとするゴブリンたちの前に、即席の土壁を出現させ、その足を止める。

俺の魔法は効果的だったが、魔力消費も激しい。しかも、敵の数はあまりにも多い。魔法で焼き払っても、土壁で防いでも、後から後からゴブリンたちが湧いてくる。まるで無限に続く波のようだ。


「数が多すぎる……!」


防壁の上では、カイル率いる自警団とゴブリンたちの激しい白兵戦が始まっていた。


「うおおおっ! 来るなら来い!」


カイルは鋼鉄製の盾でゴブリンの戦斧を受け止め、剣で薙ぎ払う。彼の勇猛な戦いぶりは、周囲の若者たちの士気を高めている。敵を引きつけ、仲間を守る盾としての役割を完璧にこなしていた。


「そこだっ!」


ヘクターさんは、防壁の上を移動しながら、冷静に弓を引き絞り、強化ゴブリンの急所(目や首筋、そしてあの紫の紋様!)を正確に射抜いていく。彼の矢に射抜かれた強化個体が、苦悶の声を上げて倒れるたびに、村人たちから歓声が上がる。


「見たか、人間の底力を!」


ドワーフのゴードンさんは、本来は鍛冶師だが、その筋骨隆々の体と巨大なハンマーは、接近戦においても恐るべき武器となった。土塁をよじ登ってくるゴブリンを、文字通り「叩き潰して」いく。その姿は、まさに戦場のドワーフそのものだ。


「みんな、しっかり! 油断するんじゃないよ!」


獣人のミーナさんは、その俊敏さを活かして防壁上を駆け巡り、敵の動きや味方の状況を各所に伝えて回る。時には、短剣でゴブリンに切りかかり、戦線に穴が開きそうな場所を素早くカバーする。


そして、あのボルグも、意外な奮闘を見せていた。最初は「俺がジェネラルを討ち取ってやる!」と息巻いていたが、カイルに「持ち場を離れるな! 今は一人でも多くのゴブリンを壁から叩き落とすのが仕事だ!」と一喝されてからは、不満そうな顔をしながらも、その恵まれた体格と膂力を活かし、土塁に取り付くゴブリンを次々と突き落としていた。彼なりに、村を守ろうとしているのだろう。


アリシアは、後方に設けられた臨時の救護所で、休む間もなく負傷者の手当てに当たっていた。


「しっかりして! すぐに楽になるから……光魔法―ヒール!」


彼女の使う光属性の回復魔法は、まだ位階は低いものの、負傷者の苦痛を和らげ、傷の治りを早める効果があった。薬草を調合した回復薬も併用し、次々と運び込まれる負傷者を献身的に治療していく。彼女の存在がなければ、前線の士気はとっくに崩壊していたかもしれない。


俺も、防壁上を移動しながら、魔法と剣で戦い続けた。魔鉄の剣は、魔力を流すことで斬れ味が増し、魔法の発動もわずかにスムーズになる気がした。火魔法で敵の集団を焼き払い、土魔法で足止めをし、接近してきた敵は剣で斬り伏せる。


(知識があるだけじゃダメだ。実戦で、この状況で、どれだけ冷静に、的確に判断し、行動できるか……!)


しかし、戦況は徐々に悪化していった。ゴブリンたちは、まるで消耗を知らないかのように、次から次へと波状攻撃を仕掛けてくる。強化個体の数も多く、そのパワーと硬さは、村の戦士たちの体力を確実に奪っていく。魔力爆弾もバリスタの矢も尽き始め、投石機も度重なる使用で軋み始めていた。


「くそっ、キリがない……!」


カイルが吐き捨てる。彼の盾には無数の傷が刻まれ、鎧もボロボロになりかけている。他の自警団の若者たちも、疲労の色が濃い。


「お兄ちゃん! 無理しないで!」


アリシアが悲鳴に近い声を上げる。彼女の魔力も、度重なる回復魔法の使用で底をつきかけているようだった。


そして、ついに恐れていた事態が発生した。村の正門。最も頑丈に作られていたはずの木の門が、強化ゴブリンたちの集中攻撃を受け、ついに破られたのだ!


「門が……破られたぞーっ!!」


見張り台からの絶叫。ゴブリンたちが、壊れた門の隙間から、雪崩を打って村の中へと侵入しようとしてくる!


「総員、門へ向かえ! 何としても食い止めろ!」


カイルが、手負いの体で、自警団を率いて門へと駆けつける。俺も、残りの魔力を振り絞り、火魔法で侵入しようとするゴブリンたちを焼き払う。


「うおおおおっ!」


カイルが渾身の力で剣を振るい、強化ゴブリンの一体を斬り伏せる。だが、直後、別の強化ゴブリンの戦斧が、彼の砕け散った盾の隙間を縫って、その脇腹を深々と抉った!


「カ……カイルッ!!」


俺は叫んだ。カイルが、血反吐を吐きながら、その場に崩れ落ちる。


「お兄ちゃん!!!」


アリシアの絶叫が、戦場に響き渡った。彼女は回復薬を手に、カイルへと駆け寄ろうとするが、殺到するゴブリンたちに阻まれる。


(まずい……! カイルが……!)


絶望的な状況。魔力はもうほとんど残っていない。村の防衛線は、完全に崩壊しかけていた。

ボルグも、ヘクターさんも、ゴードンさんも、ミーナさんも、他の村人たちも、皆、満身創痍で、それでも必死に戦っている。だが、彼らの目にも、諦めの色が浮かび始めていた。


(ここまで、なのか……?)


俺の心にも、初めて絶望が影を落とす。守りたいものができた。仲間ができた。なのに、また……失ってしまうのか? 前世と同じように、何もできずに……?


(嫌だ……! もう、失うのは、ごめんだ……!!)


その時だった。俺の中で、何かが激しく脈打った。右手の手の甲の龍の紋様が、これまでとは比較にならないほどの灼熱を発し、俺の全身に、いや、魂そのものに語りかけてくるような感覚。


――汝、何を望む?


(力が……欲しい……!)


――力で何をしたい?


(皆を……! カイルを、アリシアを、この村を……守りたい!!)


――ならば、その想い、力に変えよ! 古き龍の契約に基づき、汝に力を!


瞬間、俺の意識は白光に包まれた。全身の細胞が沸騰し、血管を膨大なエネルギーが駆け巡る。世界から、マナが俺の体へと流れ込んでくる。


「……う……おおおおおおおおおおっ!!」


俺は天に向かって咆哮した。その声は、もはやただの少年のものではなかった。


変化は、それだけではなかった。俺の力の奔流に呼応するように、カイルの傍らで涙を流していたアリシアの手の甲、そして、倒れたカイルの手の甲にも、俺と同じような龍の紋様が淡く浮かび上がり、輝き始めたのだ!


「「え……!?」」


アリシアと、意識を取り戻しかけたカイルが、己の身に起きた変化に目を見開く。

そして、その変化は、ゴブリンたちにも伝わったようだった。彼らの動きが、一斉に止まったのだ。まるで、絶対的な存在の出現に怯えるかのように。


朝靄が立ち込める戦場。その静寂を破るように、谷間の奥から、ゆっくりと一つの影が現れた。


それは、これまでの強化ゴブリンとは比較にならないほど巨大な体躯を持っていた。身の丈は3メートルを優に超え、全身を禍々しい紫色のオーラが覆っている。手には巨大な戦斧。そして、その濁った赤い瞳には、紛れもない知性と、冷酷な意志が宿っていた。


(あれが……ゴブリン・ジェネラル……!)


ジェネラルは、俺たち――特に、異常なオーラを放つ俺と、紋様が輝くカイル、アリシア――を値踏みするように見据え、そして、歪んだ笑みを浮かべたように見えた。


エルム村の絶望的な夜が明け、しかし、本当の悪夢は、まだ始まったばかりだったのかもしれない。



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