第89話:龍奏飛翔
目の前に広がるのは、天空の遺跡の出口。古代の試練を乗り越え、俺とフィーナは、龍覚者と【龍】としての力『調律』を体得した。
公国へ戻る手段として、真っ先に思い浮かぶのは転移魔法だ。だが、遺跡の制約でそれが封じられていたことを鑑みると、今、この場で無理に魔力を使うのは賢明ではない。それに、俺は試したいことがあった。
帰りの空路は、来た時とは全く違っていた。
俺は人の姿に戻ったフィーナの小さな背に、今度は戦いのためではない、ただ二人の心を、力を、一つに重ね合わせるための『調律』を試みることを提案した。
「フィーナ」
俺は龍形態となった彼女の背中で、彼女に問いかけてみた。
「さっきみたいに、力を合わせてみないか?」
フィーナは空を睨むようにして頷き、不安そうに俺を見上げた。
「うん。でも、レン、今度は敵はいないよ? 大丈夫かな、失敗しないかな……」
「大丈夫だ。今度はもっと上手に、もっと遠くまで飛べるかもしれない。試してみたいんだ。調和させる感覚を」
俺の問いに、フィーナは不安を打ち消すように、目を強く閉じて、再び開いた。その青い瞳には、純粋な信頼と、未来への希望が満ちている。
「うん、やってみる!」
俺は、自分の右手甲に浮かぶ龍の紋章が灼けるような熱を発するのを感じながら、フィーナの体を通じて、全身の魔力を解き放った。荒々しい龍覚者の魔力の奔流が、彼女の体へと流れ込んでいく。
『行こう!フィーナ』
フィーナは小さく息を呑んだが、すぐにその小さな体から、柔らかな青色の光――清冽なマナが溢れ出した。
俺の荒々しい魔力と、フィーナの清らかなマナが、今度は穏やかに、そして完璧に調和していく。
それは、まるで激しい奔流が、雄大な大河に流れ込むような感覚だった。奔流の破壊力は失われず、大河の清らかさは濁らない。二つの異なる性質の力が、互いを高め合い、一つの完全な存在へと昇華していく。
フィーナの背中に生えた翼が、その力を受け、劇的な変化を遂げた。以前の飛行とは比較にならない。その翼は、美しい紫電のオーラを纏った光の翼へと変わり、羽ばたくたびに、空間そのものが推進力に変えられていくような、力強く、そして安定した波動を生み出した。
その速度は、これまでのフィーナの単独飛行の数倍に達していた。風を切る音は低く、体が受ける抵抗は驚くほど少ない。
そして、何よりも驚くべきは、フィーナの様子だった。
「すごい……! レンと一緒だと、全然疲れない!」
彼女は歓喜の声を上げた。
「私のマナが、レンの力に押されているんじゃなくて、なんだか……二人で一つになったみたい! 私、もっと速く飛べるよ!」
彼女の消耗は明らかに少ない。俺の魔力がフィーナの魔力が完全に混ざり合い、制御され、昇華されたエネルギーが推進力となっているからだ。この力であれば、途中で休息を挟む必要はあるだろうが、大陸の果てまでも飛んでいけるかもしれない。
「ああ、フィーナ。ありがとう」
そしてこれは、単に龍が飛ぶのではない。俺とフィーナ、二つの力でより空を駆けることを可能にした。龍覚者の奔流を、龍が清らかに奏で、空を翔ける。
「フィーナ、この飛行に、名前をつけよう」
「名前? なににするの、レン!」
フィーナが楽しそうに首を傾げる。
俺は、この光の翼、古代から受け継がれた絆を象徴するにふさわしい、荘厳な名を心の中で反芻した。
「『龍奏飛翔』
奏で合うことで飛翔を可能にした、超長距離高速移動術式。
俺の言葉に、フィーナは「龍奏飛翔……!」と、その響きを噛みしめるように呟き、満面の笑みを浮かべた。
「うん! 龍奏飛翔! すごくかっこいい!」
俺たちは、古代の龍覚者たちが使っていたであろう、移動手段を、今、手に入れたのだ。
二人の絆は、この龍奏飛翔の旅を通じて、言葉以上に深く、確かなものへと変わっていっ
た
俺は、彼女の体を抱きしめる腕に、思わず力を込めた。この小さな体こそが、公国の、そしてドラグニアの民の未来を拓く、希望の翼なのだ。
◇◇◇
空を駆ける中で、俺たちは『番竜の心核』から得た情報を改めて共有し、互いの役割を再認識した。
フィーナは、永い眠りについていた龍の一族の希望であり、俺という龍覚者の力の奔流を正しく導くための「調律者」という使命を背負っている。
「フィーナ……一人じゃなかったんだな」
「うん。知れてよかった。最初はさみしかった気がするけど、レンが来てくれた時から、寂しくないよ」
「ああ」
「それとね。レンは、すごく強いよ。でも、一人で戦わなくてもいいんだよ。私や、アリシア、カイル、ティアーナ、オリヴィア、イリス……皆がいるんだから」
その言葉は、俺の魂に深く刻み込まれた。二人の絆は、この空の旅を通じて、言葉以上に深く、確かなものへと変わっていった。
そして、俺たちの旅の目的も再確認した。
俺は、転生以来、この世界で彩りのある人生を求めてきたが、それはエルム公国の仲間たちの笑顔と、皆が安心して暮らせる場所を守り抜くことによって初めて実現するものだと、改めて深く確信する。この公国は、俺がこの人たちを守りたい。この仲間たちと、一緒に生きていきたいと決意し、命がけで守り抜くと誓った、かけがえのない故郷であり、俺たちの希望の礎なのだ。
「よし!帰ろう!俺たちを信じて、くれている仲間たちがいる」
「うん! アリシアと、ティアーナと、カイルたちに会えるの、楽しみ!」
俺たちは、彼女たちの信頼に応えなければならない。
やがて、眼下に、始原の森を隔てる峻険な山脈の稜線が見えてきた。
「もう少しだ、フィーナ。大丈夫か?」
「うん!ぜんぜん大丈夫だよ!この飛び方、とても楽だね!」
俺たちは、そのまま始原の森と大陸を隔てる、ワイバーンの巣窟である峻険な山脈の上空へと突入した。
眼下に広がる雲海を抜け、山頂付近へと差し掛かったその時、魔力感知が、麓の岩肌に潜む複数のワイバーンの微かな気配を捉えた。通常であれば、この光り輝く巨大な魔力の奔流に必ず襲いかかってくるはずだ。
だが、山脈は異様な静寂に包まれたままだった。
「レン、静かだよ。いつもの魔物さんたちの声がしない」
フィーナは不思議そうに呟いた。
「ああ。たぶんな、フィーナ」
俺は、彼女の背中で目を細めながら龍の力の格の違いを悟った。
フィーナは、神話の時代に龍覚者と共に戦った古代竜の王族の末裔だ。その純粋な龍のオーラが、調律によって増幅された結果、ワイバーンのような下位の飛竜種は、本能的な恐怖によって俺たちを避けているのだ。それは、まさに王族の威圧だった。
「この力があれば、ワイバーンの縄張りも戦闘することなく、一瞬で通り抜けられるかもな」
俺たちは、あえて戦闘を仕掛けることなく、この自然の防壁の役割を果たす山脈の最高地点を、紫電の光を迸らせながら駆け抜けていった。この山脈は、帝国から公国を守る天然の要塞であり、ワイバーンを排除するのは愚策に他ならないからだ。
フィーナの翼が、紫電の光を強く迸らせた。そのエネルギーの奔流は、俺の魔力と完全に調和し、公国へと向かう希望の道標となって、俺たちを運んでいく。
◇◇◇
龍奏飛翔による超高速飛行で、俺たちは無事にエルム公国へと帰還した。
山脈を越え、森の上空を滑空し、俺たちが目指したのは、首都エルムヘイムの中央広場だった。
着地地点は、転移門が常設されている広場から少し離れた場所。俺がフィーナの背中から滑り落ち、フィーナが人の姿に戻った瞬間、カイルとアリシアが、駆け寄ってきた。
「レン! フィーナちゃん!」
アリシアは、駆け寄るや否や、俺とフィーナの体を同時に抱きしめた。
「よかった……! 本当に無事で……! 転移じゃなくて空路で帰ってくるなんて……なにかあったの?」
アリシアの緑色の瞳は、心底からの安堵で満たされていた。
「すまん、アリシア。心配かけたな」
俺はアリシアの髪を優しく撫でた。
「空路を選んだのは、今回体得した新しい力――龍奏飛翔の調律を試すためだ。フィーナ、説明してやってくれ」
「うん! レンと一緒だと、全然疲れないよ! 飛ぶ練習、大成功だったの! もっと速く、もっと遠くまで飛べるようになったの!」
フィーナの言葉に、アリシアは呆然とした顔で俺とフィーナを交互に見た。
「練習……? でも、無事でよかった……」
遅れてカイルが立ち止まる。その表情は、普段の豪快な笑顔ではなく、安堵と、そして怒りが混ざったような複雑なものだった。
「おい、レン!紫の光が見えてたぞ!ワイバーンの巣窟を飛んで帰ってくるとは、無茶をするにも、限度ってもんがあるだろ!」
カイルはそう怒鳴ったが、すぐにフィーナの頭を不器用な手つきで、しかし優しく撫でた。
「フィーナちゃんも、お疲れ様。よくやったな」
「龍奏飛翔っていうの! 調律したら、すごく速いんだよ!」
フィーナが、興奮気味にカイルに説明する。
「龍奏飛翔? ……なんだそりゃ。お前ら、また新しい力を手に入れてきたのか?」
カイルは呆れたように頭を掻いたが、その瞳の奥には、俺たちの力の成長に対する、揺るぎない信頼が宿っていた。
◇◇◇
俺たちは、公王執務室へと場所を移し、天空の遺跡での試練、龍覚者と【龍】としての調律の完成、そして転移魔法が封じられていた詳細を、集まった仲間たち全員に報告した。
「……そうか。そのような古代遺跡があるのは信じがたいが……レン殿とフィーナ殿が、無事その試練を突破し、その力を体得されたと……。」
オリヴィアは、その紫色の瞳に深い安堵の色を浮かべながら、恭しく言った。隣に立つイリスも、力強く頷いている。
「ふむ、これで公王閣下が、大陸各地へ安全に転移する基点を設置する作業が、さらに効率的に行う道が開けたわけじゃな」
ドルガン補佐が、深々とした声で安堵を口にした。
まさに、その時だった。
コンコン、と控えめなノックの後、執務室の扉が開いた。そこに立っていたのは、騎士団総長セレスティーナだった。
「レン公王、ご報告いたします! アルトリア方面へ派遣されていた斥候隊より、情報が届きました!」
その言葉に、執務室の空気が一変した。俺たちの帰還の安堵感は消え去り、全員の顔に、戦いの始まりを予感させる緊張が走った。
「入りなさい!」
セレスティーナは、斥候隊の騎士があつめた情報をまとめた、一枚の羊皮紙を俺たちに差し出した。
羊皮紙には、アルトリア方面のドラグニアの民の潜伏場所と、安否が詳細に記されていた。
「この情報は、我々の同胞がアルトリア王国近辺の国境沿いの山間部に、数千規模で潜伏していること、そして、その集落の周囲には帝国軍の監視の目が厳しく張られていることを示しています」
斥候隊の騎士は、さらに続けた。
「また、この羊皮紙には、我々が調査し確保した、安全な移送座標が記されております。この座標であれば、転移門を展開しても、直ちに帝国に察知される恐れはないと判断いたします」
セレスティーナの斥候隊 の連携が、ついに最初の成果をもたらしたのだ。
「……そうか。待望の、希望の情報だ」
これこそが、俺たちがこの公国を築き、転移門を完成させた、最大の理由だ。
「セレスティーナ総長。この情報をもとに、直ちに大規模回収作戦を始動しましょう。」
「御意に、公王閣下」
セレスティーナの瞳には、騎士としての誇りと、民の救出の強い炎が燃え盛っていた。
「カイル、イリス。お前たちは、俺とフィーナの転移が成功した後の防衛と制圧の要だ。準備を」
「おう、任せとけ! 帝国兵なんざ、叩き潰してやる!」
カイルは、戦いへの高揚を隠せない様子だ。彼は仲間を守るためなら、どんな脅威にも立ち向かう守護者だ。
イリスは、静かに剣に手を当て、オリヴィアを守り抜くという決意をその背中で示した。
「アリシア。お前には、現地で救出された民たちの治療と、フィーナのサポートを頼む。」
「うん、任せて、レン! 私、頑張る!」
アリシアは決意を新たにした。
「そしてオリヴィア。君は、ドラグニア王女として、救出された民の統率と、未来への希望を示す役目がある。俺と共に、作戦の顔として、現地へ向かう」
「はい、レン公王。わたくしの命に代えても、必ずや民を導いてみせます」
オリヴィアは、亡国の王女から未来の王へと変貌を遂げた、その覚悟を凛とした声に込めた。
「ティアーナ。お前には、転移門と公国の防衛を託す。俺たちの帰還の座標を常に監視し、転移門の安全性を確保してくれ。この公国の技術的優位性は、お前が守り抜くんだ」
「承知いたしました、レンさん。公国が揺るぎない基盤としてあり続けるために、私の全てを捧げます」
ティアーナは深く頷いた。
俺は、全員の顔を見回した。そこには、迷いも不安もない。あるのは、共通の敵に立ち向かう龍覚者とその仲間たちの、揺るぎない絆と闘志だけだ。
「よし。準備は整った。これより、大陸解放部隊は、最初の救出地点であるアルトリア王国近辺へと向かうべく、直ちに出発の準備を整える!」
俺の号令一下、俺たちは、エルム公国を挙げての本格的な反撃の第一歩を踏み出すべく、執務室を後にした。
天空の旅で体得した龍奏飛翔と調律の力、そして転移門という切り札。それらを携え、俺たちは希望の扉を開き、ヴェルガント帝国の圧政が敷かれた大陸へと、再起の狼煙を上げるのだ。
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