第76話:新たなる民と第二の故郷
俺は一旦、セレスティーナ軍本隊の地点に設置した転移門をストレージに回収し、ティアーナやカイルたちと共に、転移魔法でエルム公国へと帰還した。
そして、休んでいる暇もなく、受け入れ態勢の準備をし始める。
「ドルガン補佐、ボルグ! 大陸からの民を迎える!準備をよろしく頼む。アリシア、炊き出しのまとめ役と最終確認を頼む!」
俺の指示に、村は一気に活気づく。公王執務室で報告を受けたドルガン補佐が、各所に指示を飛ばし、ボルグが防衛隊を率いて誘導路の確保にあたる。この数週間、村人総出で準備を進めてきた一日が始まろうとしていた。
◇◇◇
俺は再び転移魔法でセレスティーナが指定した場所に転移門を設置するために移動し、設置後にエルム公国へと戻ってきた。
そして仲間たちと共に、公国の敷地内に新設した転移門設置場所へと向かいその時を待っていた。星脈鋼のフレームが、これから始まる新たな歴史を予感させるかのように、静かに蒼い光を明滅させている。
「レン、本当に大丈夫なんだろうな? 一度に大勢の人間が来ても」
カイルが、期待と不安が入り混じった表情で俺に尋ねる。
「ああ。土地の造成も、食料生産基盤の強化も、やれるだけのことはやった。あとは、俺たちの『おもてなし』の心が、彼らの不安を少しでも和らげてくれることを祈るだけだ」
通信魔石を通してセレスティーナからの準備完了の合図を受け、俺は高らかに宣言した。
「転移門起動――大陸からの民を、エルム公国は歓迎する!」
俺の宣言と共に、門の内側が水面のように揺らめき、向こう側の景色――森の奥深くの野営地の光景が映し出される。
最初に門をくぐってきたのは、白銀の鎧を纏ったセレスティーナだった。
「レン公王。約束通り、我が兵、そして救出した同胞たちを連れて参りました」
「ようこそ、セレスティーナ。そしてドラグニアの皆さん。ここがあなた方の新しい故郷、エルム公国です」
俺がそう言って手を差し伸べると、彼女は騎士としての礼ではなく、一人の仲間として、その手を固く握り返してくれた。
彼女の後ろから、疲弊しきってはいるが、その目に確かな光を宿した兵士たちが次々と現れる。彼らは、温室やレンガ造りの家々が並ぶエルム公国の、信じられないほど豊かで平和な光景に、ただただ息を呑んでいた。無理もない。彼らがこれまで見てきたのは、帝国の圧政に怯える民の顔と、荒れ果てた大地だけだったのだから。
「……ここが……」
「信じられるか……? 夢じゃないのか……?」
「見てみろ、あの家々を……石とレンガでできている……俺たちが寝泊まりしていたテントとは大違いだ……」
兵士たちの間から、抑えきれないどよめきが上がる。続いて門をくぐってきたのは、先日救出したアルバート卿をはじめとする文官や、その家族たちだった。彼らもまた、目の前の光景に言葉を失っている。
ボルグや村の者たちが、彼らを温かく迎え入れ、居住区画へと案内していく。
「さあ、皆さん、こちらへ! お疲れでしょう! 温かい食事と、ちゃんとした寝床が用意してありますよ!」
ボルグの声は、以前の彼からは想像もつかないほど、頼もしく、そして優しさに満ちていた。
「……屋根がある……。それに、ベッドまで……」
一人の若い兵士が、案内されたばかりの真新しい長屋の一室に足を踏み入れ、感極まったようにその場に膝をついた。野営とテント暮らしが続き、何ヶ月も固い地面の上で眠っていた彼らにとって、それは王宮にも等しい光景だったのだろう。あちこちから、嗚咽と喜びの声が聞こえてくる。
「母さん、見て! ふかふかだよ!」
「ええ、ええ……よかったわね……。もう、寒い夜に凍えることもないのね……」
子供を抱いた母親が、涙を流しながらその子をベッドに寝かせる。その光景を見ているだけで、俺の胸も熱くなった。
その夜、歓迎の宴がささやかに、しかし温かい雰囲気の中で開かれた。セレスティーナは、改めて俺の前に進み出ると、数人の主要人物を伴っていた。
「ご紹介します。この方は、我が騎士団の魔術師団長を務めてこられたジュリアス・ヴァルト殿。私の父の代からの宿将です」
ジュリアスと名乗った老魔術師は、その鋭い眼光で俺の全身を、いや、俺の内に渦巻く魔力の奔流そのものを見透かすかのようにじっと見つめている。歴戦の風格とは、こういうものを言うのだろう。
「……貴殿が、レン公王か。セレスティーナから噂は聞いている。にわかには信じがたいが、この目で見た以上、認めねばなるまい。この老いぼれの知識、使えるところがあれば、存分に使うが良い」
その声には、長年の経験に裏打ちされた重みがあった。
「そしてこちらは、オリヴィア様の側近であられたカジミール卿。彼もまた、今回の救出作戦で無事に保護することができました」
貴族らしい上品な微笑みを浮かべた優男、カジミール卿がオリヴィアの姿を認めた瞬間、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
「オリヴィア様……! 生きて、生きておいででしたか……! このカジミール、再びお会いできたこと、神々に感謝いたします!」
涙ながらに主君との再会を喜ぶその姿は、忠臣そのものに見えた。
「カジミール! 無事であったか! そなたのような有能な者がいてくれれば、心強い!」
オリヴィアも、本当に嬉しそうに彼の手を取っている。彼女にとっても、頼れる腹心が戻ってきたのは心強いのだろう。アルバート卿も、カジミール卿の隣で安堵の表情を浮かべている。
俺も、その光景に安堵していた。だが、カジミール卿が立ち上がる瞬間、その優雅な微笑みの奥に、ほんの一瞬だけ、エルム公国の防壁の配置を探るかのような、冷たい光がよぎったのを、俺は見逃さなかった。気のせいか……? すぐにその違和感は、新たな仲間が増えたことへの高揚感にかき消されてしまったが。
◇◇◇
宴が落ち着いた後、場所を公王執務室に移し、俺はセレスティーナと今後の具体的な話を詰めていた。
「レン公王。兵士たちの喜びよう、感謝の言葉もありません。彼らは久しぶりに、屋根の下で安心して眠ることができるでしょう」
セレスティーナは、心からの感謝を述べた後、真剣な表情で続けた。
「ですが、公王。率直に申し上げます。今日ここに辿り着いたのは、我々ドラグニアの民のごく一部に過ぎません。情報によれば、大陸には、今も数千、いえ、一万を超える同胞たちが救けを待っています」
彼女は地図を広げ、大陸の広大な範囲を指し示した。
「彼ら全てをこのエルム村……この規模だとエルム街ですか?……に迎え入れれば、いずれこの街は飽和し、あなた方が築き上げてきた素晴らしい文化や日常が失われてしまうやもしれません。それは、我々の本意ではありません」
「……何が言いたいのでしょうか?」
俺は、彼女の真意を測りかねて尋ねた。
セレスティーナは、俺の瞳を真っ直ぐに見据え、一つの壮大な提案を口にした。
「このエルム村……というかもはや街だと思うのですが、それを拡張するのではなく、少し離れた場所に、全く新しい第二、第三の街を築いてはいかがでしょう。我々ドラグニアの民が暮らしてもよいですし、将来的には皆さんの一部も住んでもよいかと思います。」
「新しい……村を……?」
その言葉に、同席していたカイルが驚きの声を上げる。俺も、予想していなかった提案に目を見開いた。
「はい」とセレスティーナは力強く頷いた。
「エルム公国は、多様な種族が手を取り合う、奇跡のような場所です。その調和を、我々ドラグニアの民が、その数の力で乱してしまうことを、私は恐れています。ですが、この始原の森には、まだ広大な未開の土地がある。そこに、我々の手で、新たな街を築くのです」
「それは……あまりにも壮大すぎる計画じゃないか?」
「いいえ」と彼女は首を振った。
「レン公王、聞いたところによると、あなたのその神業のような造成技術をお持ちとか。アルバート卿やカジミール卿たちが持つ都市運営の知識、そしてこれから集うであろうドラグニアの民の労働力。その全てを結集すれば、不可能ではないはずです。大陸で苦しむ全ての同胞を迎え入れる、希望の灯火を……! レン公王、どうか、我々にその機会を与えてはいただけませんか!」
セレスティーナの瞳には、亡国の騎士としての悲壮感ではなく、力強い炎が燃え盛っていた。
新しい村の建設。それは、俺たちの計画を、そしてこの国の未来を、さらに大きなステージへと押し上げる、あまりにも魅力的で、そして困難な挑戦の始まりを告げるものだった。
俺は、セレスティーナの瞳に宿る揺るぎない決意を見つめながら、この壮大な提案をどう受け止めるべきか、思考を巡らせていた。




